179 終幕
目を大きく見開いたゼイオスが震える手を私に伸ばす。
まぁ、そんな事をした所で私に届きはしないのだけど。
それを無視して、私は右手を緩く握って眼前に掲げる。
「お前は自ら負けを選んだ。聖痕の試練を乗り越えてしまった。魂と聖痕を一つにしてしまった。つまり」
右手を強く握り締める。
「ぅぐっ、、、がっ、かっ、、、ぉぉっ」
その途端、ゼイオスが胸を抑え込んで悶え苦しむ。
「どう?魂に触れられる感触は」
返事は無い、いや、それどころでは無いのだろうけども。
苦しむゼイオスの姿に、私は薄っすらと笑みを浮かべて右手に魔力を流していく。
とうとう、呻き声すら出さないまま大きく仰け反るゼイオス。
多分、もう私の声は届いてないかも知れないけど、せめてもの情けで種明かしをしてあげる事にした。
「そもそも、アンタが私に勝つ方法はあのまま攻め続ける事だった。言っておくけどね、私も全力だったわよ。私とアンタの技量の差は歴然だったし、それを覆す術を私は持たなかった。だから、出来る限り粘ってアンタの自滅を待った。あの時、それでもと多重化した聖痕で追撃されてたら倒れてたのは私。だから、あの瞬間にアンタを挑発したの。どうなるかは完全に賭けだったけど、結果はこの通り」
更に右手に魔力を込める。
「聖痕を宿しただけなら、私は干渉出来ない。だけど、試練を乗り越えて魂と一体化したのなら話は別。その魂に触れれば、必然的に聖痕にも触れられる。フィルニスが何処まで理解したかは知らないけれど、そもそもお前達の考えとは順序が逆なのよ。聖痕に干渉出来るから魂にも触れられる、じゃあなくて、そもそも私は魂に干渉出来る。だから、そこからの繋がりで聖痕にも干渉出来る。そして」
右手をゆっくりと、見せつけるように前へと差し出す。
踠き苦しむゼイオスへと。
握っていた手を開き、その手の内に作り出していた小さな光が浮き上がる。
それをゼイオスへと放ち、静かに告げる。
「移痕の儀、展開」
私の放った光がゼイオスに触れ、そのまま飲み込んでいく。
その光に縛り付けられたかのように、ゼイオスは身動ぎ一つしない。
ただ、何かを悟った様な目だけを私に向けていた。
そして、光が眩く膨れ上がり、唐突に消え去る。
後に残されたのは静寂。
ゼイオスは目を見開いたまま事切れ、私はそれをただ見つめる。
ゆっくりと目を閉じて意識を集中させ、魔力を全身に行き渡らせる。
足から順に聖痕が浮かび上がり、その最後に。
「これで七個目」
額から浮かび上がる聖痕に一人満足して、その場を後にする。
直に、この帝都は完全に崩落する。
或いは、地上へと堕ちて儚く崩れ去るだろうか。
その結末にも、もう微塵も興味無い。
肩慣らしの代わりに額の聖痕だけで魔法を使う。
風を体に纏わせ、ゆっくりと浮かび上がる。
どうにも、前の持ち主に似て我が儘な所があるけど、それもすぐに慣れるだろう。
己が内でそれを組み伏せ、従属させると思い通りに魔力が流れ始める。
それを確かめるように暫く低空を飛び回った後、最後に空高く舞い上がり帝都を見下ろす。
なし崩し的に始まった西大陸の騒動だけど、まぁ結果だけを見れば満足行くものだった。
嬉しい誤算は聖痕が二つも手に入った事か。
だけど、あまり素直には喜べそうに無い。
色々と誤魔化してきたけど、今回でもうそういう訳にはいかなくなった、と悟ってしまった。
「私は一体何なのか。私じゃ無い誰かと、彼等は言葉を交わしている、、、か」
これまでも、無意識に訳の分からない言動をした事はあった。
いや、そんな記憶がある、程度ではあった。
だけど、今回はとうとう記憶に無い言動を取っていたという。
或いは、目を背けていただけで、過去にもあったのかもしれない。
百と十数年前。
魔王だった頃の記憶が欠け落ちているのも、もしかしたら同じ事なのかも知れない。
時間が経てば思い出すだろうと思っていたけど、実際幾つかは思い出した事もあるけれど、どれも大した事では無い。
そう、肝心な部分の記憶は未だ戻っていない。
断片的に覚えてはいるけれど、どれもが曖昧。
なら、そこに答えがあるのかも知れない。
それを知る術は無い、けれど、過去の足跡を辿る事は出来る。
顔を上げ、夜明けの日差しが登る東の空を見つめる。
地上から轟音が響き、大量の砂煙が巻き上がるのを無視して。
その砂煙が私の姿を隠す。
多分、あの周辺では私を探してカイル達が動き回っている事だろう。
それを少しだけ申し訳なく思い、それ以上にもう面倒はゴメンだと、風を纏って一気に空を駆けていく。
次に行くべき場所は定まった。
だけど、正直気は進まない。
何せ、私が魔王となる切っ掛け、全ての始まりの地なのだから。
だからじゃあないけれど、ここまでずっと色んな騒動に巻き込まれてきたのだ。
ここらで少し喧騒から離れて癒しを求めても文句は言われないだろう。
進路を南東に向け、気ままな空の旅を楽しむ。
聖痕が増えた事でより魔力の量も質も上がったお陰で、空を飛ぶのもかなり快適となった。
「さぁ、せっかくだからバカンスと洒落込むわよ!」
これまでの事をすっぱりと頭の奥に仕舞い込み、これからの事に思いを馳せる。
私の旅は、まだ終わらない。