17 裏切りの聖女
レオーネの突然の言葉に私は戸惑った。たった今まで謎の襲撃者の正体を探るべくやり取りをしていたはずなのに、何故唐突にそんな話をし始めたのか。
「ちょっと、今はそれどころじゃないでしょ。あの連中の黒幕を探る方が先じゃないの?」
「それはそうだが、どのみちこの時間ではどうしようもない。朝一番に早馬を走らせて騎士団長に報告を入れれば向こうは問題ないはずだ」
「その騎士団長とやらが信頼できるかは知らないけど、婚約者はどうするの。3年前の時の事確認しないでいいの?」
「彼女にしてもそうだ。無理をさせる訳にはいかないし、今も護衛が固めているから心配はない。それよりもだ」
ダメだ、何を言っても話題を戻される。というか、ホント今の彼はお説教をした時とはまるで別人のようだ。ちゃんと冷静に話を聞いて、考えている。感情的になりはするけどそれでも自分を抑えている。たった数日で一体何があったと言うの?
そんな私の戸惑いをよそに、彼は私を、どこか気を遣うように見つめていた。そしてもう一度手元の日記に目を落とし、
「これはな、どうやら100年前魔王を倒した聖痕の救世主、その5人のうちの1人が残した物だそうだ。残念ながら誰が記したまでかは残っていないがな」
その日記帳は特別な意味のあるものではない。いつか、思い出話に花を咲かせる時の為にと彼女が肌身離さず身に付けていた。最後の戦いでボロボロに傷ついたあの子を見て、とっくに失われたと思っていたけど。まさかあの後にも日記を付けていたどころか、こうしてまだ保管されていたとは驚きだ。
とはいえ、私も内容までは知らない。残念ながら中身を見る時間など無かったのだから。なので、そこに何が記されているか、私も見当がつかない、、、特に、私が死んだ後の事は。
しかし、それはそれとして彼がなぜその話をこの状況で、私にわざわざ伝えて来たのか。
「日記の内容はまぁ分かったわ。それで、それが私とどう関係あるの?わざわざ探してまで伝えたい事って」
「これを読んで、分かった事がある」
日記の表紙を撫で、私に改めて向き直ると、彼は真っ直ぐにこちらを眼差しを向ける。
「聖痕は、ただの力の源でも、選ばれし者の証でもない。聖痕自体に意志のようなものがある、と。自覚さえすれば気にはならないが、もしもそうと知らず聖痕に身を委ねたら」
何となく、彼の言いたい事が分かった。だけど、あえて私からは答えない。彼は、聖痕の真実に至るかもしれない。過去からの贈り物を手に、答えに至ろうとしている。
「俺自身、あの日君に怒鳴られて、何というか目が覚めたような感覚があったんだ。冷えた頭で、どうしてああまで君に、いや、使命に囚われていたのか、と」
自分の右手の甲、聖痕の宿るそこに目を移し、
「その後の2日間、俺は蔵書子に籠って聖痕について調べた。とはいえ100年前の時点で謎が多いという事しか分からずにいたんだが、そこでこれを見つけたんだ」
日記を掲げ、少しだけ顔を歪める。
「かつての彼らも、聖痕に振り回されたとあった。違いはあれど、まるで何かに引きずられるような感覚があったと。だが、魔王が現れ、世界に危機が迫り、それに立ち向かわねばと奮起した時、その感覚は消えて聖痕をより自在に扱えるようになった。彼らもまた、その事を聖痕の意志、聖痕の試練に打ち勝ったと表現している。多分俺も、君のお陰でそれに打ち勝てたんだ」
言葉を切り、そこでようやく少しだけ表情を緩めた。
「君と初めて出会って、城に連れ帰ったあの日。君は確かに言った、聖痕を理解し、扱えると。俺は多分悔しかったんだ。それに焦りも」
「焦り?悔しいだけじゃなくて?」
「実はな、俺が聖痕をまともに扱えるようになったのは10歳を過ぎた辺りなんだ。聖痕自体は5歳頃、初めての剣の鍛錬で教官を吹き飛ばしてしまった時に発覚したんだ。もちろん、無意識で。何度か打ち合って剣を弾き飛ばされて、悔しくてな。その時に初めて聖痕を使ったらしい」
