第七話 ヨーホー
バザーの大成功も足利の失敗で色褪せてしまった。しかしここで諦める訳にはいかなかった。
バザーの一件でさいたま教区の青年達も松が峰教会を見直し、足利教会の一件で太いパイプが出来、所沢教会と浦和教会と連絡を密に取り合う事が出来るようになった松が峰教会青年会はさいたま教区で裏で大きなミッションイベントが胎動し始めたことを知るのだった。
その名はネット・ワーク・ミーティング。
通称NWMと表記するこのイベントは全国各地の教区青年達が一箇所に百人以上が集まり、お互いに教会リーダーとしての活動報告や開催教区の青年達が企画した催し物で互いの交流を深める事を目的としたものであり、年二回日本の各地で行われているものだった。
さいたま教区としてもNWMを開催した事はあったのだが、十数年前と記録など無い状態でゼロベースからの叩き上げで行う事になった。
東京教区、京都教区はNWMの開催常連教区であり、他の教区は二、三回は行なっている事を見るといかにさいたま教区が出遅れている事が明白だった。
松が峰青年達も早速さいたま教区の決定権が存在する浦和教会へと飛んだ。
栃木県からは松が峰教会、今市教会、日光教会、鹿沼教会、栃木教会の青年達が集結し、茨城県からは一人、群馬県からは一人に留まり、さいたま県からは所沢教会二人、浦和教会は一人代表として参加するのであった。
第一回目となる今回は終始和やかな雰囲気で会議というよりお茶会の様だった。
しかし、亀裂は音も無く静かに入り始めた。
それからはというもの会議という名目で幾度と集められる割には、何も決定する事が無く、会議自体も進行役が居るにも関わらず、他の代表が進行中に藪から棒に口出しをして会議の進行が頓挫してしまう事が頻繁にあり、決して毎回の会議が実りあるものとはならなかった。
進行を変えた方が良いのではという意見もあったが、誰がやっても引きずり落とされてしまうような言い方に恐れ、誰も進行を変わる事が出来なかった。
松が峰教会青年も会議の質に苛立ちを覚えながらも、午前中に集まり、何も決まらないで夕方に終わりを迎えるこの集まりに少々を滅入っていた。
青年達は正直者である。
嫌なものにわざわざ一緒に立合う義務など、当たり前だがそんなものは存在しない。
会議の回数を増す毎に頻繁に来ていたある青年は回数が減り、会議中に圧迫的な質問され続けた青年は姿を消す事になった。
しかし何故だか会議後の飲み会は大いに盛り上がった。
青年達は会議では自分の意見を持ちながら、相手の意見尊重し過たり、この意見はこの会議の流れにはそぐわないのではという一抹の不安から何も言えなくなり結果として息が止まっている様な沈黙が何度も生まれ会議として成立しているのか分からない状態だったが、酒を交わしながらだと同じさいたま教区NWMを開催を夢見る同志、先にあるものは明るい未来だと信じ会話は賑やかに弾んでいた。
会議と飲み会は毎回セットになっていたが、何も学んでいないかの様に沈黙会議と快活飲み会を繰り返していくのだった。
会議に参加する度に大半は栃木県からの青年が多く、NWM終了後には栃木県青年会としても活動していきたいと語り合える程、横の繋がりが強くなり始めていた。