人生の なつやすみをとろうー!!☆
ゆうな
なんだか、ほんとに わたしは
くろと狂いに なって しまったみたいだ。
くろとが愛しいし、いつも(あ そこまでじゃない、
1~2時間に 一回とかの ときどきだ!)
あのひとの こと 考えていて、
「なんで くろとは
くろと なんだろう??」
とか、答えの あてのない疑問を
つらつら考えていたりする。
ほんとに、くろとが わたしの一番に なる
なんて、1年前までは おもいもしなかった。
いまでは、いま死んでるのか生きてるのかもわからない すがさんより、
くろとのほうが 確実に大事だと きっぱり断言できる。
だって やっぱ、毎日 触れ合えて いつも気を使ってくれるなら、
やっぱり世界で ただひとり、わたしという人間を わかってくれているから、
それならやっぱり 世界で ただひとりの わたしの仲間なワケで、
……それはやっぱり くろとを愛するのが、
いちばん合理的で打算的で効率的だと思うの。
―――まあ、最初は打算で くろとのことを
愛するって決めて努力していたの だけれど、
想いを育てていったら とちゅうから
けっこう 本心が入り始めたよね?
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ことこと。
「……」
――でも、それでも
わたしは 死が欲しい。
そとしごとは 外でするから、生で溢れてしまうのだけれど
夏の間は 外仕事をしなくても済むだけの貯金が溜まったから、
来週が終わったら また長い お休み、人生の夏休みに入ろうと思うの。
……それで、夏の間に いえのおしごとで 自分の力で稼げなかったのなら、
人生に生きてくのにそんな才能がないってことで、もう いーかげん
おわらせても ゆるされるとおもうんだよね??
くろと:
ん、まあ それが ゆうなの幸せの最大化で
あるなら、もう わたしは止めないよ??
そとしごと ふつうに週5とかで 回してると、
なろうで 毎日更新する余裕も なくなっちゃってたよね?
―――この半年で よくわかったけど、
わたしたちの能力的には ここが限界で、
時間労働で これからも生きていこうと するなら、
これからも ずっと こんな感じで この日本で
魂を消耗しながら 、少しずつ ほんのわずかずつしか
小説も書いていけないのなら、ドンドン
人生ジリ貧に なってくばかりだから、
ほんとうに けっこう わたしたちが
まだ 幸せに暮らせているココらへんで
損切りするのも、手なのかもしれないね??
この世界が終わっても、私達は次の世界に
(もしも幻想が実現化するのならば)
いっしょに転生(!?)できれば、
それが 最高のスタートなんだよね?
(だからこその、なろう
執筆だったんだけれど)
いちばん わるいのは、私たちが離れ離れになって
全ての記憶を失って、二度と会えなくなってしまうこと。
……そんなに悪くないのは、この地球の世界の
現代の わたしたちの物語が終わったら、
そこで すべてが終わって消滅して、
世界が完全に無になること。
手塚治虫のマンガ[ ブッダ ]で 主人公のシルダッタが
死んだあとのことを考えて ブラフマン(だっけ?)に
「王子、死んだあとは無ですぞ!」とか言われて、
気が動転するシーンが有ったけれど、
まあ、いまの わたしたちの生が終わったら
すべてが終了して なかったことに なるのは、
そんなに悪いことじゃないと思うんだよ。
―――ただ単純に、今の生は ゆうなが
中2のときに わたしを道連れにして
心中できなかった残り香みたいな
夢みたいな続きだから、
それは、中国の故事の
[ 胡蝶の夢 ]に似ている。
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書き下し文だと、
昔者荘周夢に胡蝶と為る。栩々然として胡蝶なり。
自ら喩しみて志に適えるかな。周たるを知らざるなり。 俄然として覚むれば、則ち?々然として周なり。
知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此を之れ物化と謂う。
日本語訳:
以前のこと、わたし荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。
自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。荘周であることは全く念頭になかった。はっと目が覚めると、これはしたり、荘周ではないか。
ところで、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か私にはわからない。
荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E8%9D%B6%E3%81%AE%E5%A4%A2)
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胡蝶は ちょうちょさんのこと。
うん、今の この現実は、もしかしたら
ゆうなが わたしと あの中2の14才同士だった夜に、
一緒に 落ち続けている その死までの 瞬間の中に永遠が凝縮された、
そのさなかに見続けている長い白昼夢(ゆうなが心中
しようとしたときは 夜だったけれど)なのかもしれない。
―――うん、あの時よりかは、
わたしたちは 明らかに幸せになっている。
あとは、うまい死に方を見つけるだけだ。
首吊りが確実だけれど、
できれば きれいな死に方がいい。
ゆうな:
うん、そだね。
この夏がダメだったら、
さすがに一緒に逝こうね?
