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「ああ、ニース様。たとえお傍にいられなくても、私の愛は、永遠にあなたのものです」
マリアンが考え込んでいる間もふたりは盛り上がっているようで、今度はエミリアのそんな声が聞こえてきた。
(もしかして、本当にお芝居の稽古だったりして……)
思わずそんなことを考えて周囲を見渡してしまうくらい、エミリアも熱のこもったセリフを口にしている。ある意味、お似合いのカップルかもしれない。
そんなことを考えたら、急に何もかも嫌になってしまった。
マリアンの友人もそうであるように、今、貴族の女性達の間では、恋愛小説が流行っているのだ。
悲劇的な運命に引き裂かれた運命の恋人の話なんて、大抵の女性は夢中になってしまうだろう。
つまり、このふたりの恋もそんな恋愛小説のように、悲恋として、美談として噂になってしまう恐れがある。
冗談ではない、と思う。
婚約者がいるのに、他の女性に愛を囁くような行為を、美談にしないでほしい。これには、マリアンがニースを幼馴染としてしか見ていないことや、政略結婚であることなど関係ない。
モラルの問題である。
そんな人と結婚するのも嫌だし、このままだとマリアンは、運命のふたりを引き裂いた悪役令嬢になってしまう。
ニースとの結婚を回避し、脳内お花畑のふたりに自分達がどれだけ愚かだったのか、思い知らせてやりたい。
(それには、どうしたらいいのかしら……)
下手に強硬手段を取ると、こちらが悪役にされるだけだ。
しばらく思案していると、ふいに名前を呼ぶ声がした。
「マリアン?」
顔を上げると友人のミーナリアが、彼女の兄と一緒に立っていた。
心配そうな顔をしているところを見ると、ふたりも「あれ」を見てしまったようだ。
「あら、ミーナ様」
ミーナリアは公爵令嬢で、王太子である第一王子の婚約者だ。
少しきつめの顔立ちだがとても美人で、マリアンとは長い付き合いの友人である。
彼女もまた恋愛小説が大好きで、周囲に隠れてたくさん読んでいることを知っている。だが、現実と小説を混同してしまうような人ではないので、相談するには最適かもしれない。
「ちょうど良いところに。少し相談があるの」
「ああ、マリアン。かわいそうに。あのふたりに報復するなら、喜んで力を貸すわ」
ミーナリアはそう言って、マリアンの両手をぎゅっと握りしめた。
「物理的に消すなら、良い暗殺業者を紹介するぞ。金さえ払えば、何でもしてくれる」
そんな物騒な言葉を口にしたのは、ミーナリアの兄で、サザリア公爵家の後継者であるリオだ。
サザリア公爵家だけは敵に回してはいけない。
そう思いながら、とりあえず今は、物理的には考えていません、と小さく答えた。
とにかく場所を移動して話し合うことにして、マリアンはミーナリアとリオと一緒に、庭園の隅に移動した。
「今さらだけど、ごめんなさい。何だか巻き込んでしまって」
そう謝罪すると、何を言っているの、とミーナリアは、綺麗な顔を歪めて怒る。
「あなたは私の親友なのよ? 助けるのは当然だわ」
「ミーナの言う通りだ。今度は俺達が君を助ける番だ」
銀髪碧眼の美しい兄妹は、そう言ってマリアンを励ましてくれた。
「……ありがとう。とても心強いわ」
冷静に対応していたとはいえ、さすがに婚約者の裏切りは想定していなかっただけに、少しだけショックだったのも事実。そんな傷ついた心が、その優しさに癒されていく。
ふたりとの出会いは、まだミーナリアが、王太子であるロランドの婚約者候補だったときのことだ。
当初、王太子の婚約者候補たちの争いはかなり熾烈だった。
マリアンは、自分は関係のない身分で本当によかったと安堵したくらいだ。
その中でも集中砲火を受けていたのは、最有力候補と言われているミーナリアだった。
もちろんサザリア公爵家の令嬢である彼女に、表立った嫌がらせなどできるはずがない。
だから他の候補者達がしたのは、地味な嫌がらせだった。
貴族の令息、令嬢達が通う学園で、ミーナリアの私物を隠すだけ。
もし咎められても、学園内での嫌がらせであり、叱咤されるだけですむ。
だが、ミーナリアにしてみれば大切にしていたものが次々となくなるのだ。マリアンが見かけたときも、大切な小説を池の中に落とされて、落ち込んでいた。
さすがにあれはひどいと、池の中に手を入れてそれを拾い上げた。
「……これではもう読めませんね。ひどいことを」
「せっかくお兄様が、隣国から買ってきてくださった最新刊なのに……」
制服が濡れるのも気にせず、水浸しの本を抱きしめた彼女が気の毒になって、思わずこう言った。
「隣国の本でしたら、私もたくさん持っています。同じ本があるか探してみますね」
そう言うと、ミーナリアはぱっと顔を輝かせた。
「本当に? ありがとう。とても嬉しい……」
マリアンは、恋愛小説はあまり好まなかったが、従姉が好きで、読み終わった本をよくマリアンに送ってくれた。
読まずに大量に積んだままの本を見て、ミーナリアは歓喜の声を上げていた。
「これ、借りてもいいの? これも?」
「ええ、もちろんです。むしろ全部、持って行ってください」
公爵家の令嬢が手に入れられない本などなさそうなものだが、従姉は国内の恋愛小説はもう読みつくして、各国の本を取り寄せていたらしい。それで、一度読めばもう満足だからと、次々にマリアンに送りつけてくるのだ。
それをきっかけにミーナリアとは親しくなり、彼女の兄であるリオとも知り合いになった。