そう、聖痕は持っているだけで勝手に力を発現するわけではない。魔力を通し、使う意思を以って初めて起動する。
それはある種の防衛機構。聖痕自体が、その力を無暗に振るわぬようにと枷を嵌めている。それだけ、この力は強大で、危険なのだから。
「それから5年、必死に鍛錬を続け、聖痕を使いこなせるようになったと思った。聖痕に選ばれた誇りと、その使命の重さを知り、より、な。だけどあの日、突然君が現れ、しかも俺よりも容易くそれを御せると言い放った。俺はそれが悔しくて、同時に焦った、、、俺は、選ばれし者でなかったんじゃないかと」
それについては、少しだけ同情してしまう。必死に至った場所を、名も知らぬ小娘が余裕で飛び越えて行ったのだから。自身の価値が失われると思ってしまったのだろう。そして、それが。
「それ以来か。特に、聖痕に纏わる事に異常にこだわる様になったのは。あの頃はそれが普通に感じていたけど、多分俺の心の弱さに聖痕の意志が働いていたのかもしれない。あとは君の知っての通りだ。君への感情と聖痕の意志によって、あんな醜態を晒していたんだ」
恥じ入る様に、だけどはっきりと、己の過ちを自ら明かす。そこに暗い感情は見えない。むしろ、ようやく肩の荷を下ろせたといった様にすら見える。その事に、私は微笑んで答える。
「そう、そこに気付けたのね。なら、あのお説教も意味があったわね」
「全くだ。お陰で、やっと己を顧みる事が出来た。そして、君についても」
そこで、再び私に話を戻す。あぁ、やっぱり彼は勘違いをしている。
「日記に、聖痕についての記述があった。誰のどこに聖痕があるのか。我が先祖であるブライム・フェオールは俺と同じ場所に。そして、、、」
一度呼吸を整え、彼が意を決したように、それを告げる。
「彼らと共に戦い、そして最後に裏切った聖女。日記に記されていたであろう彼女の名は全て塗り潰され、唯一残された記述は、魔女、と。そして最後は魔王に全てを捧げたという彼女の聖痕は、、、その背に宿っていたと」
やっぱり、と。確かに私は城に連れて行かれたあの日、確かに背中の聖痕を示した。その場に彼も居たのも覚えている。だけど、それは当然だ。あの時は胸の聖痕は封じてたし、何よりも、、、
・・・他の聖痕を見せる訳にもいかなかった・・・
見せたくない、というよりも知られる訳にはいかなかったから。だから分かりやすく見せやすい背中の聖痕を見せたのだけど。
どうやら彼は、聖痕の真実の一端に触れたことで、私も同じような事に陥っていると思ってしまっているらしい。
「君が使命から、魔王から逃げようとしているのは、君のその聖痕のせいなのでは、と。聖女と呼ばれるのを嫌い、魔王を打ち倒す事から背を向けたのは、もしや聖痕の意志が絡んでいるのではないのか。そう思って、だがこれは俺や君にしか分からない事だ。だから、他に人が居ない時に話をしようと」
「残念だけど、それは間違いよ」
気遣いはありがたいけど、勘違いされてもそれはそれで困る。なので、はっきりと否定する。
「私は私の意志でちゃんと逃げているから。今ここに居るのもこの先の事も、聖痕なんて関係ないわ」
真っ直ぐに彼の目を見つめ返して、嫌味たっぷりの笑顔で答えてやる。
「魔王だとか世界だとか、私はどうでもいいの。前にも言ったでしょ?そんな物に私は興味ないって。元々この国を出て旅をするつもりだった、そのきっかけがたまたま今回の件だっただけ。だから、これ以上私の邪魔をしないで」
明確な拒絶、一切の反論も許さない私の言葉に、レオーネがいつか見せたような驚愕に染まる。
「貴方の気持ちは素直に受け取る。だけど、それとこれとは話は別。私は私のしたいようにするし、貴方は貴方の為すべき事をしなさい。それがお互いの為よ」
話は終わり、とばかりに私は鞄を枕代わりにすると体を横にして目を閉じる。
しばらくその場に立ち尽くしたレオーネは、しばらくして静かにその場を去っていった。
いつも応援ありがとうございます!
書き溜めの方がいよいよクライマックスですので、今後もお楽しみに!