Sleeping Phantasos
ある国に、この世の者とは思えない美しさを持つ姫がいました。彼女の名はパンタソス、女神に愛されし祝福された姫です。
パンタソスの父である王と母である王妃は二人の間になかなか子供が出来ない事を悩んでいましたが、突然池の中から蛙が現れこう言ったのです。
「最も陽が長い日に銀の円が輝く夜、あなた達は娘を授かるでしょう」
そう予言した蛙は言い終えると力尽き、王と王妃は驚きのあまり声すら出せませんでした。ですが、しばらくしてから喜びが押し寄せ、二人はその日が来るのを楽しみに笑顔になるのでした。
そして、彼女が生まれる前日……王と王妃は念願の子の誕生に盛大なパーティーを開き、数多の貴族や賢者……そして、魔女を招きました。
この国に存在する偉大な魔女は八人。しかし、呼ばれた魔女は七人でした。魔女のために用意された魔力を帯びた金の食器が足りなかったのです。
王に招かれた魔女たちは姫の誕生を祝い、各々祝福を与えていきます。絹のように美しい銀髪、ルビーの輝きを秘めた赤い瞳、子鹿のようなまつ毛、ヒバリにも負けない美声、陶器のような滑らかな肌、青き血が透ける白さ、細く長い手足……祝福を受けた姫は魔女の言う通り美しく育つ事でしょう。
魔女たちの祝福を終え、パーティーも終わりを迎えようという時、会場の入り口の扉が開き、一人の魔女が姿を現します。彼女は食器が足りずに呼ばれなかった魔女、この国で最強の魔女です。彼女は強すぎるが故に忌み嫌われていたのです。自分だけが呼ばれなかった事を知った彼女は怒り狂い、数多の祝福を受けた姫を呪いに来たのです。
「この娘は清く正しく美しく健やかに育つことでしょう……そう、15歳までは」
魔女は不敵な笑みを浮かべ、王と王妃に憎悪の炎を燃やしながら言うのです。
「誰もが羨む美しい姫として十五歳の誕生日を迎える日、この娘は糸車の針に刺され…………そして、死ぬ!」
この呪いには会場にいた誰もが驚き、そして恐れました。魔女の力は絶大で、彼女の呪いは確実に起こるでしょう。王妃は泣き崩れ、王は絶望に天を仰ぎます。
呪いをかけ終えた魔女は意気揚々と会場を去ろうとしますが、絶望が憎悪へと変わった王は兵士たちに命じました。
「その者を生きて帰す事は許さぬ、殺せっ!!」
王の命により兵士たちは一斉に武器を手に取り、矢の雨を降らせます。騒然とする会場の中央で魔女と兵士の戦いが始まりました。
魔女は降り注ぐ矢を魔法で弾き飛ばすと、両手を大きく広げて魔法を唱えます。させまいと兵士たちは剣を手に駆け寄りますが、魔法により壁まで吹き飛ばされ、その身を叩きつけられ絶命しました。
その様子を見ていた他の魔女たちが一斉に魔法を唱え、七本の光る鎖が彼女を縛り上げます。しかし、膨大な魔力を放出した魔女は鎖を断ち切り、悪魔のような形相でこう言うのです。
「お前たちが束になろうと私の敵にすらならない! 私はお前たちの命までは取ろうというわけではない、無駄な抵抗はやめよ!」
魔女は両手に魔力を練り上げ、次の魔法をいつでも放てる状態を維持しています。魔力は渦となり、会場は嵐の中にいるような突風が吹き荒れます。その時、会場の隅で母に抱えられた怯える少年がいました。少年の手には今は亡き父からの贈り物である人形がしっかりと握られていましたが、この突風で驚き手を緩めてしまい飛ばされてしまいます。大切な大切な人形を少年は母の手を振りほどいて追ってしまいました。人形は吸い寄せられるように魔女に向かって行き、少年も後を追います。
突如現れた少年に驚いた魔女は、これ以上少年が近寄ると自分の魔法の犠牲になってしまうと思い、溜めていた魔力を霧散させました。しかし、その隙をついて七人の魔女たちは一斉に魔法を放ちます。魔法で作られた鋭い棘は槍のようであり、七本の槍は彼女の身体を貫きます。魔女から血が吹き出し、少年は真っ赤に染まりました。
「お前たちは……知る事になるだろう……この国の最後を…………これが私の最後の魔法だっ!!」
魔女は自身の血を操り巨大な魔法陣を作り出します。それは呪いの魔法陣。何人も妨害する事は叶わない絶対的な魔法。
「この国に不幸あれ!!」
それが魔女の最後の言葉でした。彼女は王を指差して立ったまま死んでいました。
静まり返った会場の空気を変えたのは王妃でした、王妃が産気づいたのです。それからすぐにパーティーはお開きとなり、王妃の出産は日を跨ぎます。銀の満月が輝く夜、力強い産声と共に、それはそれは美しい赤子が生まれました。彼女の名はパンタソス、この世のありとあらゆる美を凌駕する少女です。
パンタソスの誕生祭が開かれ、一ヶ月もの間、国中がお祭り騒ぎとなりますが、城内は例の魔女の呪いの噂で持ち切りでした。
