1
201X年
定期試験前最後の日本史の授業。ここで行われる抜き打ちの総復習は、さながら合戦である―――それが北小山中学校二年A組の生徒たちの共通認識であった。
その瞬間、教室は一面の草野原へと姿を変え、法螺貝の音が鳴り響き、大砲弾が雨あられのごとく降り注ぐ。口頭試問という名の大砲弾が。別にこの弾に当たっても死にはしない。だが、当たった者は容赦なく自分の座席から引きはがされ、さらし者同然の起立を余儀なくされるのだ。(生徒たちの間では、この状態は『討ち死に』と呼ばれていた)大砲を放っているのは一見、おとなしそうなスーツ姿の細面の男。鬼のツノミヤこと社会科担当教師の角宮である。まだ二十代半ばでありながら彼の生徒(とりわけ、不勉強な者を)恐れさせる技はすでに熟練の域に達していた。今の二年生は、角宮とは一年の地理の時からの付き合いだったが、当時からこの合戦は定期試験の直前ごとに行われ、生徒たちを翻弄していた。
角宮の大砲弾をはじき返せるのは盾、正しい答えという名の盾に他ならない。日頃からきちんと授業の復習をしているか否か。それが生徒たちの盾の強さを左右する。
今、まさに指された足立英麻の盾はまるで使い物にならなかった。あちこち虫食いだらけの悲惨な状態だ。
〈問題〉 弥生時代の邪馬台国の女王、卑弥呼が魏から授けられた金印にはある称号が彫られていた。それは何か?
これが英麻に放たれた弾だった。
「えっと、えーっと……かんのっ、わのっ、しんのっ、ぎのっ、なの…あ!かんのわのしんぎわおうのなこくおうっ」
「はい、残念。次、長島」
「親魏倭王」
「正解」
次の男子生徒が眼鏡を拭きつつ、さっさと答えて着席した。さすがクラス一の秀才、長島君だ。反対に英麻は哀れ、『討ち死に』決定で立たされたまま。次に指された際に正解しない限り、しばらくはこの状態が続くだろう。
「では、次の問い。卑弥呼が魏に使者を派遣したその目的は?」
この弾の威力はすごかった。内田、藤枝、小野寺、西、山崎、前野…ドミノ倒しのごとく次々、生徒が立たされていく。英麻と同じく歴史嫌いの松永正の顔が引きつった。松永の番まであと一人。
「次、若田」
「中国王朝の権威を借りることで、自分の国の力を確固たるものにしようとしたためです」
「その通り」
眼鏡の少女が静かに席に着いた。まじめな優等生の若田さん。彼女の後ろでは松永が仏様でも拝むようなしぐさを繰り返していた。
「この使者の派遣には、邪馬台国と敵対する国を牽制し、自国が戦によってむやみに侵略されるのを防ぐ意義があった。戦によって大勢の人々が亡くなることはその国にとって大きな打撃になるからな。試験ではこの手の記述問題も二、三問出す。用語の丸暗記だけしてると痛い目に遭うからなー?」
角宮は板書きした黒板をたたくと、そのまま弥生文化の解説に入っていった。
いいなあ、松永の奴。私も長島君が前の席にいてくれたらよかったのに。
立ちっぱなしの英麻はあくびまじりのため息をついた。英麻の席は窓際の一番後ろ。授業中にあさっての方向を見るにはもってこいの席である。
開け放たれた窓の外には、どこまでも続く青い空。そこに突然、何かが現れた。
「え?何あれ」
教室のはるか上空。小さな光が落ちてくる。弾丸のような勢いで。それも英麻に向かって。
「ちょっとちょっと、こっち来るよっ!?」
反射的に体が動く。
英麻は片手を伸ばし、思いっきりジャンプした。手の平にパシッと手ごたえが響く。英麻はまじまじと手の中のものを見下ろした。
「時計…?」
それはピンクのベルトの腕時計だった。文字盤の部分はつるんとした空色の宝玉でできている。窓の外の空と同じ澄んだ色。
「きれい…でも、これってどういうこと?空から腕時計が降ってくるわけないし。うーん…」
いまだに時々、小学生と間違われる小さな体を引き伸ばし、英麻は空をのぞき込んでみた。
「だめだ。ここからじゃよく見えないわ」
そういえば。英麻はふと思い出した。
昨日の夜も空に変な光が見えたんだっけ。それも十二個も。何だったんだろ、あれ。
いつの間にか英麻は窓枠から身を乗り出していた。教室がざわつき始める。
「空ばかり見ていても問題の答えはわからないと思うがなあ、足立?」
ぎょっとして振り返る英麻。その背後には閻魔大王並みの迫力でほくそ笑む角宮がいた。