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そんなことを考えているうちに、夜会が行われているホールが騒がしくなった。
メイド姿のマリアンは、そっと控え室の噂に耳を傾ける。
ドリータ伯爵の令嬢がいなくなったと、王太子の婚約者であるミーナリアが探し回っているようだ。
彼らはそう噂されていた。
(大丈夫みたいね……)
それを聞いて、計画は順調のようだと安心する。
さらに、マリアンが庭に出ていたこと。
庭で、婚約者であるニースが他の女性と抱き合っていたことを、ひそひそと話す令嬢もいたようだ。
ミーナリアとリオがうまく誘導したこともあり、婚約者の浮気現場を見てしまい、ショックを受けて帰宅してしまったのではないか。
そういう噂が瞬く間に広がっているようだ。
(うん、先制攻撃は成功ね)
こうなってしまえば、いくらニールとエミリアが悲恋をアピールして純愛だと訴えても、最初に婚約者であるマリアンを傷つけてしまった事実がある。
あとはうまく王城から抜け出して、公爵家に匿ってもらえばいい。
そのうちミーナリアが、マリアンが心配だから帰ると言ったらしく、周囲が急に慌ただしくなった。
マリアンの父としては、娘の身を心配するよりも、大袈裟に騒いでほしくないといった気持ちのほうが強いに違いない。
だが、いくら財を成そうとも、父は伯爵家当主でしかない。
王太子の婚約者で、サザリア公爵家の令嬢であるミーナリアを窘めることはできない。
リオはまだ残るようだが、ミーナリアは王太子の許可が出て退出することになったようだ。
マリアンは彼女のお付きのメイドとして、誰にも咎められずに一緒に王城から出ることができた。
「とりあえず、これで安心ね」
公爵家の馬車に乗り込んだあと、ミーナリアはそう言って微笑んだ。
「あの二人、自分達が思っていた状況と違うものだから、かなり焦っていたみたいよ。こんなはずじゃなかったのに、と呟いていたから、彼らにも作戦があったみたいね」
「作戦、ですか?」
「ええ。あなたを悪役にしたいのなら、二人の逢瀬を見たあなたが怒って、彼女に危害を加えようとする。それをニースが庇う、という構造かしら?」
恋愛小説では、だいたいそんな流れだとミーナリアは言う。
「さすがに、そこまでの情熱はないわ。それに、恋愛感情がないとはいえ、他の女性と二人きりで抱き合っているなんて、不誠実な行為よ。怒るのは当然の権利だと思う」
危害を加えるつもりはないが、抗議はする。
婚約者として当然の権利だと思うが、彼らの中では違うのだろうか。
ミーナリアも頷いた。
「そうね。私もロランド様が他の女性と抱き合っていたら、抗議して、さらにお父様とお兄様に訴えるわ」
そんなことにはならないだろう、とマリアンは思う。
王太子のロランドはとても誠実で、ミーナリアのことも大切にしている。他の令嬢に話しかけられただけで、不機嫌になるくらいだ。
「あれからどうなったのかは、あとでお兄様に聞きましょう。私達は、置き手紙の用意をしなくてはね」
「そうね。でも、やっぱりニースのことが好きだった前提じゃないと、だめかしら?」
「ええ。そのほうが効果は上がるわ」
サザリア公爵家の邸宅に到着したあと、マリアンはミーナリアに連れられて、そのまま彼女の部屋に向かった。
ミーナリアが夜会のドレスから部屋着に着替えている間、メイドがお茶を淹れてくれたので、有り難く頂くことにした。
ミーナリアの部屋は、公爵令嬢のものというよりも、書斎のようだ。
四方を本棚で囲まれ、そこには本がびっしりと詰め込まれている。
(……また増えたわね)
このすべてが、恋愛小説なのだ。
ミーナリアの母である公爵夫人は、彼女が幼い頃に亡くなっており、父親は政務が忙しくてほとんどこの屋敷に帰ることはないと聞いている。一緒に暮らしている兄のリオがミーナリアに甘いものだから、本は増える一方のようだ。
「マリアンも着替えなくてはね」
「いえ、このままでいいです。メイドのほうが目立ちませんし」
それに、サザリア公爵家のメイド服はなかなか可愛らしくて気に入っていた。
「そう? それならいいのだけれど」
着替えてきたミーナリアも、マリアンと一緒にお茶を飲む。
「今後のことはお兄様が帰ってきてから相談することにして、まずは置き手紙ね。参考にしてほしいのは、これと、あれと……」
ミーナリアはそう言いながら、五、六冊の本をマリアンの目の前に差し出す。
「こ、こんなに?」
「ええ。もちろん、該当部分だけでいいの。どんな手紙が効果的なのか、知っておかないとね」
ミーナリアに指定されたところを次々と読み進めていく。それを参考にして、何とか置き手紙を書き上げることができた。
「うん、完璧ね」
手紙を読み直したミーナリアは、そう言って微笑む。
「明日も王城で夜会が開かれるわ。若い人達だけの交流会だから、多少のことは大目に見てもらえるはずよ。これを持って、ニースに詰め寄るわ。どんな言い訳をするのか、見物ね」
マリアンは、無理を言って明日もメイドとして同行させてもらえないか、頼んでみた。
迷惑をかけてしまうことになるが、この婚約の結末を見届けたいと思ったのだ。
「……そうね。少し変装してもらうことになると思うけれど」
「ありがとう。無理ばかり言って、ごめんなさい」
「何を言っているの。私とお兄様は、何があってもあなたの味方よ」
ありがとう、ともう一度マリアンは言った。この二人だけは、自分の味方だと信じることができる。
だがこの日、リオが屋敷に戻ったのは真夜中過ぎだったようで、あれからどうなったのか聞くことはできなかった。