14 静かな夜
襲撃者を始末してようやく落ち着きを取り戻した私は、改めて自分の状態を確認した。というか、
「全身泥と血とでもはや猟奇的な有様ね。これは何とかしないと」
森の中で転んだり返り血を浴びたりでもう見た目が悲惨だ。このまま森から出ようものなら通りかかった人に色々勘違いされて大騒ぎ待った無し。
とりあえずどうしたものかと考えつつ移動する、さすがにいつまでも死体の側には居たくは無い。
胸の聖痕を解放したことで魔力は十二分に満ち足りているけど、むしろ今は精神的な疲れの方が大きい。どこかで一息付きたいなと思いながら森を歩いていると、目の前が唐突に開ける。
月の光が静かに降り注ぎ、その光を浴びて緩やかに光を湛える水面が飛び込んでくる。どうやら小さな泉があるらしい。
その泉に近づいて縁にしゃがんで水面を覗き込むと、そこまで深くは無い底が透けて見えていた。右手で水を救い上げ、軽く匂いを嗅いで口に含む。少しだけ舌の上で転がして飲み込むと、程よく冷たい感触がのどを潤し、体を芯から落ち着かせてくれた。何度かそれを繰り返した後、私はゆっくりと立ち上がって周囲を見渡す。
時刻は深夜、月の高さから言ってちょうど日付が変わる頃合いだろうか。野生の動物達も寝静まっているのだろう、少しだけ辺りの気配を探り何も居ないのを確認し。
荷物を放り投げ、着ている服をササっと脱ぎ捨てる。瞬く間に下着姿になるとそれも迷わず脱ぎ払い、一糸纏わぬ姿を月光輝く夜の空気に晒す。幸い、肌寒さは感じない。加えて、今は大陸の南寄りに位置している為、王都よりも多少は気温が高く感じられる。
解放感とほんの少しの背徳感を覚えながら、泉の中へ体を沈める。一度頭まで水に浸かり、ザバッと頭だけ水面から覗かせる。
「うーん、気持ちいいー。さすがに少し冷たく感じるけど、頭を冷やすにはちょうどいいわね」
顔に掛かる髪を後ろへ搔き上げながら呟く。そのまま全身を撫でるようにしながらアチコチにこびり付いた血や泥を洗い落としていく。右足のふくらはぎなんかは切り付けられて大量の血がくっ付いていたので、状態を確認しながらそこも洗う。そうして一通りさっぱりした後、全身から力を抜いて水面に仰向けになって浮かぶ。
ふわぁー、と気の抜けた息を漏らしながら目を閉じ、ゆっくりと開くと、木々に切り取られた空から綺麗な月が視界一杯に飛び込んできた。さっきまでは特に意識してなかったけど、今日は満月だったらしい、まん丸の月が遥かな頭上から静かに私を見下ろしていた。
数日ぶり、いや、本音を言えば3年ぶりに、本当の意味で気が休まった。基本、他人に興味がない、関わろうとしない私だけど、それでも自分に必要な事に関してはそれなりに動いてきた。特に、身動き出来ない状況下だったから、とにかく情報収集は欠かさなかった。おかげで式典からの逃亡も王都からの脱出も上手くいった。まぁ、その後はこの様だけど。
なんて思い返して、ふと、右手で首の下、胸の谷間より少し上の辺りを撫で摩る。
暗殺者に襲われ、窮地に陥ったあの時。本音を言えばあのまま終わりを迎えても良かったと思った。
元々、私は今の人生に思い入れは無い。なぜまたこの世に生を受けたのか、聖痕をそのまま引き継いだのか、何よりも100年前の、かつての私の事を憶えているのか。その記憶さえ、全てが残ってはいない。100年の時を経て私はこの時代に還ってきた。そのせいなのか、明確に残っているのはいつか見た夢の中での光景ぐらい。
あとは、この身を焦がした暗い感情。世界に、人に、全てに対する憎悪と、同じ位に襲い掛かる悲しみ。なぜそんなものが芽生えたのかすら記憶にはなく、そして今ではそんなものもあったわね、程度にしか感じない事実。
