110 プロローグ・彼方の地
自分の身に何が起きたのか、目の前の光景を眺めてあの瞬間を思い出す。
イングズ共和国での騒ぎの最後、私は確かに油断していたのだろう。
とは言え、まさか死体が動くなんて夢にも思わなかった。
木々が立ち並ぶ林の中、ゼイオスは確かに死んでいた。
私がその体を鎌で袈裟に切り裂いたのだから。
奴の気配は確かに失せ、その体はただの肉の塊へと成り果てた。
なのに、その後に奴はまるで初めからそこに居たかのように私の背後にいた。
それだけならまだしも、私はハッキリとその声を聞いた。
「転移開始、、、か」
細かい事は一先ず置いとくとして、私が対峙した人物、即ちウルギス帝国皇帝、ゼイオス・ゲルン・ウルギスは私の手により死にはしたものの、何かしらの手段でその体は動き、私諸共転移魔導具で移動したのだろう。
そのゼイオスの死体はここにはないけれど、ならばそれは本来行き付くべき場所に転移した事に他ならない。
かく言う私はどこに居るのかというと、自分でも分からない、というのが正直な本音でもある。
目の前に広がるのは広大な海。
それだけならまだ考察の余地もあったのだけど、、、
「はぁ、、、認めたくないけど、、、」
意味も無く独り言ち、後ろを振り返る。
そこに広がるのは一面の荒野。
所々に緑や木々は見えるけど、それでもほんの僅かと言える程度でしかない。
加えて、それ以外にも目を引く光景が視界の端に写り込む。
それを横目に私は空を仰ぎ、そのまま地面を睨んで溜め息を吐く。
「ここ、西大陸じゃない」
中央大陸を上回る広大な大地、そしてそこに広がる荒野、極めつけが、、、
西大陸。
元々そこは肥沃な大地とそれに支えられた豊かな緑、そしてそこを中心に幾つかの国が並び立つ平和な場所だったという。
ところが、ある時その国の中の一つが突如として周辺国に対して侵略を始めた。
当初こそ、他の国が連合を組んで対抗していたが、やがてそれも崩れ去る。
自らを帝国と称したその国は未知の技術で一騎当千の兵士を生み出し、瞬く間に多くの国が飲み込まれた。
幸いと言うべきか、世界に魔王と言う共通の敵が現れた事で帝国は侵略を中断。
魔王の脅威が消え去った後も、その影響は色濃く残り帝国は動きを見せなかった。
そうして時は経ち、今から数年前。
前皇帝が崩御し、新たにその息子である男が皇帝の座に就いた。
幼い頃より才覚を発揮し、帝国に改革を齎し、牙を研ぎ続けた飢えた獣。
その男の名を、ゼイオス・ゲルン・ウルギスと言った。
ゼイオスは皇太子である内から各方面に働き掛け、影響力を持つようになっていった。
中には表に出てこないような組織もあるのでは、と多くの国が間者を送り込み、その悉くが戻る事は無かった。
しかしながら、即位直後はそれでも残された小国は中央大陸と交易を続け、そのお陰である程度は帝国の情勢も窺い知る事が出来ていた。
それさえも叶わなくなったのが今から三年ほど前。
突如、西大陸全土が船を受け入れなくなり、完全に封鎖された。
同時に、中央と西を隔てる海を命懸けで渡る西大陸の人々が現れる様になった。
誰もが無事と言えない有様で流れ着き、辛うじて息のある者もその全てが間もなく息を引き取っていった。
そして、その誰もが口を揃えて放った言葉がある。
・・・帝国は西大陸を征した、、、悍ましい力を手にして・・・
私がフェオールで、聖女としてお勉強させられていた頃に学んだ事だ。
正直、どうでもよかったからその大半を聞き流していたけれど、その時一つだけ気になる事があった。
即ち、帝国が再び西大陸制覇に動き出した時機だ。
当時の時間で言うと、確か二年程前とか言っていた覚えがある。
まぁどちらにしろ、それの何が気になるかというと。
「私がフェオールに見つかって、大々的に聖女発見が喧伝された頃に、帝国は動き出した」
今の今まで全然気にしてなかった、というか完全に忘れていたんだけど、、、
もしも、帝国が私の想像通りの事をしていたとしたら、その狙いは一つしかない。
それを思うだけで心底イヤになるけれど、それでもこんな状況に陥ってはいよいよ認める他無い。
そうでなければ、私は今ここには居ないのだから。
「初めから、帝国は私を狙っていた。聖痕の聖女であるこの私を、、、」
言葉にしてみて、これまでの事にも辻褄が合ってしまうと感じる。
行く先々で偶然、騒動に巻き込まれてきたのではない。
全ては私を狙って引き起こされたのだ。
勿論、そもそも私の存在が明るみになる前から帝国は活動していたのも事実ではあるのだけど、連中はそれらをも効果的に利用していたのだろう。
だからこそ、臨機応変に私は追い立てられた。
逃げていた、旅をしていた、それすらも利用された。
その極めつけこそが、イングスでの皇帝との邂逅だ。
そうなる様に仕向けられ、一矢報いたと思ったその矢先に、、、
未だに燻りの煙を上げる建物を見つめ、その先に広がる光景に顔を顰める。
小さな村だったのだろうそこは、崩れた家々と、そこかしこに転がる死体だけが残されていた。