7
そうだ。
私は私の時間を生きてきた。中一の春、決まりの悪い思いで北小山中の門をくぐった時からずっと。呼吸をして、肌で空気を感じて。
決まりの悪さはいつまでも消えなかった。でも、私の時間の中にあったのは決まりの悪さだけだったっけ?
栄生女学院の向こうに別の景色が見えてきた。英麻が北小山中学校で過ごした、これまでの思い出だ。
入学式、林間学校、バレー部の試合、運動会、文化祭、頭の痛い定期試験。
春、夏、秋、冬、次の春、そして、二年生の初夏の今。
これまで一歩ずつ歩んできた時間。不格好で荒削り。いやな思い出だってある。なのに、どうしてだろう。
消したくない。
純やあかねや理子たち、一年の頃からいろいろ話せた友達。厳しいけど面倒見のいい部活の先輩たち。二年A組のみんな。騒がしい男子やあの角宮すらも懐かしい。
なかったことになんてしたくない。
そこにはいつも温かな血が通っている。
私の本物の時間。本物の歴史だから―――
白い霧が一気に消え去った。
英麻は力一杯、イプシロンの手の杯を払いのけた。イプシロンがあっと口を開ける。
英麻は大声で言い放った。
「嘘の歴史で幸せになったって、それは本物の私じゃない!」
「足立…」
ハザマが驚いて英麻を見た。英麻の瞳には涙が浮かんでいた。涙の一滴が頬を伝ってぽたりと落ちる。
英麻は横たわる卑弥呼の元へと走った。かがみ込み、その体に時の花びらを近づける。金色の光を放って、時の花びらが卑弥呼の胸に吸い込まれていく。
ゆっくりと卑弥呼のまぶたが開いた。
「……エマ?」
「卑弥呼っ!よかったあ」
英麻は起き上がりかけた卑弥呼を抱きしめた。
「エマ、私は何を…」
「思っていた以上に気の強い小娘だねえ」
盆ごとはたかれた手をさすりながら、イプシロンが英麻をにらみつけた。
「こうなったら人海戦術で時の花びらを頂戴するしかないようだ」
イプシロンの指がパチンと鳴った。
暗闇の中、何かがうごめく気配があった。
青い剣を手にサノとハザマが身構えた。英麻はごくりと唾を飲み込んだ。
現れたのはメビウスの光線銃に倒れた弥生時代の人々だった。彼らを見た途端、英麻は背中に寒気を感じた。彼らの様子は明らかにおかしかった。その目はどれも虚ろで焦点が合っておらず、不気味な赤い光を帯びていた。歩き方もギクシャクしている。
「何、何、何?どうしちゃったっていうのよ、この人たちは」
「サダヒコ?みんなどうしたのだ、しっかりしなさい。長老!巫女頭さま!」
槍を手にした兵士の一人が英麻と卑弥呼に襲いかかってきた。
「わあっ!?」
即座にハザマの剣がそれを退けた。
「イプシロンめ、汚い手を使いやがって」
「どういうこと?」
「イプシロンたちが使っていた光線銃、あれには強力な催眠作用がある。それで弥生人たちの心を乗っ取って、操っているんだよ。メビウスがよく使う手だ」
続けて襲ってきた侍女を剣で追い払いながらサノが言った。彼らの応戦で多少は操られた者たちを遠ざけることができた。だが、いかんせん数が多い。一斉に向かってこられたら敵わないだろう。
「このままじゃ、みんなやられちゃうヨー!」
ニコがサノの肩の上で震え上がった。
英麻の足も震えていた。
どうしよう。そうだ、スカイジュエルウォッチだ。これをはめた状態で意識を集中させれば、身を守るためのユニフォームに変身できるってサノさんが言っていた。今こそ、これを使う時だ。
英麻は左手を構えた。
「早く、早くっ!早く変身させてよ…もう、早くったら!」
何も起こらない。
心臓が波打ち、体が震えるこんな状況では気が散って集中どころではなかった。
「さあ、可愛い弥生時代の操り人形たち。とっとと邪魔者を片付けて時の花びらを手に入れておくれ」
イプシロンの命令で兵士や巫女や侍女たちが一気に迫ってきた。
もうだめだ。英麻はそう思った。
その時だった。
ごおおっとっと強い風が館の庭に吹き、砂ぼこりが舞い上がった。
英麻は目をこじ開けて空を見上げた。
夜空に大きな黒い影があった。




