129 『 』を知らない聖女
熱と憂いを帯びた瞳が私を見つめる。
何故か、そんな視線から私は目を逸らす事が出来ない。
カイルは視線を逸らさないまま片膝を突き、そっと、壊れやすいガラス細工でも扱う様に私の左手を両手でそっと包み込んだ。
「貴女がこちらにやって来ていると知り、捜索を提案したのは私なのです。こちらには、帝国から奪取した魔導具が幾つかありました。そしてその中に、偶然にも聖痕を探知する事の出来る魔導具も含まれていて、それで私達は皇帝達の動向を探る事が出来ました。残念ながら、今は対策がされたのか役に立たなくなってしまいましたが、ですが」
彼の量の手が微かに、だけど確かに力が籠る。
、、、そこに込められた熱が、思いが、私には理解出来なくて、、、無性に怖い、、、
微かに震えていた私の手を、変わらず包む彼が気遣わし気に改めて握る。
いや、震えているのは私だけじゃなかった。
彼もまた、自身の震える手を必死に抑えていたようだ。
それでも、彼の瞳は揺るぐ事無く私を見つめ続けていた。
「そのお陰で、私は貴女を見つける事が出来ました。しかも、聡明な貴女は近付く我々を警戒して身を隠した。正直、私は自身の気持ちを抑えるのに必死でした。それでも、それ以上貴女に警戒感と不信感を与えてしまわない様にその場を離れ、せめて動向だけでも把握しようとローダンと連携していたのです」
詰まる所、彼らが私の事を追えていたのはそういう事だった。
だけど、その理由は半分以上がカイルの私情だっただけの事。
だけど、私にはそこが分からない。
勿論、愛と言う物が何かは知っているし、子供じゃないからそれ以上の事も当然分かっている。
だけど、、、
「、、、貴方のそれは勘違いよ。一時の熱に浮かされて勘違いしているだけ」
「だとしても、構いません。私も貴方も互いに相手の事を知らない。私のこの思いも言葉も行動も身勝手でしかないのは重々理解しています。ですが、それでも今伝えなければならないと思ってしまったのです」
それは確かに理解できる。
何せ、目の前で死の暴風が吹き荒れたのだ。
人は極限状態に陥ると生存本能が働き、自身が生き残る事、そして子孫を残す事を強く意識すると言う。
彼はきっとそういう物に振り回されているだけ。
「今はそれどころじゃないでしょ。生き残った人達は今にも戦いを始めてしまいそうなのよ。彼等を落ち着かせて、まだ他にも反抗勢力が居るのならそれと合流するなりするべきではない?」
私のあからさまな話の逸らし方に、彼は少しだけ寂しそうな表情を浮かべて、すぐにまた引き締める。
ゆっくりと立ち上がって、最後にもう一度だけ握る手に力を入れた後、名残惜しそうにゆっくりと離した。
「そうですね、危急の状況ではありますが、焦りもまた危険です。我々はこのまま一度大きく北上します。もしよければ、そちらにも寄って下さい」
それだけを言い残して、彼は今も気炎を上げる人々の下へと歩いて行った。
「愛、、、ね」
一人になった私は外れにある外壁の残骸の上に座って空を見上げていた。
この時代に生まれてから、私は色んな愛を見てきた。
母の愛。
町の人の愛。
複雑な関係の愛。
家族の愛。
友情としての愛。
偏執的な愛。
私とて、その内の幾つかをこの身に受けて生きてきたのは確かだ。
だけど、、、
「よく分からない、、、」
私の根底に、愛など無い。
言うまでも無いだろう、そんなものが与えられていたら、前世で私は魔王になどなっていない。
両親から捨てられ、周囲から疎まれ、ゴミと汚水を啜りながら這い蹲って生きたリサ・ダエーグという哀れな女。
その身に宿した聖痕のせいでそんな人生を送り、果ては世界を相手に魔王だなどと名乗り戦いを挑み、、、
「どうして今更そんな事を思い出したのかなぁ、、、」
溜め息と共に独り言ちて、思い出したくも無い記憶を恨む。
正直、この事を思い出しさえしなければまだカイルの思いにも向き合える事が出来たかもしれない。
だけど、もうそれは出来ない。
昔の記憶を思い起こしてしまうと、余りにも強すぎるそれに今の私が引き摺られてしまう。
まさか魔王になるなんて事は無いけれど、それでもそれだけの感情が戻ってくるのだから、嫌でも心が揺さぶられる。
そして、そのせいで今まさに、私は愛が何なのかを忘れてしまった。
きっと、この先私に向けられるその感情を、私は二度と理解できないだろう。
一度もそれを向けられた事が無い、という事を思い出してしまった以上、私にその感情を向けられる事の意味が分からないだろう。
だけど、それを悲しいとは思わない。
そもそも、本来ならあり得ない二度目の生を生きているのだ。
色々と厄介な身の上ではあるけど、概ね満足はしている。
「だからこそ、ゼイオスとフィルニスには感謝しないといけないわね」
こうまで私の心を揺さぶっているのだ。
例え面倒事であろうと、それだけは本音だったりする。
、、、そう。この魂の奥底にある何かは、常に私越しに世界を眺め、歓喜の声を上げているのだから。