私が私である事は間違いないけど、それ以外の全てが他人事で、でも成長し、色んな事を知るうちに私はこのままではいけないのだと思い始めた。本当なら、そう気付いた瞬間にでもあの町から出て行くべきだったかもしれない。だけど、いくら100年前から全てを引き継いだとはいえ肉体そのものはこの時代で授かったもの。相応に成長しなければ聖痕をまともに扱えないし、最悪は自滅も有り得た。十分に体が成長し、資金も貯めなくてはと言い訳し、それ以上に。
・・・人の温もりに、心が安らいでいる自分が居る事に気付き、受け入れている事が怖くて・・・
だから私は胸の聖痕を封じた。他の聖痕はともかく、この胸に刻まれた聖痕は本来の物である。その力がどれ程なのかを嫌という程知っているから、ただの人として生きてみたくなってしまったから、だから6歳だった私はある日、死を覚悟してまで、全ての力を使ってこれだけは封じた。
もう2度と使う事は無いと、決めた。
なのに、ついさっき、たったあれだけ事であっさりと私は私自身の覚悟を覆した。
いや、結局のところ、100年前も、そして今も、私は死ぬ事が怖いんだ。聖痕を封じた時も、死を覚悟したなんて言っておきながらどこかで生きたいと思っていたのかもしれない。だから解ける程度の封印に留まった。いつか必要に迫られた時に、死よりもコレを使ってでも生き延びるのだと。
だから私は逃げる事を選んだ。あの日も、城に連れて行かれた時も、そして今も。
後に引けない様にと目立つ手段を取り、間違ってもあの町へと舞い戻ってしまわない様に。なんて言い訳しながら、結局は惹かれるようにあの場所へ足が向かってしまい。なんだかんだで結局まだこの国に留まっている。
状況が変化していったのは事実、だけど、本気で逃げたかったらどうとでも出来たのも確か。
言ってる事とやってる事が滅茶苦茶なのはとっくに分かってた。それでも、と言い訳をしながらここに居る私は。
・・・本当は、何から逃げたかったのか・・・
向き合うわけでも、目を逸らすわけでもなく、意識の外へと追いやっていた。
静寂だけが満ちた空間、風も無く、木々のざわめきも、水の揺れる音もない。
私の小さな呼吸の音だけが微かに聞こえる。
その心地良さに、震えていた心が落ち着きを取り戻していく。
色んな思いが去来して、泣きそうになっていた事に自分で気付いて、ほんの少しだけ安心した。
まだ、大丈夫だと。私はまだ私で居られている。きっと、これからも大丈夫。不安はあるけど、もうあの時とは違うのだからと。
もう一度目を閉じて、今度は力強く目を開く。
見下ろしてくる月に微笑み、水に浮かんだ体を起こして一つ息を吐き出す。
最後に顔に水を掛けて、泉から上がろうとして。
ガサリ、と。茂みから突然現れた影に目を丸くする。
相手も同じように目を丸くし、直後にここからでも分かるくらい顔を赤くしてシュバッと後ろを向く。
そして私も。
なんだか顔が火照ってきているのを感じて、そっと視線を下げる。
今、私は泉から体を引き上げようと縁に手を掛け、上半身を持ち上げたところだった。
つまりは、、、
(裸、見られた、、、よね、、、)
一切を身に付けていない、完全なる裸体。しかも、体を持ち上げる為に両腕を、若干真ん中に寄せるように地面に突いてたのだ。つまりは。
胸を、寄せ上げるような姿勢に。しかも、まるで私を照らすかのように月明かりがこの体を眩く輝かせていたのだ。あの影からは、はっきりと私の正面の姿が見えていたはず、、、
「き、、、きゃー、、、」
混乱の極みに達し、思い出したように棒読みな悲鳴を放ち、もう一度泉に体を沈めた。
なんなら、火照った顔を冷ますために、頭の先まで。そしてゆっくりと、水面から目だけ覗かせて未だ後ろを向いている影を睨みつける。
そもそも、なぜここに彼が居るのか。緊張を解きすぎた自分も油断していた。だけど、気配を隠しながら近付かれては気付きようもない。
グルグルと思考を巡らせながらその人物、月明かりに照らされた金髪をプルプルと振るわせて背を向けているレオーネを睨み続けた。
お待ちかねの御褒美シーン、いかがでしたでしょうか(笑)
あとラッキーなスケベ王子は処しましょう!