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館の中はそんなに暗くなかった。天井近くに明り取りの小窓がいくつかあり、それがうまく日の光を取り込んでいたのだ。入り口から先には細長い通路がずっと続いていた。
「そのまま、まっすぐ進むんダヨ。卑弥呼の部屋は一番奥だからネ」
「…OK」
英麻は忍び足で通路を歩いていった。
思った以上に早く目的の部屋に到着する。この部屋の入り口にも覆いがかけられていた。
この向こうに卑弥呼がいるのだ。深い湖のような瞳を持つ、あの少女が。
はやる気持ちを抑え、英麻はそっと覆いをめくろうとした。
「姉さま、何を今さら弱気になっておられるのです!」
部屋の中から鋭い声がした。びくっとして手を引っ込める。また別の声が聞こえた。しわがれた男の声だ。
「よいか、ヒミコ。雨乞いの儀式はもう数日後に迫っておるのじゃぞ?もっとはっきり成功させる意志を示してもらわんと困るわい」
「長老のおっしゃる通りです。姉さまがこの儀式を成功させるかどうかは我が邪馬台国だけでなく、周りの国にも関わることなのですよ。他の国々とも相談して姉さまを女王に立てることにしたのですから」
「おまえが女王となり、巫女の力をもとに政事を行えば、国はきっと豊かになる。いや、それどころか土地や水をめぐる国同士の戦からどうにかして我が国を守ることもできるかもしれん。じゃからな、どうかこの雨乞いの儀式を」
「…長老もサダヒコも、もうそのくらいにしておきなさい。この子にとって今が一番、大事な時期なのだからね」
今度は低い女の声がした。
「ヒミコよ、気を強く持って修行に励むようにな」
「……はい、巫女頭さま」
目の前の覆いがめくれ上がり、三人の人物が現れた。気の強そうなつり目の少年、長い白髪と顎ひげをたたえた困り顔の老人、そして、威厳ある白い着物姿の老女が部屋から出てくる。
(英麻チャン、おじぎするんダヨッ!)
わっ、何これ。
英麻の頭の中に小さな子供の声がこだました。ニコの声だ。どうやらこれがニコによるテレパシーらしい。英麻は部屋から出てきた三人にペコペコおじぎをした。兵士や侍女たちと同じく三人は英麻を怪しむことなく去っていった。
(今のはそれぞれ、卑弥呼の弟とこの集落の長老、そして卑弥呼に巫女の教育をした巫女頭ダヨ。きっと例の雨乞いの儀式について話してたんだネ)
「へええ。何かあんまりいい空気じゃなかったね。まあいいか」
英麻は気を取り直して静かに覆いをめくった。
射るような眼差しとばったり目が合う。
卑弥呼だ。
卑弥呼は木の香りがする広い部屋の床に座り、まっすぐ英麻を見据えていた。英麻がこのタイミングで部屋に入ってくるのを知っていたかのように。
「…どうした。何か用なのか」
厳めしい声が部屋に響いた。
「あ、あの、えっと…」
(落ち着いて英麻チャン。今の英麻チャンは、タイムパスポートの作用で卑弥呼には侍女の一人にしか見えてないはず。だからそのまましゃべって平気ダヨッ)
英麻は小さくうなずいた。
「あの、卑弥呼様…お食事です」
「ああ、もうそんな時間か。ありがとう。そのあたりに置いておくれ」
「は、はいっ」
英麻は言われた通りに盆を置いた。少しは気持ちが落ち着き、座って部屋の中を見回す余裕も出てきた。整然とした板張りの床の部屋は剣道や空手の稽古場に近い感じだった。卑弥呼のそばの、床が一段高くなった所には祭壇が設けられ、桃や梅の実に似た果物が供えられていた。
「うん?何だ、それは」
英麻はどきりとした。卑弥呼の視線は肩の上のニコに向けられている。
「あっ、えーと、これは…これはですね、私の村に古くから伝わるまじない人形でして。お守りにと家族が持たせてくれたんです」
英麻は森の中での打ち合わせを思い出して答えた。これがタイムパトロール本部のスーパーコンピューターが計算した最も適切な応答なのだとサノは言っていた。
「ふうん…」
この子ブタのぬいぐるみをまじない人形とするのは少々、苦しい気がしたが、意外にも卑弥呼はニコのことをそれほど疑問には思わなかったらしい。それっきりニコについて聞いてくる気配はなかった。
「そうだ。おまえに一つ頼みがあるのだが」
祭壇の果物を整えながら卑弥呼がそっけなく言った。
「えっ、あ、はいっ」
「後で巫女頭さまを呼んでほしいのだ。先ほどは言えなかったが、どうしても伝えたいことがあってな」
「伝えたいこと?」
「ああ。『今日限りで巫女の修行はもうやめる。私に女王は無理だ』とな」