魔女がかけた呪いは2つ……姫が十五歳の誕生日に死ぬ事と、この国が滅ぶ事。
この一ヶ月の間、七人の魔女は大掛かりな術式を組み上げ、姫の呪いをどうにか出来ないか試していました。まだ結果は出ていませんでしたが確かな手応えがあり、七人の魔女は力を合わせて挑み続けています。国の滅亡の呪いは彼女たち七人の魔女でもどうする事も出来ませんでしたが、姫の呪いだけでもと精一杯励んでいたのです。
長い長い年月をかけ、やっとの思いで呪いの書き換えに成功したのは十四年後の事でした。十四年という長き時間、国中の人たちは姫に呪いの事を悟られないよう振る舞って来ました。呪いの書き換えの代償で七人いた魔女は三人まで減っています、それほど彼女の呪いは……恨みは強かったのです。王と王妃は改めてあの時の過ちを悔やみます。しかし、今更です。国の滅亡は決まっているのですから。
「姫だけでも助かるのならば……良かった」
王は自分を励ますように呟きます。しかし、呪いを解いた三人の魔女は王に伝えねばならない事があったのです。
「十五の誕生日、姫が死ぬ事は回避できました……ですが、姫は眠りにつく事となります」
「なんだと? どういう事だ! 詳しく話せ!」
王の顔は熟れた林檎のように真っ赤に染まり、魔女たちに詰め寄ります。
「死の代わりになるほどの呪いを上書きしなくては解けなかったのです……ですから、姫は……百年の眠りに……」
「百年だと!? ふざけるなっ!!」
王は怒りのあまり剣を抜きます。国が滅ぶというのに百年の眠りなど見守れるはずがない、何も解決してないではないか、そう思ってしまったのです。三人の魔女たちは自分たちの無力さを謝りますが、黙って殺されてやるわけにもいかず、ついに王を見限りました。
「私たちはこの十四年間、この国のためだけに生きてきました。その仕打ちがこれですか? 貴様は愚王だ! 滅びこそ正しいのかもしれないな!」
三人の魔女は城を出て行き、残された王は膝をつきます。全ては無駄だった、何もかも失ってしまう、愛する娘も、国も。この日、王の声にならない叫びが城中に響き渡りました。
それからしばらく経ち、姫であるパンタソスが十五歳になる日となります。彼女は魔女たちの祝福の通りに誰もが羨む美しさを持ち、一目見た男たちの心を奪ってしまいます。幼さが残る美しさには刹那的な美が秘められ、徐々に肉付きの良くなっていく身体は女の色香を放ちます。同性である女性ですら魅了されてしまいそうになるその美しさは、幻想物語から出て来たと言われても信じてしまうほどで、誰もが虜になっていました……もちろん、父である王ですら。
「パンタソス、お前は今日も美しい」
「ありがとうございます、父上」
父の内に秘めるドス黒い感情に気づいていないパンタソスは無邪気な笑顔を父へと向ける。その笑顔が生きとし生けるもの全てを魅了してしまうとも知らずに。自国の滅亡と、もうすぐ失ってしまう愛娘……理性がきかなくなるには十分すぎる理由でした。王はパンタソスを抱き寄せ、穢れを知らないその唇を奪おうとします。しかし、王妃がそれをさせませんでした。王妃は前から気づいていたのです、夫の娘に対する異常な愛情に。
王妃が振り下ろした短剣は王の背中に深く突き刺さり、王はのたうち回り、抜けた短剣を手に王妃へと向かいます。そうなる事を予想していたかのように王妃は抵抗すらせずにその刃を受け止め、二人はもつれるように倒れました。横たわる二人から広がる血がパンタソスのつま先に触れると、彼女は両手で頭を抱えて大きく振り絶叫します。その声を聞いた兵士たちが集まり、王と王妃の死体を見て驚愕しました。すでに事切れており、兵士たちの脳裏に"呪い"の二文字がよぎります。
「の、呪いだっ」
そこからはあっという間でした。国中の者たちが我先にと逃げ出し、がらんとした王城にただ一人残されたパンタソスは、ただ呆然とベッドの上から外を眺めていました。そして、思い出したのです。幼い頃に侍女たちが話していた"呪い"の話を。
「糸車……針……」
そう呟くと、不思議な事に目の前に糸車が現れます。この国にある糸車と針は全て没収し破壊されたはずでした……ですが、彼女の目の前には確かにそれがあります。
「これで私は死ねるのですね……それも良いかもしれませんね」
パンタソスの瞳から涙が溢れ、歪む視界の中に手をのばすとチクリとした痛みが指先に走り、そのまま横へと倒れて彼女は深い深い眠りへと落ちるのでした。
ある国が一夜にして滅んでから約百年の時が流れました。
廃墟となった王城の一室、姫の部屋は埃が積り、石を貫いて成長した草木が生い茂っています。ここは呪われし土地、イバラに包まれた城に近寄る者はイバラに飲まれ、その血を捧げる事になるという。
