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いつの間にかあたりは真っ暗になっていた。それは英麻が経験したことのない、すべてを飲み込んでしまう濃い闇夜だった。そんな闇の中に水色の粒が点々と光っている。光の粒は森の入り口から卑弥呼の館がある敷地の門、さらにその先までずっと続いていた。光の粒のおかげでかなり遠くまで見渡すことができる。
「これは電気蛍っていう道具。この光る道をたどっていけば卑弥呼の館まで迷わず着けるよ。僕とハザマは少し後から館の庭に入り込むから。タイムパスポートは持ってるね?」
「はい」
英麻は首から下げたタイムパスポートをぎゅっと握りしめた。ニコがぴょこんと肩に乗ると英麻は歩き始めた。
できるだけゆっくり進もう。
途中、ニコから「もっと速く歩くんダヨッ」と急かされても英麻は聞こえないふりをした。
卑弥呼に会いたくない。少しでも館に着くのを遅らせたい。いまだにそんな気持ちがあったのだ。
けれども、英麻の足はあっという間に電気蛍の道を歩き終え、正面の門と兵士たちの見張りも越え、気がつけば、あの館が目の前に見えていた。
卑弥呼の館は松明の火に照らされ、昼間とはまた違う存在感を放っている。英麻は少し前にサノが言ったことを思い出していた。打ち合わせの内容だ。
今回は卑弥呼の月見の習慣を利用して、彼女を庭に連れ出そう。タイムパトロールの記録によると、卑弥呼は月に対して強い畏敬の念を持っていたらしいんだ。弥生時代の映像資料にも熱心に月を見る彼女の姿がたくさん残っている。おそらくアニミズムっていう自然崇拝の一つだと思うけどね。
違うわ。
英麻は心の中で反論した。自然崇拝とかじゃない。卑弥呼が月を見るのはお母さんを思い出すため。もう会えないお母さんとの思い出を大事にしているからだ。
「ほら英麻チャン。中に入るんダヨ」
「…うん」
英麻はうつむいたまま、館の中に入っていった。
まったく何の障害もなく卑弥呼の部屋へと到着する。
部屋の入り口にある覆いの隙間から卑弥呼の後ろ姿が見えた。長い黒髪の両脇には白いリボンで結んだ細い三つ編みがあった。英麻が昼間にしたヘアアレンジだ。
まだ残しておいてくれたんだ。改めて卑弥呼への罪悪感が生じてくる。それを振り切るようにして英麻は思いきって覆いをめくった。
「卑弥呼様、失礼します」
昼間よりだいぶ暗くなったこの部屋の中にも小さめではあったが、松明が焚かれていた。
「ああ、エマか。どうかしたのか」
卑弥呼は振り返ってまっすぐ英麻を見つめた。英麻は無理矢理、笑顔を作った。
「あの、これからちょっとお庭に出ませんか?今夜は月が特別にきれいですよ。私がお供しますから…」
「そうか、一緒に来てくれるのか。何だかうれしいな。いつも一人で見ていたから」
卑弥呼は素直に英麻についてきた。
広い庭には湿った夜の匂いが漂っていた。庭の奥には左右に分かれて一つずつ、大きな茂みがあった。この茂みの陰に麻酔銃を手にしたハザマとサノが隠れているはずだ。英麻は卑弥呼の前に立ち、茂みの近くまで歩いていった。そこまで卑弥呼を誘導し、卑弥呼が月に気を取られている間にハザマたちが麻酔銃を撃つ、という手順になっていた。
英麻と卑弥呼のはるか上空には淡いレモン色の満月が浮かんでいる。
「見事なまあるい月だ。母さまはああいう完全に円い形の月が一番、好きだったな。見ていると穏やかな気持ちになれるからと言っていた」
「へ、へええ…そうなんですか」
英麻は口の中がカラカラだった。つい、ハザマたちが隠れている茂みに目が行ってしまう。
「ったく、あのバカ。あれほど打ち合わせで、こっちの方は見ないようにって言われたくせに」
茂みの中に身を潜めたハザマは小さく舌打ちした。その一方で今にも泣きだしそうだった英麻の顔が頭から離れなかった。
やっぱりいや。いきなり麻酔銃で撃って卑弥呼の記憶を消すなんて。卑弥呼の記憶は卑弥呼だけのものだもの!
なぜか胸が痛んだ気がした。
反対側の茂みにいるサノの片手が上がった。麻酔銃発砲の合図だ。ハザマは気を取り直し、引き金に置いた指に力を込めようとした。だが、思わず、えっ?と顔を上げた。
卑弥呼の様子がおかしい。




