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ザーー……
「…あ」
激しい雨の音に誘われて、パチリと目を覚ます。
少々ぼやけた視界にまず入るのは、薄茶色の天井。見慣れた…そう、見慣れた天井だ。
いつものように、身体を起こしてベッドから降り…
「い゛い゛っ!!!」
…れなかった。
左足のあまりの痛みに人間の声とは思えない声が出て、即ベッドに戻る。
私が勝手にバタバタとやっていると、ペース早めの足音が響いてきて、扉が開く。
「グレーテル…!!!!」
彼にしては珍しい慌てぶりで私に近寄ると、彼は私の姿を何度も何度も上から下まで確認した後、ぎゅっと優しい強さで抱きしめた。
「お、起きてよかった…!」
「…ああ、えっと…」
寝起きでぼんやりとした頭が少しずつ晴れていく。
…そうだ、私は森の中でハンスに会って…その後…
「…ガ…ヘンゼルが助けてくれたんですか?」
「うん…」
「そう、だったんですね…」
「…すごく、すごくびっくりした…グレーテルの足が…」
「…」
…あんなの、二度と経験したくない。でも、なにより死なずにすんで本当によかった。
謝罪とお礼の言葉を述べると、ガトーは首を横に振り「もっとはやくに助けてあげられなくてごめんね…」となぜか逆に謝ってきた。いや今回の件はありとあらゆる点において100%全部私が悪いので…と今回の私の行動の問題点の数々を上げても、ガトーは「ごめんね…」を繰り返す。
なので、もうガトーを説得(?)するのは諦めて、別の話題にうつることにした。
「…えっと、私ってどれくらい眠っていたのでしょうか…?」
「三日間ぐらい…」
「なるほど…」
なかなか長い期間眠りについていたらしい。
道理で体がものすごくだるいし、うまく動かない。
「…その、足って…治りますかね」
私が左足の膝を撫でながら尋ねると、ガトーは「あっ…」「いや…」といった言葉にならない言葉をもらしつつ目線を地面に向けた。
そして、そんなことを数十秒ほど続けたあと、ゆっくりと口を開いた。
「…歩けるようには、なると思う」
…歩けるようには、か。
歩けるようには…ということは、もしかしたら走ることはもうできないのかもしれない。傷跡は確実に残るだろう。
でもまぁ…きっとかなりマシだ。生きてるだけラッキーって感じだろうし、最悪怪我した場所から下は切断…とかもありえたのだから、これはまだ…。
「その…その…ある程度よくなるまでは、なるべく動かないで。言ってくれれば僕がなんでもするから…」
「…すみません。ありがとうございます」
私のその言葉にガトーは小さく「ごめんね…」と返し、離れていた身体を再び寄せてぎゅっと私を腕の中に閉じ込めた。もう私はその謝罪の言葉を訂正する気にもなれなくて、ただ弱弱しい力でガトーのことを抱きしめ返す。
その抱擁は恋人同士がするような情熱的なものではないが、甘い慰めと仮初の安息を与えてくれる。
その日は、雨の音を聞きながら、二人でただぼんやりと一日を過ごした。
それからのガトーは、こちらが申し訳なさで逃げたくなるほど献身的で過保護だった。
それこそもう、ベットから降りるのを許さないというレベルで、私のすべてをやろうとするし、私になにもさせようとしなかった。おかげさまで体重がかなり増えた気がする。
ただ、いい加減私もなにもせずダラダラしているわけにもいかない。
私自身の問題もあるが…村のこともあるのだ…が、
「…足の痛みもなくなってきたので、そろそろ活動したいんですが…」
「だめ」
…と、ずっとこんな調子だ。
ガトーはこのまま私をベッドから降ろさないつもりなのではないかと、あらぬ疑惑すら浮上してくる。このベッドから云々はちょっと色っぽい意味にも聞こえるかもしれないが、もちろん私の現状には色気のカラーの字すらない。
ガトーに黙って歩こうとすれば血相変えて駆け寄ってくるし、リハビリのようなことすらさせてもらえない。本当にこのままだと歩けなくなってしまう。当然ながら、外にもずっと出してもらえていないので、今がいつごろの時期なのかもわからない。
それになにより…私の精神が問題だ。なにもすることがない分、常に村のことを考えてしまう。最初の頃は痛みのせいで意識もそれていたが、もうどうやっても意識から外れない。火事が起きた様子もないし、ガトーは私に付きっ切りで、本当に火事を防いでくれるつもりがあるのかもわからない。以前の約束を覚えているかと尋ねても、「うん」と軽く首を縦にふるだけですぐ流されてしまう。
不安はひたすらに増幅し、私の心を蝕んでいく。
ガトーのことは信じてるし、信じたい。信じたいけど、それでもなお不安が勝る。
だって、ガトーは私のことを思っているかもしれないけど、私と同じくらいに村のことを思ってくれているわけじゃない。彼は私と違って、村に対してなんの思い入れもないのだ。いかに馬鹿でクズな私だってそれぐらいわかっている。
だからとって私に何かできるかといえば、大したことはなにもできない。だけど、なにもしないわけにはいかない。
「…や、やめて…!まだ歩いちゃだめだよ…!グレーテル…!」
「すみません。でも、外に行きたいんです。行かせてください」
「そんな足で…外はまだはやいよ…!」
だから私は、長きに渡るベッド暮らしを無理やり卒業することに決めた。
ガトーには申し訳ないと思っている。思っているけれど、これ以上は私がもう耐えられないのだ。
足を引きずりながら玄関に向かおうとする私を、ガトーの手が必死で抑えようとする。でも、結局彼は優しいので、私のことを全力で抑えるなんてことはできない。柔らかく絡みつく腕を軽く払ってしまえばそれまでだ。
「そ、そんな足で山なんか歩けるわけない…!」
その通りかもしれない。
でも、私はなにかしなければいけないのだ。例えば、歩いていたら火事の元になるかもしれない小さな火を見つけられるかもしれない。そんな奇跡が起きる確率はほぼ0%かもしれないけれど、それでもそもそもやらなきゃそんな奇跡を起こせる確率も0なのだから、やらないよりはマシだ。
いや、何もかも全部言い訳かもしれない。私はただ、村の危機が迫っている中でじっとしていることがただただ恐ろしいのだ。
「お、お願いだよ…!グレーテル…!いかないで…!!」
「火事を…おこすわけにはいかないんです…!」
思わず零れてしまった言葉とともに、意図せずガトーの手を強めに振り払ってしまった。
そんな自分に少し驚きつつも、黙って玄関に向かって歩く。
するといつの間にか、先ほどまでは何度払っても伸びてきた腕はもう絡みついてこなくなっていた。その結果に少し申し訳なさを感じるが、今はその心に蓋をして私はまっすぐに玄関へと向かう。
そして、扉に手をかけて、
「…もう、火事は起こらないよ」
「…え?」
思わずガトーの方を振り返る。
彼は、ちょうど私が彼の手を振り払ったあたりに立っていた。立っていたというよりは、立ち尽くしていた。
「グレーテルが眠ってる時に、山のすごく奥のところで小さな火事が起きてた。すごく乾燥した日だったから…たぶん、葉っぱ同士が擦れあって起きたのかな。誰も気づいてなかったけど、僕の使い魔が教えてくれて…僕が、その火を消した」
…彼は今までにないぐらいに饒舌だ。だが、その言葉に嘘は感じられない。
「だから、もう火事は起こらない」
今度は私が立ち尽くす番だった。