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「……?」
それは澄んだ空色の飛行機だった。丸みを帯びた胴体に左右に広がる主翼、桜らしき白い花のマークがついた垂直尾翼。小型ではあったが、飛行機の形をしている。英麻はベンチから立ち上がり、ゆっくりと飛行機に近づいていった。
広場の隅にぽつんと置かれた空色の飛行機。周りには誰もいない。
飛行機には屋根がなく、中の様子がよく見えた。こぢんまりとした座席が操縦席に二つ、二列目と三列目に三つずつ。意外としっかりした造りだった。操縦席には宝石に似た形のボタンが三つ。それぞれピンク、紫、オレンジに輝いていた。
「ちょっと、たっちゃん何してるのッ!」
はっとして英麻は声のした方を見た。
小さな男の子がメリーゴーラウンドから落ちかかっていた。木馬の握り部分から手を離してしまったらしい。男の子はぽかんとした表情のまま、ぐらりと後ろに倒れていく。
「たっちゃん―――ッ!!」
母親の悲鳴が上がる。思わず、英麻もかけよろうとした。まさにその時。
―――…カチッ…カチッ…カチッ…カチッ…カチッ…!
「……えっ…何これ…」
男の子は空中で止まっていた。引きつった顔の母親もその場で固まったままだ。この親子だけではない。遊園地の人々はすべて静止していた。噴水の水すら奇妙な形で止まっている。
「…何?何なの?」
無意識に英麻は自分の左手首を見ていた。どうしてかはわからない。そこにはあの腕時計がはまっている。可愛いからとついそのままつけてきてしまった、あの空から現れた腕時計が。
時刻は午後五時三十分ちょうど。
「アーッ!やっと見つけたヨーッ」
あどけない声が響いた。声と一緒にピンク色の丸っこいものが英麻に向かってくる。あの子ブタのぬいぐるみだった。子ブタは大きく跳ね上がると、きれいに一回転して英麻の正面に着地した。
「ハイ、コンニチワ!あなたが足立の英麻チャンネ?」
その声と同時に子ブタの鼻面がモコモコ動いた。英麻は目が点になる。
「ブ、ブタの、ぬいぐるみが……しゃべってる!?あんた一体…」
「その説明は今は後!早くスピカに乗るんダヨ!」
「スピカ?」
「この乗り物の名前ダヨ。今から英麻チャンはこれに乗って行くんダヨ、このニコと一緒にネ!」
「行くってどこに…わあっ!?」
英麻は飛行機の中に倒れこんでしまった。子ブタがタックルしてきたのだ。
「いきなり何するのよっ!」
子ブタは器用に英麻にシートベルトを取りつけると、ベンチにあった英麻の水玉模様のリュックサックも飛行機に放り込み、自分も乗り込んだ。続けて操縦席の三つのボタンのうち、一つを前足でパチンと押した。左側にある紫色のボタンだ。ボタンは鮮やかな紫の光を放った。
「もう何なのよっ!早くこのベルト外してってば。私にはこれから試験の勉強が」
英麻の文句がピタリと止んだ。
動いた。
今、この飛行機が。いや、動いたというよりもこれは―――
空色の飛行機は宙にふわりと浮いていた。
飛行機はそのまま上昇し始める。前方斜め上に向かって。どんどんスピードが上がっていく。ぶわっと風が巻き起こった。
グオオオンというエンジン音の響き。
背中が座席に押しつけられ、顔面には風がぶつかってくる。
あっという間に地面が遠くなった。さらなる上昇。
ファンタジードームの観覧車やジェットコースターがおもちゃのように小さくなっていく。
次の瞬間。
ピンクと紫とオレンジの光の帯が飛行機を包んだ。目の前の景色が変わっていく。
白い雲の群れがたくさん見える。英麻の頭の中も真っ白だった。
私、どうなってるの?―――どうなっちゃうのっ!?
もう何が何だかわからない。みるみる意識が遠のいていく。
気を失う直前。
英麻が目にしたのは、一本の道が浮かぶ青一色の世界、そして道の中に光るYAYOIという文字だった。