112 悪意の化身
それは最早言葉では言い表せない異形だった。
少なくとも、外見は人間のような二足歩行の生物ではある。
ただし、その大きさは人の倍の、それを遥かに上回っている。
多少距離が離れているにも関わらずその威容が嫌でも分かってしまうのだから相当である。
手足はただ筋肉が膨れ上がっただけとは言い難い程の太さにまでなっているし、その手に至っては明らかに片手で人を握り締める事が出来るだろう。
逆に、足は下に向かう程に細くなっていて、いや、それでもなお普通の倍はありそうだけれども。
やや括れた腰からは、まるで出来の悪い人形のように異形と呼ぶに相応しい上半身が生えている、と呼ぶべき有様で存在し。
そしてその全てを支配する頭部、これがいっそ不気味なまでに普通なのだ。
そう、頭だけを見ればまだそれは人だった。
だけど、首から下の何もかもが悍ましい。
その姿のせいで何とも言えない生理的な嫌悪感すら抱いてしまう。
何をどうすれば人の体はあんな風になってしまうのか。
明らかに理性の無い、獣染みた叫びを上げ続けるあの異形。
そして何よりも、、、
その全てからあれが女であるという事が分かってしまうという事。
あの異形は、あれだけの変容を遂げてなお、どう見ても女性であるのだ。
服など一切纏っていないのはあの姿からして当然はあるけれど、そのせいで全てが見えてしまう。
頭髪は何年も伸ばしているかのように、あれだけの巨体となっているにも拘らず地面まで届くほどに伸びているし、敢えて触れはしなかったけど、乳房なんて彼女の頭よりも巨大に膨れ上がっていた。
そして、男なら必ずあるはずの股間の物は当然見当たらず、、、
まぁ、この姿に劣情を催す様な人間はどう考えても存在しないだろうけども。
ここまで彼女の姿を観察して、あまりにも恐ろしい考えが過ってしまう。
いや、恐らく私のその考えは正しいのだろう。
あの異形の女性は、確実に普通の人から変容させられた存在だ。
理屈は分からないし、理由なんて知りたくも無い。
けれど、分かる。
分かってしまう。
本来の彼女は極普通の人間だった。
それを、あのような何かになった、或いはされた。
じゃあ、何故分かるのか。
その答えは、実に簡単。
彼女は聖痕を持っている。
何故彼女が声を上げているのか、なんて分かり切った事。
聖痕が反応しているのだ。
その右目に浮かび上がっている聖痕が、私の聖痕と共鳴している。
そして、これは理由が分からないけれど、そのせいで彼女は苦しんでいるのだ。
そして、一頻り叫び続けた彼女が唐突に動きを止め、、、
迷いなく私を見つめた。
その瞬間、全身に緊張が走った。
理性なんて無いはずのその瞳の、聖痕が浮かぶ右目に赤い光が宿り。
直後、私は瓦礫に吹き飛ばされた。
防御も受け身も出来なかった。
いや、そもそも何が起きたのかすら理解できなかった。
全身に激痛が走り、視界が明滅する。
その中で辛うじて見えたのは、さっきまで私が立っていた辺りに彼女が立っていた事だった。
地面に埋まった右腕をゆっくりと引き抜いているという事はつまり、目にも留まらぬ速さで私に近付き、その右腕で私を殴り飛ばしたのだろう。
でも、その動作のどれもが捉えられなかった。
勿論、油断したわけではない。
あの異形に多少は呆けていたのは確かだけど、それでも警戒はしてた。
にも拘らず、私は無様にも無防備に一撃を喰らった。
僅かでも意識を向けていたからこそまだ生きているし、でなければ私は確実に死んでいた。
惜しむ事無く回復を掛け、瓦礫から飛び出す。
直後に背後が爆ぜ、異形の女がまたしても腕を振り下ろしているのが視界の端に写る。
(速過ぎる!そもそも動き出す瞬間すら捉えられないなんて!)
内心の焦りを抑えつつ、左目の聖痕を全開にする。
途端、あの異形の体の内面までが把握できてしまい、強烈な頭痛に襲われ胃の中の物を吐き出す。
何度も咳き込みながら左目に魔力を流すのを止める。
「何なのよ、コレは!」
行き場の無い感情に堪らず怒鳴り散らし、その声に反応するかのように異形の女がゆっくりとこちらに振り返る。
本能的に危険を察し、その場から跳ねる様に逃げる。
今度は奴の動きが捉えられたけど、それも直後に吹き飛んでしまう。
何せ、あの巨体がまるで弾むように角度を変え、跳び離れた私に向かってきたのだ。
咄嗟に障壁を張って一撃に備え、
「ウソ、、、」
奴は巨大な両手を硬く握り締め、体が仰け反る程に大きく振り被り。
次の瞬間、爆発が起きた。
いや、実際に炎が上がった訳ではない。
でも、そうとしか言えない程の衝撃と破砕音が轟き、障壁は紙屑の如く砕け私は噴水の向こう側まで呆気なく吹き飛ばされた。
幾つもの瓦礫を突き抜け、ようやく地面に落ちた後も何度も転がり、意識が朦朧とする中辛うじて体が止まったのだけ感じた。
最早呻く事すら出来ない程の負傷。
頭だけを何とか動かし、こちらにゆっくりと近付いてくる巨体を視界に入れる。
薄れゆく意識の中、その巨体の傍に別の誰かが居るような気がして、だけどそれを考える間もなく私は気を失った。