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一瞬、何を言われたのか英麻にはわからなかった。
巫女の修行をやめる。私に女王は無理だ。
確かに今、卑弥呼はそう言った。
「…ニコ、これってどういうこと?卑弥呼って邪馬台国の女王になるんじゃないの?女王になって、魏とかいう国に使いを送って金印だかなんかをもらうんでしょ?ツノミヤが授業で言ってたわよ」
(………………)
小声で囁いたが、ニコの応答はない。よく見ると肩の上の子ブタは冷や汗を流していた。色もピンクから青に変わっている。青ざめているのだ。ニコにとってもこれは予想外の展開らしく、『卑弥呼専用スーパー会話ソフト』を使うどころではないようだ。
卑弥呼が女王にならない。
それはちょっとまずいのではないか。歴史嫌いの英麻にもそれくらいはわかった。
「あのっ、卑弥呼様。それは一体、どういうわけで」
「おまえはただ伝えてくれればそれでよいのだ。もうすでに決めたこと。とにかく頼んだぞ」
卑弥呼はすっと立つと、部屋から出ていこうとする。英麻も慌てて立ち上がる。
「ちょ、ちょっと、待って!お願いだから待って…うわわっ!?」
ツルッと足がすべる感触があった。大きく転びかける英麻。
「危ないっ!」
卑弥呼が反射的に英麻の手をつかんだ。
目の前に別の景色が広がっていく。
戦の火の手が上がる中、逃げ惑う幼い姉弟。彼らは母親とはぐれてしまっていた。弟の手を引いて走っていた黒髪の女の子が足元につまづき、倒れ込んだ。燃え盛る火柱が落ちてくる。そこへ母親がかけ込み、女の子と弟を力一杯、突き飛ばした。
ドオオンと火柱が落下する音。
「……ヒミコ…サダヒコ…」
「かあさまっ!?…かあさま、しっかりしてください!」
女の子は必死で呼びかける。だが、火柱の下敷きとなった母親はもはやほとんど動かない。女の子と弟の無事を確かめ、力尽きた。
「かあさまあああーっ!」
女の子の叫びが炎の中に響き渡った。
「…何、今の」
気がつくと英麻は床にぺたんと座り込んでいた。目の前には心配そうに英麻をのぞき込む卑弥呼の顔があった。
「大丈夫か」
英麻は無言でうなずいた。
(もう英麻チャンってば何やってるんダヨッ!)
「だって…っていうかそれよりもニコ!今、目の前に変なものが見えたわよ!?小さな女の子が炎の中を逃げてる風景が」
(エッ……エエエッ!?それってまさか時空共感力ッ!?)
「じくう…きょうかんりょく?」
「何だ?やはりどこか打ったのか?」
卑弥呼が英麻の両肩をつかんだ。
「ああいえ!大丈夫ですよ、本当に」
「そうか。よかった…」
ほっとしたのか卑弥呼はかすかに笑った。その笑顔に英麻は不意に懐かしさを感じた。
へえ、卑弥呼ってこんなふうに笑えるんだ。すごく素敵な笑顔。よく見ると髪の毛もつやつやしててきれいだなあ。
その瞬間、英麻はあることを思いついた。
「あのー卑弥呼様。ちょっと提案なのですが、その髪型、今から少しだけ変えてみませんか?」
英麻はジャージのポケットからサッとリボンのついた赤いポーチを出してみせた。
「髪型?どうしておまえがそんな真似をする必要があるのだ?」
「いやその…もし、何かお悩みならちょっとした気分転換になるかなーと。私、女の子の髪型を整えることには自信がありまして」
今、言ったことはうそではなかった。美容師の母親の影響もあり、英麻は日頃から雑誌で可愛いヘアアレンジを研究し、実践していたのだ。その腕は純たち学校の友達にも頼りにされ、聖組関連のイベントに出かける時は彼女たちの分までヘアアレンジをしてあげるのが恒例だった。
「ふうむ…いいだろう。好きにするがいい」
卑弥呼は渋々だが、うなずいた。
「わあ、本当ですか!やった…」
(何言ってるんダヨウ、英麻ちゃん!勝手なことしないでヨッ!)
「ふん。何よ、この薄情ブタ。さっき肝心な時に何も言ってくれなかったじゃないの。要するに卑弥呼と打ち解けられればいいんでしょ?だったらもっといい方法があるわよ」
「誰と話しているのだ?」
卑弥呼がいぶかしげな顔をした。
「あーいえいえ!何でもありませんよ、ハハハ」
さっそく英麻は卑弥呼にヘアアレンジを施していった。
「…ハーイ、完成っと!」
それほど大胆なアレンジではない。卑弥呼の長い黒髪のうち、後ろを残して両サイドのみが凝った細い三つ編みにまとめられていた。三つ編みの毛先にはレースのリボン。白いリボンが黒髪によく映えていた。
「どうですか?なかなか似合ってますよ」
英麻は小さなコンパクトタイプの鏡を卑弥呼に手渡した。
「妙な形の鏡だな。どれ…」
卑弥呼の目が大きく見開かれる。かすれた声で一言だけ呟いた。
「かあ…さま……」
黒い瞳から一筋の涙がこぼれだした。卑弥呼が泣いている―――
「えっ…うそ。どうしよう」
予期せぬ反応に英麻は慌てた。弥生時代と平成ではおしゃれの基準が違ったのだろうか。テレパシーを介してニコが叫んだ。
(英麻チャンのオタンコナス!だから勝手なことはしちゃだめだって言ったんダヨ!これでもう卑弥呼には嫌われたネ。時の花びらの回収もおじゃんダヨッ!)
「そんなこと言ったって…ごめんなさい、卑弥呼様!気に入らないならすぐ元に戻しますからっ」
「違うのだ。髪型が気に入らないのではない」
卑弥呼はそっと涙をぬぐった。
「えっ?」
「ただ、久しぶりにちゃんと鏡を見て思い出したのだ。かあさまのお顔を」
卑弥呼は静かに英麻を見た。
「おまえ、名は何と言う?」
「ええと、あの。英麻…と申しますが」
「では、エマ。少し外で話さないか?」




