133 果ての海
思い返してみると、こうしてゆっくりと海を眺めるのは初めてかもしれない。
海の上を走る風は、少し塩気を含んでいるせいか何となく肌に纏わりつくように感じる。
だけど、同時に鼻を擽る潮の香りのお陰でそこまで嫌な感じはしない。
砂浜の近くに転がっていた岩の上に座り、軽く空腹を満たす。
帝都で拾った収納魔導具のお陰で色々と助かっているけど、特に食事面の恩恵は大きい。
海を眺めながらぼんやりとそんな事を考える。
ふと、空を見上げる。
日は少し傾き始め、更には雲も出てきた。
「そろそろ行こうかな」
岩から飛び降り、そのまま砂浜を歩いていく。
目的地は南の内陸部だけど、どの道まだ距離はある。
それに、既に追撃を受けているし、それを撃退している。
その一連の結果として私の居場所もある程度は掴まれているだろうし、その内他の奴が追ってくるだろう。
その前に、別のお客も近付いているようだ。
大穴に近付く砂煙が幾つか。
あれはどう見ても馬では無さそうだし、恐らくは魔導車だろう。
なら、そこに乗っているのは帝国の兵達と見た間違いないだろう。
果たして穴の調査なのか、或いは私の事を探しに来たのか。
困った事に今居る場所は身を隠せるような物が何も無い。
意味があるかは分からないけど、とりあえず身を屈めて様子を窺う。
徐々に大きく見えてくる砂埃。
その下には予想通り魔導車。
だけど、その姿は私が見た物とは少し違う。
何と言うかこう、野性味があるというか、、、
「まるで手入れがされて無さそうな見た目ね、、、」
外見は所々が錆で赤くなっているし、屋根に至っては何故か草が生えている。
走ってくる魔導車は全部で5台だけど、全部がそんな感じだし、加えてそれぞれが独自に何か装飾を施している。
少なくとも規律で統率された兵士が乗っている事は無さそうだけど、ならアレに乗っているのは何者なんだろうか。
困惑で頭が埋め尽くされる中、魔導車は大きく弧を描きながら穴を観察しているようだ。
何度か同じ場所を回った後、四台は来た方角へと戻っていく。
そして残りの一台は真っ直ぐに海、つまりは私の居る方へと走ってくる。
一応、微妙に擦れ違う形にはなりそうだけど、恐らく私の姿は見つかってしまうだろう。
「仕方ない、、、」
軽く魔法を操り、風で姿を掻き消す。
魔導人形辺りなら逆に感知するだろうけれど、少なくともあの魔導車には奴らは居ない。
そのまま静かに移動し、砂浜へとやってくる魔導車と擦れ違う。
砂浜の半ばまで来た魔導車が止まり、後ろの扉がゆっくりと開く。
その中から数人の男が降り、最後に一人の女が降りてくる。
その女は、乗ってきた魔導車にも周りを固める男達にも似つかわしくない気品を漂わせていた。
着ている服も、外出用の動きやすさを重視したであろう簡素なドレスだけど、仕立ては相当に上等だと見て取れる。
となると、あの魔導車も意図してあの見た目にしている可能性があるし、周りの連中は御付きの護衛と見て間違いないだろう。
後はここへ来た理由だけど、まさかただ海を眺めに来たわけではないだろう、
離れようという気持ちと、その正体を探りたいという二つに気持ちが鬩ぎ合う中、その女は砂浜を波打ち際まで歩いていく。
「姫様、お召し物が濡れてしまいます」
「大丈夫。それと、外では名で呼んでと言っているでしょう?」
「し、失礼致しました、フェデルシュカ様」
暫くして、彼等は魔導車に乗って去っていった。
密かに様子を窺っていたけど、端から見る限りでは本当に海を眺めに来ただけにしか見えなかった。
だけどあの御姫様、確かフェデルシュカと言ったか、彼女の横顔は何処か寂しげにも、僅かな期待を抱いている様にも見えた。
もしや、彼女の思い人も果てを目指して旅立ち、終ぞ戻らなかったのかもしれない。
或いは、今もまだその人物が戻ってくるのを信じているのか。
いや、そもそもの話、彼女達は何者なのか。
それを知りたかったのだけど、結局何の手掛かりも得られなかった。
何となく時間を無駄にしたような気分になって、仕方ないと改めて歩き出す。
そんなこんながあったけど、その後は特に何かが起こる事も無く、更には魔導人形も気配すら無かった。
何処か不気味な感じがしつつも、穏やかな道中を進む。
少しづつ進路を内陸へと向け、海から離れていく。
いよいよ海が霞んで見える様になった頃、見納めにと一度だけ振り返る。
(海の果てのその先、ね、、、誰も彼も愚かね)
何となく、そんな思いが胸に去来する。
その理由も、意味も分からないけれど、あの海の先を目指して一体何になるのか。
「どうせその内全てが壊れるのにね、、、」
誰かの言葉が私の口から零れる。
ボンヤリとしてきた頭を軽く振って、前へと歩き出す。
どうにも、海を見てから妙な感覚がある。
気になるけれど、多分どうでもいい事なんだろう。
自分に対して言い訳するように無理矢理考えるのを止めて、とにかく歩く。
数日後、荒野の真っ只中で、遂に新たな戦いが始まる事になった。