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「ああ、エミリア。たとえ過酷な運命がふたりを引き裂こうとも、私が愛しているのは、永遠に君だけだ」
まるで恋愛小説のようなセリフが聞こえてきて、マリアンは足をとめた。
(今のはいったい……)
一瞬、劇場にでも迷い込んでしまったのかと思うほど、芝居がかった言葉だった。
マリアンは、このララード王国の伯爵令嬢だ。
王城で開かれている夜会に参加している最中だったが、少し休憩をしようと庭園に出ていた。
季節は夏だったが、夜になれば涼しい風が吹く。
その風に身を任せて、しばらく目を閉じていた。
ところが、その庭園で逢引をしている者達と遭遇してしまったらしい。
しかも、自分に酔ったようなセリフから察するに、道ならぬ恋のようだ。
禁断の恋は燃え上がるもの。
恋愛小説が大好きな友人は、たしかそう言っていた。
そんなことを呑気に考えていたマリアンは、聞こえてきた名前に思わず足を止める。
「ああ、ニース様。わたくしも、あなたのことだけを……」
ニース・ディーダロイド。
ディーダロイド侯爵家の次男で、マリアンの婚約者の名前だった。
(えっ、あの恥ずかしいセリフ、ニースなの?)
ニースとマリアンは父親同士が親しい友人で、小さい頃から知っている幼馴染のような間柄だ。彼と結婚することは、父親同士の間で決まっていたらしく、ずっとそう言い聞かせられていた。
そのことに、特に不満はなかった。貴族の結婚などそんなものだ。
むしろ顔も知らない男性に嫁ぐよりは、幼い頃からよく知っているニースなら、苦労も少なそうだ。
そう思っていたのだが、どうやらニースは違っていたらしい。
最近忙しいと言ってまったくマリアンに会おうとしなかったのは、こういう事情があったということか。
(エミリアって、誰だったかしら?)
相手がニースだとわかると、女性の声も聞き覚えのあるような気がして、マリアンはそっと声のした方向に近寄る。
王城から零れた光が、庭園を照らしている。
その光の中に、一組の男女がいた。
ひとりは間違いなく、婚約者のニースだ。
金髪に、緑色の瞳。
背も高いし顔も整っていて、貴族令嬢の中ではそれなりに人気があるらしい。
そして彼がその腕に抱きしめているのは、茶色の髪をした地味な少女だ。
(ああ、ピエット子爵令嬢のエミリア様ね)
たしかに、見覚えのある女性だった。
おとなしく控えめで、さらに女性らしいと評判だった。
ただ女性達にはあまり評判は良くなく、男性の前では態度が違うとか、メイド達のような身分が下の人には冷たいとか、色々と言われている。
つまり、そういう人なのだろう。
そんなエミリアを抱きしめて、ニースは愛を告白している。
ふたりは恋仲であり、しかも王城で夜会が開かれている庭園でこんなことをしているということは、それを隠すつもりは一切ないと言うことだ。
(……というか、ここって王城のホールからよく見えるような)
隠すつもりどころか、もはや見せつけている状態だ。
ホールにいる全員に見られるようなことにはならないと思うが、それでもマリアンの他にも、ふたりに気が付いた人はいるだろう。
(これで婚約を解消……とは、ならないかもしれないわね)
マリアンは、ふたりに気付かれないように溜息をついた。
普通なら、こんなに堂々と結婚前から浮気をされてしまったら、即座に婚約破棄を突き付けたいところだ。
でも、そうすることはできない。
親しい友人である父親同士が決めたこの結婚には、一見、あまり深い意味はないように思える。
だが、実は互いの利害関係が絡んだ複雑なものなのだ。
爵位はニースの実家である、ディーダロイド侯爵家の方が上である。
しかしディーダロイド侯爵家はあまり金銭的に余裕がなく、切迫している状態だ。
それでもニースの姉であるリエッタは、第二王子であるクレートとかなり親しく、ほぼ彼の婚約者に決まっていると言われていた。
ディーダロイド侯爵としては、何としても王家に娘を嫁がせたいところだが、そのためにはかなりの資金が必要となる。
婚約者に選ばれるには、第二王子の生母に定期的に贈り物をしたり、リエッタが孤立しないように他の令嬢達を招いて、お茶会を開催しなければならない。
そのためのドレスも必要だし、クレートから招かれたら、夜会にも頻繁に参加する必要があった。
そこで、マリアンの父であるドリータ伯爵の手助けが必要になるのだ。
ドリータ伯爵は領地に大きな港があり、さらに宝石が採れる鉱山も所有している。
爵位は伯爵家だが、公爵家に勝るとも劣らない資産を持っていた。
人を遥かに上回る資産を手に入れたら、次に欲しくなるのは権力である。父は、マリアンを第二王子妃の義妹にしたいと考えていた。
そのために、ディーダロイド侯爵家に多額の資金援助をしているようだ。
それを無駄にするよりは、多少の浮気など目を瞑れと言って、ニースにマリアンを嫁がせるだろう。
だがこんな状態で結婚しても、エミリアに恋をしているニースが、マリアンを受け入れるはずがない。
(むしろ家のために結婚したけれど、本当に愛するのは君だけだ、とか言って、さらに盛り上がりそうなのよね……)
ただの浮気、不倫がなぜか、当人達の中では悲恋、純愛に変化してしまうのだから、不思議なものである。