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201X年
シリウス328から降り立った英麻の前には、静止したままの風景が広がっていた。
人も物もすべて止まったまま。何の音もしない。ファンタジードームのなかよし広場は英麻がタイムスリップする直前とまったく変わっていなかった。
「じゃあ、英麻ちゃん。今日は初任務、本当にお疲れ様。僕たちはこれから221X年に戻るけど気をつけて帰ってね」
腕時計で時刻を確認しながらサノが言った。
「えっ、もう行っちゃうんですか?」
「うん。まだメビウスの足取りを調査したり、弥生時代にダメージが出てないか確認したり仕事が山積みだからねー。第八部隊のみんなはもう仕事を始めてるだろうし、早く合流しないと」
サノが英麻のリュックサックを渡してくれた。
「この後、三十秒前からカウントダウンをして、ゼロになったら僕たちは出発するよ。それと同時に221X年側の操作で再びこっちの時間も動くようになる。このまま、ここで待っていれば大丈夫だよ」
英麻はサノとハザマがシリウス328に乗り込むのを見守った。サノがシリウスを操作してカウントダウンを始めた。
「平成エリア・201X年、指定区域よりタイムスリップ三十秒前。三十、二十九、二十八、二十七…」
何となく止まったままの風景を見回して、英麻はハッとした。この広場の時間が止まる前、小さな男の子がメリーゴーラウンドから落ちそうになっていたはずだ。メリーゴーラウンドの方を見ると、男の子は今にも地面にぶつかりそうな位置で静止していた。
英麻は男の子の元へ走った。男の子の体を支え、安全な体勢にしようとする。しかし、時間が止まっているせいなのか、うまく動かせなかった。ハザマがこちらに向かって走ってくる。
―――二十、十九、十八、十七、十六……―――
ハザマが英麻の反対側からえいっと男の子を押し上げた。すると、少しずつ男の子の体の向きが変わっていった。英麻は男の子の両腕を引っ張り上げ、かけようろうとしていた彼の母親に近づけていく。
二人で力を合わせた結果、男の子を母親が抱きとめる形にすることができた。
「これなら何とかケガせずに済むだろ」
「よかったあ」
ほっと一息ついた時、ハザマと目が合った。なぜか、英麻はどきっとしてしまう。
やっぱり、こいつの目ってすごくきれい。
「ハザマ……ありがとね」
「…じゃあな!」
相変わらずぶっきらぼうな口調でそれだけ言うと、ハザマは大急ぎでシリウス328にかけ込んだ。
―――十、九、八、七、六……―――
英麻は深い青色のタイムマシンとその中の二人の少年を見つめた。笑顔のサノと仏頂面のハザマが英麻に向かって敬礼した。
―――五、四、三、二、一……―――
次の瞬間、タイムマシン、シリウス328は青い光に包まれ、姿を消した。
なかよし広場にいた人々が一斉に動き出した。
まるで見えない誰かがスイッチを入れたみたいだった。皆、何事もなかったかのような顔つきでいる。あの小さな男の子だけは母親の腕の中できょとんとしていたが。
「あー何だかすごい経験しちゃったわー」
英麻は思いっきり伸びをした。
海夏子に電話してみよう。
唐突にそんな考えが浮かんだ。うまくしゃべれるかはわからない。でも、それでもいい。まずは二人の共通の話題だった聖組のことあたりから話し始めよう。それから少しずつ、今の自分のことを話してみるのだ。
英麻の中に卑弥呼の顔が蘇った。海夏子とよく似た、あの笑顔が。
「こっちこそありがとう。忘れないよ」
英麻は広場のベンチに座った。そばに植えられた樹木の若葉が風に揺れている。ざわついた気持ちでファンタジードームにかけ込み、力なく座り込んだのもこのベンチだった。あの時のことが遠い昔の出来事に思えた。
「大冒険だったなあ。今、思うと結構、楽しかったかも」
「なーにが大冒険ダヨ。今回の任務遂行には危なっかしい所もいっぱいあったんだからネ?」
「確かにそれは言えるかも……って、ニコォ!?」
木の枝からひょっこり顔を出したピンクの子ブタのぬいぐるみ。それは言うまでもなくニコ777だった。
「あんた、何でまだここにいるの!?ハザマたちと未来に帰ったんじゃなかったの?」
「チッチッチッ。まだこの先の任務もあるっていうのに、未熟なタイムアテンダントを置いて帰れるわけがないヨ」
「この先の任務…って何?」
「わかってないネエ、英麻チャン。時の花びらは全部で十二枚。今回、回収した卑弥呼の分が最初の一枚なんダヨ?」
英麻には話が見えなかった。
「…だから?」
「つまり!あと十一枚、回収すべき時の花びらが残ってるってこと。英麻チャンの任務はまだ始まったばかりってことダヨッ!」
「…………」
英麻は石のように固まった。あと十一枚。すなわち、あと十一回も今日のような大変な目に遭わなければならないということか。絶句する英麻をよそにニコは得意げにしゃべり続ける。
「実はさっき221X年から連絡が来てネ。時の花びらを宿した可能性がある歴史上の人物がまた新たに見つかったんダヨ。次なる宿主はなんとあの紫式部!有名な『源氏物語』の作者ダネ」
ニコはくるんと一回転して着地した。
「さあ、のんびりしてる暇はないヨ、英麻チャン。とっとと家に帰って、まずは紫式部が生きる平安時代のお勉強からいくヨッ」
ゴム毬のように弾みながらニコは走りだした。後に残された英麻はまだ固まっていた。だが、やがてプルプル拳を震わせ始める。
「ちょっと……ちょっと待ちなさいよおーっ!平安時代なんてまだ授業でもやってないのよ?どこの世界にテストまで一週間切ってるのに今から試験範囲の先やる物好きがいるのよ!?」
英麻はミニチュアのスピカとリュックサックを抱え、大急ぎでニコの後を追いかけた。
「あの鬼のツノミヤが出す問題は地獄みたいに難しいのよっ!補習に引っかかったらどーするの!?だいたい、タイムパトロールといい、あんたといい人使いが荒いのよ、もうっ!」
走っている間も英麻は文句を言い続けていた。しかし、よく見るとその顔は何だかうれしそうだった。
心のどこかで英麻はわくわくしていたのだ。
新しい冒険が始まることに。時空を越え、見たこともない人や物や景色とまた出会えることに。
息を切らしつつ、英麻はひょいっと顔を上げてみた。
そこにはいつもと同じ色の青空が広がっていた。
(おわり)




