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 ヘンゼルこと、ガトーとの生活は思いの他穏やかな生活だった



「…ごめん、グレーテル。庭からレモングラスとスペアミントをいくつかとってきて…ほしいな」

「はい、わかりました」


 笑顔で私が答えると、瞳をきょどきょどとさせていたガトーは安心したように口元を少し弛め、小さく頷く。そして、決して溶けないチョコレートで編まれた籠を渡してくれる。それを受け取り庭に出ると、指定されたハーブを摘み始める。

 彼は昼間あまり外に出るのが好きではないようで、庭でなにか取ってくる…などという軽い仕事は私によく任された。彼は自分のことはなんでも自分でやってしまうし、私のことも果てしなく気遣ってくれる。なので、「仕事をさせてくれ」と押し掛けたはいいものの、仕事っぽい仕事は正直これぐらいしかない。むしろ私がいることで、ガトーの仕事を増やしている気がする。


 そんな私でも迷惑がらずに家に置いてくれるガトーは…本当に穏やかな青年だった。

 悪役だとはとても思えないぐらいに。毎朝、苺ジャムがたっぷりとのった食パンを一枚食べて、食後は家の周りに集まる小鳥たちにパンくずを分け与えて穏やかな一時をすごす。その後は家事をしたり、本を読んだり、よくわからない薬をつくったり、薬草を採取したり…。

 …穏やかな普通の青年にしか見えない。植物や小動物を愛でる姿は、そこらにいる人間よりもよっぽど慈悲深いものに見えたし、より善に近い存在にしか見えない。彼の心は、彼の髪の色と同じように真っ白で穢れのない色をしていた。


 …だから私は今更ながら後悔し始めてしまった。彼を利用しようと近づいたことを。

 本当に、本当に善良で純粋な青年にしか見えないのだ。たしかに彼が悪役どもの中では、全然まともな性格をしているのは、漫画を読んでいたしもちろん知っていた。でも知っているだけだった。私は彼が人間であることを少しも理解していなかった。彼は間違いなく少女漫画の登場人物だったし、この世界での悪役だ。だけど、そんなこと彼を構成する一部でしかなかった。次元や偏見というフィルターがあればそういうものかと受け入れられた彼の境遇も、今の私には…それが少し難しかった。

 そう、彼が善良なだけだったら私はこんなに後悔しなかっただろう。私の罪悪感を刺激するのは、その善良な青年の孤独な境遇を利用したこと。

 

 そしてなにより、彼にもたらされるはずだった救済の道(ヒロインとの出会い)を奪ってしまったことだ。


「…テル?グレーテル…?」

「わっ!」

「えっ」


 ガトーがいつの間にか目の前にいた。全然気づかなかった。彼は気配がなくなることがしばしばある気がする。それとも私がぼーっとしすぎなだけ?


「あ、すみません。ぼーっとしていて」

「…こんなに…」

「え?」


 複雑そうな雰囲気を出すガトーの視線の先には私が摘んだハーブをいれていたチョコレートの籠。

 …ん?


「…あー…」


 これは明らかに摘み過ぎた。

 




 その後ガトーはなにも問題はないと私を慰めた後、ハーブティーを作ってくれた。彼のハーブティーはガトーの人柄を表すようにいつも優しい味がする。


「なんというか…本当にすみません」

「大丈夫…。気にしないで…」

「ここで働かせてくださいとかいったのに、働くどころかいつも手間増やしちゃって…」

「楽しいから…」


 …ごめんなさい。本当に。

 あなたはヒロインに救われるべき人間だった。だけど、たぶん…私がここにきてしまったから、あなたは一生ヒロインと出会うこともなくなってしまった。

 だって、ヒロインが来るはずの時期はもうとっくに過ぎている。これはきっと…私がここにいるというイレギュラーのせいで、運命がおかしくなってしまったのだ。いや、私はこうなることを薄々わかっていた。むしろヒロインが来たら無理やり追い返すつもりですらいた。


 …でも、今は救済者(ヒロイン)の存在を心の底から求めている。


「…ごめんなさい」

「本当に、大丈夫だから。乾燥してドライハーブにもできるし…」


 違うの。そうじゃないの。ハーブも申し訳ないけど…。

 いっそのこと、すべてをぶちまけてしまおうか。私の記憶喪失なんて嘘で、村を守ってもらうためにあなたの懐に潜り込んだと。この世界は少女漫画の世界だということも全部…


「グレーテルが摘んでくれたハーブでつくったお茶はおいしいから、いっぱいストックができてうれしいよ…」


 …嬉しそうにガトーが持ち上げるカップはボロボロ。だけど、私の前に置かれたカップは新品さながら。

 この家には同じような意匠のコップが数個ずつあるが、どれもその中の一つはボロボロでそれ以外は傷一つなく丁寧に管理されている。私に出されるのはいつもその傷一つないティーカップたちの方。

 …彼はずっと待っていた。おそろいのカップを使って一緒にお茶を飲んでくれる人が現れるのを。


 そんな彼に、言えるのか?残酷な真実を。やっと現れたその相手が、彼を利用するためだけに現れただなんて。しかも、これは彼を傷つけるだけじゃない。そんなことを言って村を守ってもらえなくなったらどうする?


 …いえない、言えるわけない。


「…そんな落ち込まないで。本当に…これでよかったんだから」


 ガトーは何も言わない私がまだハーブティーのことを気にしていると思ったらしく、優しい言葉をかけてくれる。


 だけど…なにもよくなんかない。あなたはずっと私に騙されている。





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