116 不死の皇帝
その男、皇帝ゼイオスは私の言葉を受けて満足そうに笑みを浮かべた。
対する私は、奴の纏う雰囲気に違和感と、そしてそれを上回る何かを感じていた。
「ハッ、そう敵意を剥き出すな。思わず押し倒したくなるではないか」
「黙れ。お前は私が殺した。手応えもその死体も確かに見ている。なのに」
「なのに何故、こうして俺はここに居るのか、か?」
私の疑問を先んじて口にするその姿は、紛う事無くゼイオスだ。
あの不敵なニヤケ面も、堂々たる姿も、確かにイングズで対峙した物。
なのに、胸の奥がずっとざわついている。
拭い切れない、嫌な感覚が全身に絡みついてきていた。
そして、そんな私を尻目にゼイオスは一歩、私から距離を取ると見せつける様に両手を広げた。
「見ろ、俺はこうしてここに居る。お前に切られた痕も無いし、無論この心の臓は今も熱く鼓動を打ち続けている。分かるか?これが皇帝だ。これが世界を統べる者だ。俺に与えられた聖痕は不可能を可能にした!だが!」
それは一瞬だった。
あまりにも自然に私へと距離を詰めたゼイオスは私の両腕を掴み上げ、左手だけで一纏めに抑えてきた。
頭上で腕を抑えられた私は軽く爪先立ちにならざるを得ず、無防備な状態へとされてしまった。
「なっ、離して!」
「俺にはまだ足らぬ物がある。分かるか?」
得体の知れない熱を宿した瞳で私を見つめるゼイオスに抵抗して顔を背けると、その右手で私の顎を掴んで無理矢理前を向かせる。
「皇帝たる俺に、この世界の全てを解き明かす俺に、最も必要なのはな、お前の様な強い女だ。しかも聖痕まで宿しているとなれば、その価値はこの世の何よりも代え難い。ああ、愚かなフェオールが聖痕の聖女なぞを大々的に報じた時は堪らなかったぞ!しかも、その動向を見張らせれば期待以上の事まで成し遂げた!ああ、それはもう滾った、昂った!興奮の余りあの塵以下の価値すらない我が妻を縊り殺した程にな!」
一息に捲し立てるゼイオスの言葉に、私は顔を歪めてしまう。
「アンタ、自分の妻を殺したって言うの!?しかもこんな下らない理由で!?」
「ハッ、あれは自らの意志すら持たぬ人形以下よ。懇願された故娶ったが、余りにも退屈なものだから部下共の玩具として使わせてやった。それすらも受け入れて嬉々として腰を振っていたがな」
その狂った思考が奴の瞳を通じて私へと向けられる。
顎を掴んでいた右手がゆっくりと首筋を撫で、胸元を通って体を覆う布に掛かる。
奴が何をしようとしているのか理解出来て、私は体を捩らせ抵抗する。
その様子に笑みを深めると、ゼイオスは一層顔を近づけて囁く。
「言っただろう?お前は俺の物とする。貴様の意志なぞ関係無い。我が寵愛を受け、子を孕み、全てを我に捧げよ。お前にはその資格がある。そうだろう?聖痕の聖女よ!」
高らかに告げ、バサリと布を剝ぎ取られる。
同時に。
「ぐっ、フハハハハ!この期に及んで尚も抗うか!つくづく楽しませてくれるな!」
奴の気が緩むほんの一瞬。
私の体に目を向けたその刹那に、掴まれたままの手に力を籠めて奴の体勢を崩し、股間目掛けて足を振り上げたのだ。
流石に急所への直撃は躱されたけど、そのまま腹を蹴り飛ばして大きく距離を取れた。
体を隠す物は無くなったけど、それでいつまでも奴に見せてやるほど私も馬鹿じゃない。
私の奥の手の一つである黒炎は、実は武器を呼び出す為の物じゃない。
あの炎自体が完成形で、より攻撃に特化させるために鎌やら剣やらに形を変えているだけ。
そして今は、その炎を服の様に体に纏わせている。
私には何の影響もなく、相手にとっては触れる事すら出来ない鉄壁の守り。
但し、
(コレ、結構維持するの大変なのよね。おまけに、このままじゃ武器に変化させられないし)
聖痕に由来しないこの黒炎は、正直長続きしない。
何故なら、これは魔力を消費しない。
その証拠に、私の額に汗が滲み始めている。
武器ならともかく、服の様に纏わせるなんて百年前の時ですらした事はないのだから、かなり無茶をしている。
それを悟られない様に平静を装いつつ、ゼイオスを睨む。
「いい体なのに何故隠す。どうせ外も中も味わい尽くすのだ、大人しく全てを委ねろ」
「お断りよ、何度も言わせないで。それに」
すっと目を細めて、敢えて余裕の表情を見せる。
それに気付いたゼイオスが僅かに眉を顰め、その背後に居るフィルニスが感心するように目を見開く。
「陛下、彼女凄いですよ!聖痕の扱いが異常です、何なら陛下を超えてますよアレ!」
興奮したフィルニスが囃し立て、ゼイオスも満足そうに一つ頷いてみせる。
「俺にも見えている。しかしだ、この状況で何をするつもりだ。逃げる術があるとでも?」
奴のその言葉に、私は笑みを浮かべてやる。
「無敵の皇帝様も及びつかないみたいね。まさか私が、無策でノコノコ連れて来られたとでも?」
見せつける様に胸の聖痕を輝かせ、
「あっ!いけません陛下!彼女は!」
「サヨナラ、お馬鹿さん」
次の瞬間、驚きに目を見開くゼイオスの顔を見届けて私は転移した。