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「ええと、とりあえずお二人とも、アレをご覧になりましたか?」
とにかく作戦会議をしなければと、そう尋ねる。
「もちろんです。扇子を投げつけてしまおうかと思いましたわ」
ミーナリアがそう言いながら、彼らがいた方向を睨んだ。
「ああ。俺も、庭園ごと焼き払ってしまおうかと思ったよ」
ミーナリアと違って、リオの声は本気だった。
今にも実行してしまいそうで、少し怖いくらいだ。
「いえ、それ普通に反逆罪で捕まりますからね?」
ここは王城の庭園だということを、どうか忘れないでほしい。
「最初は芝居の稽古かと思ったのですが、どうやらふたりとも本気のようです。でも、ああいったシチュエーションって、みんな好きですよね?」
恋愛小説好きのミーナリアに尋ねると、彼女はしばらく考え込んで、そうね、と呟いた。
「たしかに悲恋や権力に引き裂かれる運命の恋人同士の話は、好きな人が多いわ。でも、それは小説だから許されることであって、実際はただの浮気、不倫でしかないわね」
きっぱりとそう言った彼女は、やはり常識人だ。
「でもそういう人、多いと思うんです。こんなことがあったとしても、あの父が婚約を解消してくれるとは思えないし、このまま結婚したら、私が悪役にされてしまうのではないかと思って……」
むしろこのまま結婚したら、ますます盛り上がりそうな二人だ。
浮気された挙句、悪役にまでされるなんて、絶対に嫌だった。
そこで、作戦会議である。
恋愛小説をかなり読んでいるミーナリアなら、何か良い考えが浮かぶのではないか。
「つまり、世間を味方に付けたいということね?」
すぐにこちらの言いたいことを理解してくれたミーナリアの言葉に、こくりと頷く。
「はい。結婚を回避して、あの二人にも反省してもらえたら一番なのですが」
「……そうねぇ」
しばらく考え込んでいたミーナリアは、何かを思いついた様子で笑顔になった。
「マリアン、失踪しましょう」
「……失踪、ですか?」
「ええ、そうよ。この間読んだ小説に、そんな場面がありました。ヒロインは、愛する人の愛が自分ではなく友人に向けられていると知り、二人が幸せになれるように、姿を消すの。ヒロインの健気さに感動しましたわ」
そしてヒーローはヒロインの愛の深さを知り、自分だけ幸せになることはできないと、友人と別れることを選ぶ。
そうして、いつもヒロインの優しさに救われていたことを知って、彼女を探す旅に出た。
「……探してほしくはないですけど、それなら、私が悪役になることはなさそうですね」
これならむしろ、ヒロインの愛を裏切ったヒーローと友人の方が悪く思える。
「だが小説と違って失踪だけだと、動機がはっきりせずに大事になってしまう可能性がある。事情を書いた置き手紙などがあれば、完璧だな」
「ええ、そうですわね、お兄様」
マリアンもリオの言葉に頷くが、問題はその手紙をどこに置いておくかだ。
「でも、自分の部屋に置いただけでは、お父様が揉み消してしまうかもしれないわ」
「……そうね。だったら私宛に送ったことにしましょう。あなたの置き手紙を、私が公表すればいいのよ」
いかに父といえど、サザリア公爵家の令嬢で、王太子の婚約者であるミーナリアの言葉を否定することはできないだろう。
それがよさそうだと、マリアンも頷いた。
「わかりました。では、置き手紙を書いて失踪することにします」
婚約者の浮気現場を目撃したあとに失踪したほうが、信憑性が増す。
だから手紙の内容は後で相談することにして、とりあえず今すぐに身を隠さなければならない。
「お父様に見つからない場所に隠れないと」
「手紙のことや、今後のことも話し合う必要があるから、私の屋敷に行きましょう」
いいのかと聞けば、彼女は満面の笑顔でもちろんだと言った。
彼女の提案通り、マリアンはミーナリアのメイドと服を交換して、サザリア公爵家に匿ってもらうことにした。
マリアンのドレスを着た侍女が、目撃情報を残しながらも、上手く王城から姿を消してくれるそうだ。
「ひとりで大丈夫かしら?」
ドレス姿で王城の外をひとりで歩くのは、危険かもしれない。
身代わりになってくれたメイドの身を心配するが、ミーナリアは大丈夫だと言ってくれた。
「彼女は私の護衛でもあるの。だから心配しないで」
身代わりになってくれたのは、戦えるメイドらしい。
それならひとりで町を歩いても大丈夫かもしれないと、安堵する。
さすがに身代わりになってくれた人が危険な目に合うようなことがあれば、彼女にもミーナリアにも申し訳なかった。
ミーナリアはリオと夜会に戻り、マリアンを見なかったかと、さりげなく色々な人に尋ねてくれるようだ。
彼女は王太子の婚約者なので、早々に退出するわけにはいかない。
だからマリアンも他のメイドたちと一緒に、使用人達の控え室で彼女の帰りを待つことになる。
でも事情を知っているメイドが何人か一緒なので、不安に思うことはなかった。
マリアンはメイド服に着替えると、控え室に行く前に、鏡の前に立ってじっくりと自分の姿を眺めてみる。
(王城を出るまで、知り合いに会わないようにしないと)
黒い髪に緑色の瞳。
どちらも珍しい色ではないし、顔立ちは平凡だと、自分では思っている。だからメイド服を着て紛れ込んでしまえば、よほど近寄らない限り、わからないのではないかと思う。
(うん、大丈夫そうね。待っている間に、置き手紙の文面でも考えないと)
マリアンはもう一度、設定をよく思い出してみる。
ふたりの幸せのために身を引くからには、ニールのことを好きだという前提なのだろう。
彼のことをそんなふうに思ったことは一度もないが、やはり小説は物語でしかない、と思う。
(だって、もし私がニースを好きだったとしても、あの場面を見てしまったら、その恋も一瞬で冷めてしまうと思う)
何せマリアンと結婚するのは、彼にとって「過酷な運命」らしいのだから。