105 イングズの行く末
日が暮れて、私達はハルヴィルの屋敷に戻ってきている。
何故かというと、彼の皇帝がそう命じたからだ。
何と言うか、建前的に議員達を人質として、その身の安全と引き換えに外へ出る様に告げてきたのだ。
そしてその際に唯一解放された人が居た。
「養父上、ご無事で何よりでした」
「ああ、よもやこのような事になるなど思いもしなかったがな。しかし、お前も無事で良かった」
ハルヴィルの養父である前ディートリオン家当主。
そして先刻、皇帝がハルヴィルを王子と呼んだ際にそれを止めようと叫んだ人でもある。
向かい合って互いの無事を確認し合う二人を見て、当然の如く浮かぶ疑問があった。
それが顔に出ていたのだろう、私の隣で同じく二人を見つめていたメイルがそっと耳打ちしてきた。
「お気付きの通りあのお二人は実の親子ではありません。流石に詳細は語れませんが」
目の前の親子は纏う雰囲気や言動こそは同じ教育を受けた者として共通しているのだけど、その容姿がまるで似ても似つかない。
それはつまり、ハルヴィルはこのディートリオン家にやってきた養子なのだろう。
そしてあの時の皇帝ゼイオスが言い放った言葉。
(旧王家の血、ねぇ。だから聖痕なんて持っていたのかしら。まぁ偶然の可能性もあり得るけれど)
とは言え、あまり首を突っ込みたくない話ではある。
この場に居る時点でそれはもう叶わない望みではあるけれども。
ボケっと考えに耽っているとようやく落ち着いたのか、件の親子がこちらに向き直る。
「まだ全てが終わった訳ではありませんが、養父が無事だったのは幸いです。これもリターニアさんのお陰です」
「お噂は聞き及んでおります。しかしまさか倅とお知り合いとは夢にも思いませんで。ともあれ、まずは御礼を。しかしながらまだ終わりではありません」
「ええ、あの皇帝とか言うのを何とかしないと。ていうか、あれは本当に皇帝本人なの?」
あれだけ堂々と名乗ったとはいえ、そもそも私はかの皇帝陛下の顔すら知らない。
一応、フェオールで教育を受けていた時に世界各国の権力者に関しても学びはしたし、当然ウルギス帝国の皇帝の名もその時に聞き及んでいる。
でも、それだけでもある。
顔や声は勿論、その姿すら見た事も無い。
いや、もしかしたら絵姿位なら他の国の人々と一緒に見た事はあるかもしれないけれど、、、
あの頃はあらゆる物に興味が無かったからなぁ、なんて少し遠い目になりつつ意識を現実に引き戻す。
「十年ほど前になりますが一度だけ、戴冠式の際に。あ奴は間違いなく皇帝本人、なのですが、、、」
あの人物が皇帝であると証言してくれたハルヴィルの養父上が歯切れの悪い物言いになっていく。
「何か不審な点があるのですか、養父上」
「耄碌したつもりはないが、しかしあの容姿。まるで変わっていないのだ」
顎に手を当て、目を閉じて記憶を探る彼が何度か唸り、ややあって目を開く。
「ああ、やはり間違いない。我らの前に現れた皇帝ゼイオス、十年前からまるで変わらない姿なのだ」
「姿が変わらない?それはどういう、、、」
「有り得なくはないかな。アイツ、聖痕の力を完全に制御している。その魔力を使えば、、、いえ、でもそれにしても何も感じなかったわね」
ハルヴィルの言葉に答えようとして、私も戸惑いに言葉が詰まってしまう。
聖痕が齎す膨大な魔力であれば肉体を変化させたり、逆に老化などを止める事だって出来なくはない。
その証拠に、百年以上前から生き続けていた奴だっていた訳だしね。
でも、それは自然の摂理に逆らう行いだ。
であれば、当然必要な魔力も桁違いだし、どれだけ隠しても分かる人は違和感を感じる。
アルジェンナ程にもなればそもそも生きていた時代が違う訳だし、元々魔力の扱いにも長けていたからこそ長きに渡り隠し通せていたのだろう。
けど、ゼイオスは違う。
聖痕をいつから制御しているかは分からないけど、あまりにも自然体過ぎる。
いや、魔力の扱いが上手いのか。
森で戦った時も、完全に気配を消して不意打ちを受けた位だし何かあるはず。
「いえ、今は悩んでる暇は無いわね。短いとは言え猶予は出来た。今の内に策を練らないと」
答えの出ない疑問に時間を割いてはいられない。
兎にも角にもまずは残りの人質の解放、そしてアグルへの対応だろう。
そしてその為にはまず片付けないといけない事がある。
「そうですな。そして、その為には」
養父上も同じことを考えていたのだろう、一度言葉を切って隣に並ぶハルヴィルを見つめる。
「お前の事も話さねばなるまい」
「養父上、、、孤児だった私を拾い上げて頂いた事は今でも感謝しています。ですが、皇帝の言っていた事は真実なのですか?だから、私には聖痕が宿っているのですか?」
その言葉に養父上が少しだけ目を見開く。
そうして少しだけ逡巡した後、彼は懐から何かを取り出した。
「、、、リターニア殿と出会っているならばこうなるのも必然の事か」
手に持ったそれを起動させると、深い溜息と共に、罪を告白するように口を開く。
「我が一族はな、かつてイングズ王に仕えていたのだ。ディートリオン家は代々、王家の血筋を護る盾の役目を賜っているのだ」