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月曜日の同居  作者: 晨暉悠翔
7/7

提案

「虎冴が購買のパンなんて珍しいな」


 西條は焼きそばパンを片手に、紙パックからのびるストローに口をつけて廊下を歩く。紙パックの中身は牛乳だ。

 月曜日の昼休み、彼らは購買で買い物を終えた後だった。


「月曜日は俺が弁当を作る当番なんだけど、寝坊してさ」


 虎冴は大げさに肩を落とすと、カツサンドの袋を摘まんで恨めしそうに見つめた。


「⋯⋯まあ、日ごろ自分で弁当を作ってるってだけでもすごいわ。俺には無理」


「⋯⋯褒めてくれるとは珍しい」


「今度の調理実習は任せた」


「いやいや、班違うだろ?」


 そうだっけ? と言いながら、西條はいつもの胡散臭い笑みを浮かべる。


「⋯⋯あーてことは、あれか? 例の妹さんにも虎冴が弁当を作ってるのか?」


「そうなんだよ!!」


 虎冴は食い気味に頷くと、珍しくため息を吐く。


「仕方ないから、昼めし代を渡そうとしたんだけど⋯⋯〝お小遣いがあるんで大丈夫です〟って受け取ってくれなかったんだ⋯⋯」


「⋯⋯まあまあ、家族なんだし。普通といえば普通じゃないか?」


 西條も珍しくフォローをしてやるが、虎冴は落ち込んだ表情のままで少し俯く。


「母親の方は最近忙しいのか?」


「⋯⋯そうだな。締め切りが続いているみたい」


 昨日も部屋に籠城していた母親のことを思い浮かべながら、虎冴は答える。あの調子だと彼女も朝は寝ていたのだろう。

 二人は階段を上がり、二年の教室が並ぶ廊下に出る。

――そういえば⋯⋯――

 階段を上がったすぐそばの教室はA組だった。

 虎冴はA組の教室の前で立ち止まると、窓から中を覗き込む。


「何やってるんだ?」


「いないな⋯⋯奥の席か?」


西條の疑問を無視して虎冴はそう独り言を零すと、突然、A組の教室の扉を開け放つ。


「おい! なんでA組に入ってるだよ!?」


 突然のことに西條の声が裏返る。


「ちょっと、用事」


 虎冴はそう言いながら、教室の中を見回す。

 見慣れない人間を奇異の目で見つめる視線にぶつかりながら、虎冴は目当ての人物を見つけて教室のさらに奥に進んだ。

 彼はもう昼ご飯を食べ終えたのか、いつものように文庫本を開いていた。


――殊勝なことで――


 虎冴は柴崎の前の席が空いていたので、そこに腰を下ろす。

 読書に耽る彼を見ていると、ここまでそばに来ておきながら声をかけることが躊躇われた。


――よく考えると、学校ではちゃんと話したことないんだよな――


 柴崎の制服姿ですら、虎冴には新鮮に感じられた。


――いいかげん、しつこいよな⋯⋯――


 自分がしつこいという自覚は、虎冴自身にない訳ではなかった。

 ただ、月曜日に柴崎の家に行くことには虎冴なりの理由があり、しつこいと分かっていても、できることならやめたくないことだった。


――それに⋯⋯――


 虎冴は頬杖をついて、柴崎の顔をじっと覗き込む。



「⋯⋯あの、そこ僕の席なんですけど」



 背後から微かに震えた声がして、虎冴は後ろを振り向く。

 細い縁の眼鏡をかけた少年が、困惑しきった表情で虎冴を凝視していた。


「あっ、ごめん」


 虎冴は慌てて立ち上がる。

 立ち上がってみると、眼鏡をかけた少年の方が目線が少し上に位置していることが分かった。


「ほら、柴崎くんが俺のことを無視なんかするから、他の人に迷惑かけちゃったじゃないか」


 柴崎に背中を向けたまま、虎冴は言い放つ。


「⋯⋯お前が、話しかけてこなかったんだろ?」 


 柴崎も、文庫本からは視線を上げずにそれに答える。


「気付いてたくせに」


 今度は振り返って、虎冴は持っていたカツサンドを柴崎の頭に落とした。


「⋯⋯まさか、一緒にご飯食べたいとかじゃないよな?」


 文庫本の上に舞い降りたカツサンドを机に置くと、柴崎はそこで初めて顔を上げた。


「今日、月曜日だろ?」


「⋯⋯ああ、そうだな」


 柴崎の表情が少し険しくなる。


「月曜日は部活がないんだ」


「それは⋯⋯前にも聞いた」


 柴崎が律儀にカツサンドを差し出すので、虎冴はビニールに包まれたそれを、人差し指と親指で摘まみ上げる。


「前もって言いにきたんだけど」


「今日は本の返却日だからダメだ」


「⋯⋯図書館の本か? じゃあ、図書館の前で待ってたらいい訳だな?」


 虎冴の微笑みを、柴崎は凝視――端から見れば睨みつけた状態で固まる。


「それじゃ、また放課後」


「おい、また勝手なこと⋯⋯!」


 虎冴は背後から聞こえてくる抗議を無視すると、小走りで西條の待つ廊下に向かった。




「本の返却は終わったのか?」


 長机の隅に座っていた柴崎に、虎冴は声をかける。


――外で待っていても現れないはずだ⋯⋯――


 カバーのついた文庫本に視線を落としたままの柴崎の様子に、虎冴はバツが悪くなって頭を搔く。


「⋯⋯今回は何の本読んでるんだ?」


「⋯⋯殺し屋の出る話」


 ざっくりと説明する柴崎の向かいに、虎冴は腰を下ろす。


「殺し屋?」



「自殺に追い込んだり、ナイフで切りつけたり」