死ぬときも、いっしょだよ??
あなたに出会えて、ほんとにしあわせだった。
(目の前の あなたさんもね?)
人生の最後2ヶ月、
バカラとFXで もっかいPDCAサイクル
回してみるんだよ……っ??
さいきん流行ったピケティさんの本[ 21世紀の資本 ]
でも、r>gで投資>労働が資産効率で優位性が
高いと言っていたし、もうここらへんで
さすがにマネーや資本のスノーボールを
雪だるま式に増やしていけないなら、
この資本主義社会は あんまりにも
生きづらすぎる。
(寿命尽きるまで肉体・時間労働を するのなら、
さすがに わたしは その前に死を選ぶよ……っ!☆)
日本の社会が明らかに自分たちの適性・特性と合っていない
と明確に自明であるにも かかわらず、おかねが ないから
外にも出ていかれない。
―――なら、最も一番 手通り早く
[ この世界から脱出する方法 ]は なに???
って考えたら、……ほら、
映画[ マトリックス ]でも あったじゃない?
【 仮想現実から目覚める
ために 主人公はどうしたのか? 】
ね? 正解は よく
わかってるでしょ??
くろと:
絶望は、一番 深い病気だよね?
ゆうなは、スガのために 生き残ると
決めた あの夜から、徐々に絶望に蝕まれていって、
けっきょく親によって奈落の底まで突き落とされてしまった。
……普通の家に私たちが生まれていたら??
って考えることも あったけれど、
―――そうしたなら わたしたちのこの性格も特性も生まれなかったから
わたしたちが わたしたちであるためには、あの家の血を
引いている必要は あったワケだ。
血は 才能であり呪いでもあり、
時として運命でもある。
最近 より思うんだけど、人間って
生まれつき 頭の良さが決まってるんだよね。
そして、能力が発揮できる場所も ―――どれだけ才能の神様に愛されるかどうかも―――
生まれつき決まっていて、人ができるのは 自分の才能の場所を発掘して
その場所に 居続けるか居続けないかの 意思決定だけだ。
[ 才能は 遺伝か環境か? ]って二元論が ある
けれど、遺伝の要素は とてつもなく大きい。
遺伝があって、初めて環境が
活かせる前提となる。
わたしたちは ある程度(!?)は才能があったけれど、
環境によって 一度完全に潰し尽くされて、
絶望で魂を塗りたくられてしまった。
才能の方は、マイナス方向に最適化された環境を抜け出して
自分たちだけで暮らすようになって数年したら、
なんとか回復し続けられたけれど、
一度 折られて壊された心は、
もう二度と戻らない。
(特に ゆうなは致命的だったと思う)
―――あとは、この世界の環境と
それに合わせて 最も最適な
(きっつ、今この瞬間 バカラで
1万円さん 飛んじゃったわ……)
ゆうな:
今日 合計2万円さん
飛んでったかー!!!
プラスぶんが5千円弱だから、
きょうは 大幅なマイナスやねん……。
くろと:
やっぱり、自分から求められるのと、
いきなり 突きつけられるのでは、
ぜんぜん 受ける感じが違う…。
ゆうな:
まあ、今の所バカラはトータルプラスだから、
期待値がプラスである限り、まだまだ
毎日回し続けるんだけどねー??
くろと:
小説も、起きてて 書ける状態なら
最低1文字以上 書くことをノルマにしてたら、
時々 筆が進むことがあって、けっこう
順調に作業が進みつつ あるんじゃないかなー??
ゆうな:
こればっかりは、
なんとも いえないね!
けど、最低ノルマを低くしたから、
小説書くことが負担とか 負荷が強すぎて
苦痛に感じることは なくなったね……っ?
くろと:
そのままの調子で、
夏休みも できたことですしー
ドンドンと回していくと いいん
じゃ ないでしょーか??
ゆうな:
おー!!♪
あいしてるー、くろとー!!
(目の前の あなたさんもー!)
くろと:
わたしも、あいしてるよ。
あなたが一番の幸せで居て
くれればいいと願ってる。
ゆうな……。




