180 エピローグ・揺籠
ふと、意識が浮かび上がる。
そんな訳が無い、と半ば不貞腐れて目を閉じようとして、そもそも自身がそんな状態ではないと思い出す。
仕方無く、といった風情で動き、己を思い出す。
すると、それは少しずつ輪郭を取り戻していき、最後には人の形になる。
燃えるような真紅の髪。
野心を秘めた赤熱の瞳。
「ふむ、やはり解せんな」
ぼんやりとした影でありながら、しっかりと言葉を放つのは、ゼイオスだった。
ゼイオスは敗れた。
リターニアとの最後の戦いに於いて、彼女の策に嵌り失態を演じた。
その結果、魂諸共聖痕を奪われたのだ。
では、それでもなお彼がこうして存在しているのは何故か。
彼自身、その答えを何処となく理解しながらも、それでも尚納得はしていなかった。
何故なら、
「これが答えか?あまりにも下らんではないか」
彼の目の前にあるもの。
それが何を意味するのかを、嫌でも理解してしまったから。
ここに来て、初めてソレを見た時、彼は怒り狂った。
先の敗北でも、最後は己の不覚を内心で笑い飛ばしたにも拘らず、目の前のものを見た瞬間、彼は激怒した。
それ程に、それは人智を超える光景だったのだ。
その時、目の前のものが淡く輝き、彼と同じ様に何かを象り始めた。
そして、
「貴方は、、、ゼイオス皇帝ですね?」
その光の中から、柔らかな問いが聞こえてきた。
思わず、ゼイオスは足を踏み出し、しかし全霊を以って踏み留まる。
「貴様は何者だ」
「、、、貴方と同じ敗者です」
「ハッ!確かに俺は敗者だ、最後の最後に無様を晒した愚か者よ。だがな、貴様は違うだろう?なぁ、裏切りの聖女、グレイス・ユールーンよ!」
ゼイオスの言葉に、光は輪郭を取り戻し、人の形を取る。
腰まで届く長い白銀の髪。
かつて存在したとある何かを祀る組織の礼服。
儚げで、だけど凛とした芯を持つ眼差し。
「人に名を呼ばれたのは久しぶりです。ですが、それを理解しているという事は、ここが何処かもまた、理解しているのですよね?」
グレイスの言葉に、ゼイオスは鷹揚に頷いてみせる。
「無論よ。だからこそ解せぬ。いや、貴様が此処に居る事が、ではないぞ」
今やハッキリと姿を取り戻したゼイオスが真っ直ぐに指差す。
「貴様が抱えるソレは何だ」
「、、、既に分かっているのでしょう?それでも敢えて問うのですか?」
「問わねばなるまいよ。ましてや、ソレと貴様がどう見ても一つになっているとあれば尚の事、な」
グレイスが愛おしそうに、慈しむ様に、そして、決して譲れぬ何かを秘めて抱えるモノ。
グレイスやゼイオスはこの場において魂のみの存在。
そして、それを証明するように彼らは光を宿している。
勿論、その光には差がある。
グレイスは弱々しくも、それでも尚失われない白に。
ゼイオスは何処となく闇を纏った、それでも己を貫く白に。
だが、、、
ゼイオスの言った通り、グレイスはその胸に抱くモノと溶け合うように一つになっていた。
より正確には下半身、足の付け根近くまでがソレと完全に融合している。
だからこそ、ソレの異様な有様が目に付くのだ。
「私は揺籠となったのです、この子を救う為に。ですが、此度の戦いでそれも破られ始めました。こうして、より直接護らねばならない程に」
「むぅ、そう言われると流石に反論出来ぬな。だが、俺の気にする所はそこでは無い」
ゼイオスがその眼をグレイスに、そして彼女に抱かれるモノに向ける。
その視線に、彼女はゆっくりと頷いた後、右手を差し出す。
「言葉よりも、この方が早いでしょう。全てを知る覚悟があるなら、手を取って下さい」
その一言は、ゼイオスにとってはまさに天啓だった。
生きていた時に求め、ついに得られなかったもの。
他人から与えられる事に多少思う所はあるが、それでも、彼は迷わずその手に触れた。
そして。
時間にしてほんの数秒。
だが、それで十分だった。
触れていた手が離れ、その手を見つめたままゼイオスが呟く。
「、、、俄かには信じられんな。だが、他ならぬ貴様の記憶だ。つまり、そういう事なのだな?」
彼の問いに、グレイスは頷く。
そのまま顔を下に向け、抱えるソレを優しく撫でる。
「貴方をここに導いたのは、この子を護ってもらう為です。貴方、この子に本気で惚れていたのでしょう?」
「正面から言うな、俺にも恥じらいはあるのだぞ」
クスリと笑みを溢すグレイス。
だか、すぐにそれも翳りに沈む。
「、、、まだ、私にも力は残されている。ですが、それも直に食い尽くされます。そうなった時は、、、」
「ハッ!聞けぬ話だな、それは!」
彼女の言葉を鼻で笑い、遠慮の無い足取りでその側へと歩み寄る。
「何を、、、」
「他ならぬ、貴様が百年もの間護り抜いてきたのだろう、ならば最後まで貫くが良い。ククク、裏切りの聖女の真実を知れば歴史家共が腰を抜かすぞ。最早、それを伝える術はないがな」
ゆっくりとグレイスの隣に腰を下ろすと、ゼイオスは再び光の塊へと戻っていく。
「俺を使え。なぁに、惚れた女を死んだ後にこそ護れるのだ。これ程の名誉、ついぞ生きていた時には得られなかったからな。迷惑を掛けた詫びとでも思って受け取るがいい」
答えを待たず、ゼイオスの魂はグレイスの中に飛び込む。
そのまま溶けていき、それきり、彼の意識は消失した。
自らの胸に手を当て、静かに祈りを捧げる。
そして、強さを取り戻した光で胸に抱くモノを包み込む。
グレイス・ユールーンが抱くもの。
光を放つ彼らとは対象的なまでに、それは暗黒だった。
一片の光も見えない、なのに確かにそこにある。
だが、それ以上に異様だったのが、その有様。
暗黒に染まったソレには、夥しい程の亀裂が存在していた。
そのせいなのか、形も歪で、今にも崩れ去りそうだった。
それを、グレイスの光が優しく包み込み、何とか押し留めていた。
「お願い、、、この子を助けてあげて下さい」
祈る様に、グレイスは唱え続ける。
それを嘲笑うかのように、新たな亀裂が走った。