片手に炎を宿した青年がイバラを焼きながら歩いています、どうやら彼は城の中に入るようです。炎を操る様子から彼が魔法使いである事は間違いありませんが、魔法に携わる者ならばこの地に近寄る事が自殺行為であると分かるはずです。ですが、彼は気にする様子もなくイバラを焼いていました。
この青年はこの地から馬で十日ほど離れた国の王で、呪われた地に眠る絶世の美少女の伝説を聞いて訪れたのです。フェイ王、それが彼の名です。そう、彼は大の女好き。毎晩違う女性を抱き続け国中の女性を抱いたと言われる彼は、噂の絶世の美少女と一夜を共にしたく呪われた地へと足を踏み入れたのです。
先々代の王から始まった八十年足らずの歴史の浅い国ですが、フェイ王の一族……王家には特別な力がありました。それは魔法の力。約百年前、魔法の力に目覚めた少年は大人になるにつれ魔法の力が強まり、滅んだ祖国を取り戻そうと国を起こしたのです。代を重ねるごとに魔法の力は弱まってしまいましたが、まだ簡単な魔法程度なら使えるため、護衛もつけずに女を求めて好き放題歩き回る王、それがフェイ王でした。
燃やしても燃やしても生えてくるイバラを何とか退け、彼はついにパンタソスの部屋へと辿り着きます。天蓋がボロボロに崩れ落ちたベッドの中央には、この世のものとは思えないほど美しい少女が横たわっているではないですか。これには女好きの王も大喜びです。予想を遥かに超える美しさに目を奪われ、今にも飛びつきそうな勢いでした。しかし、パンタソスは眠ったまま……彼女は呪いで目が覚めないのです。
「噂通り……いや、それ以上か」
王はパンタソスのあまりの美しさに思わず手を伸ばし、彼女の頬に触れます。なんとキメ細やかな肌だろうか、シルクでもここまで滑らかではない。それでいて張りがあり、みずみずしさもある。完璧という言葉がこれほど当てはまる存在を彼は見たことがありませんでした。
「あぁ、美しい姫よ……君の名はなんと言うのだい? さぞ美しい名前なのだろう……あぁ、その声も聞いてみたい」
王はパンタソスの身体を撫で回します。女好きである彼に我慢など出来るはずがありません。パンタソスにのしかかり、下半身を露出したところで彼女の大きな瞳が開きました。
「下衆が」
パンタソスは目覚めてすぐに糸車の針を握り締め、馬乗りになっている男の首筋に深く突き刺しました。すると、男……フェイ王は一瞬で眠りに落ちました。パンタソスは男の身体をどかしてから伸びをすると、変わり果てた室内を見渡します。
「随分時が経ったのですね……私は死ねなかったという事でしょうか? それとも、ここが天国……いえ、地獄でしょうか」
先程寝込みを襲おうとした男を思い出してパンタソスはここが地獄なのではないかと思案します。しかし、どうもそうでないようです。
「やはり、私は死ねなかったのですね……」
窓の外を見て確信します。ここは地獄でも天国でもない、私の国であると。随分と有り様が変わってしまったようですが、間違いなく眠りにつく前と同じ場所だと確信しました。
「……この下衆は……」
見慣れない服装ですが身なりは良いのでそれなりの地位にある者でしょう。そんな男が何故私の寝込みを? いくら考えても分からない事です。パンタソスは考えるの止め、男の持ち物を物色しました。なんという事でしょう、この下衆は王なのです。
長い長い眠りの中、パンタソスは夢の世界の住人でした。そこでは様々な現象が自由に起こす事が出来、それはまさに魔法と呼べるものでした。目が覚めた今、自分に魔法が使えるのか試してみると……。
「あ、できましたわ」
幻想の世界に長く居すぎた彼女は、この世とは違う理りをその身が覚えてしまい、それを現実世界でも発現可能になっていたのです。
百年という膨大な時間を過ごしてきた彼女は精神的にも変容しており、深い眠りに落ちた王を冷めた目で見つめ、彼の持ち物である剣を抜きトドメを刺します。
「私は姫……いえ、女王とならねばいけません……ふふ、貴方の国、いただきますわ」
パンタソスは幻想の魔法を発動し、イバラに飲まれていた城は蘇る。木々に侵食された国を丸ごと綺麗にしたパンタソスは、魔法で作り出した馬車に乗り、動く死体……操り人形にした王を御者にして旅立ちました。
「国には民が必要ですものね……ふふ」
亡国の姫は国を取り戻すために立ち上がったのです。死者の王と共に向かうはフェイ王の国……それは始まりでしかありません。
後に魔王と呼ばれる姫、パンタソスの旅は始まったばかりなのですから。
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豆知識ですが、パンタソスはファンタジーの語源になったと言われている夢の神様です。