「全然内容分からないけど⋯⋯ホラー?」


「⋯⋯いいや、巨悪に立ち向かう話」


 柴崎は視線を上げずに文庫本のページを捲る。

 平日の夕方、彼らがいる図書館の隅は閑散としていた。


「⋯⋯もしかしなくても、怒ってる?」


 虎冴の問いに、柴崎は少しだけ顔を上げる。


「怒ってはない」


 柴崎のあの鋭い目が、虎冴を捕らえる。


「ただ、ほっといて欲しいし、お前が俺の家に泊まりにくる意味が分からない」


「⋯⋯それ、本当に怒ってないのか?」


「⋯⋯怒られそうなことをしているっていう、自覚はあるんだな」


 柴崎はしおりを挟んで、文庫本を閉じる。


「多少はね」


 虎冴はそう言って苦笑いを浮かべると、柴崎のことを真っ直ぐ見据えた。


「⋯⋯理由ならあるよ」


 徐に切り出す虎冴の表情がいつになく真剣なものだったので、柴崎は開きかけた口を閉じて押し黙る。


「でも、それを柴崎くんに言うつもりはない」


 柴崎の眉間の皺は、当然濃くなる。

 柴崎には、虎冴は自分勝手だと、いくらでも切り捨てることはできるはずだった。

 柴崎にそれができなかったのは、虎冴が〝本心〟を語っていると直感的に理解できたからだ。



 柴崎にも、決して誰にも言えないことがある。



「ただ、今はその〝理由〟よりも⋯⋯なんて言うのかな⋯⋯もっと柴崎くんと話してみたいって言う気持ちの方が大きい」


「⋯⋯俺と話して何になるんだよ」


「単純に面白い」


 虎冴は屈託のない笑みを浮かべる。


「学校だと接点ないしさ」


「⋯⋯だからって俺の家に泊まりに来たいって言うのか?」


「そうだね。もっと言えば⋯⋯」


 虎冴は言葉を切って少し頬を掻く。


「ちゃんと友達になりたいかなって」


 柴崎の鋭い瞳が、ほんの少し驚きで大きくなる。


「⋯⋯別に、俺の家に来ることはないだろ」


「学校だと、また無視されるかもしれないだろ?」


 虎冴の悪戯っぽい笑みに、柴崎は閉口する。


「柴崎くんっていつから一人暮らししてるんだ?」


「⋯⋯四月から」


「料理している気配なかったけど、やってるの?」


 質問を重ねるごとに、虎冴には柴崎の機嫌が悪くなっていくように見えた。


「⋯⋯お前に関係ないだろ。だいたい料理してるかどうかなんてなんで分かるんだ?」


「柴崎くんと違って料理するからね」


――今、自白しているようなものだし――


 虎冴は言葉を飲み込んで、これから自分が言おうとしていることに思いを馳せる。

 きっと、柴崎と〝衝突事故〟を起こした日の虎冴自身には、とても想像のできない提案だろう。そうまでして自分は彼と友達になりたいんだと思うと、虎冴は少し気恥ずかしくなる。

 会話の流れもあった。ずっと不満そうな柴崎の顔が癪だったというのもある。

 ただ、一度こうだと決めたからには、それを貫き通す覚悟が虎冴にはあった。

 伊吹虎冴という人間は存外頑固なのである。



「料理、教えてあげるよ」



 柴崎は、真意を測りかねて沈黙のまま虎冴を睨みつけた。


「⋯⋯つまり、交換条件だよ。柴崎くんの家に遊びに行かせてもらう代わりに、俺は柴崎くんに料理を教えてあげようって話。一人暮らしで、ずーっと自炊しないって訳にもいかないだろ?」


「別に、自炊しないからって困ってなんか⋯⋯」


「もちろん、俺も泊まるときは食費出すし、メニューだって柴崎くんの好きなものにしてもらって構わないからさ」


 柴崎は腕を組むと、何事か逡巡して動きを止める。


「⋯⋯お前が料理をすれば、食費も抑えられるのか?」


「それが望みなら、そうするけど?」


 夕方5時を知らせる童謡が近くの小学校から流れ始める。

 柴崎は本を鞄にしまうと、徐に立ち上がった。


「まだ、答え聞いてないんだけど」


「⋯⋯断ったって、折れる気はないんだろ?」


 柴崎は、虎冴が知り合ってから今までで一番大きなため息をつく。


「⋯⋯もう、好きなようにしたらいいさ。ただし、あんまりうるさいようなら帰ってもらうからな?」


「料理の方は?」


「お前がやるって言ったんだから、やれよ」


「俺が作るだけじゃなくて、柴崎くんにも覚えてもらわなきゃいけないんだけど、分ってる?」


「分ってるよ」


 投げやりに吐き捨てた柴崎が、そのまま図書館の出口に向かうので、虎冴はその背中について行く。


「初日の今日はどうしましょうか、柴崎くん」


「⋯⋯」


「やっぱり最初は、カレーですかね。作り置きもしておけるし。⋯⋯そう言えば、流石にお米くらいは買ってあるよね?」


 外は近頃にしては珍しく晴天だった。

 二人は肩を並べた状態で、図書館裏の階段を上る


「⋯⋯やめないか?」


「⋯⋯何を?」


 延々と虎冴が喋り続けていたのを、柴崎が遮る。


「〝柴崎くん〟って呼び方だよ。苗字呼びでくん付けなんてむず痒い通り越して、なんか気持ち悪い」


 虎冴は目を(しばた)く。


「⋯⋯失礼な奴だな」


――そんなこと気にしてたのか――


 階段の上の公園まで出ると、暮れかかった日の光が二人を眩しく照らし出す。


「じゃあ、リュウちゃん、シバリュウ、リュウ坊とか?」


「⋯⋯別にあだ名を付けてくれって言った訳じゃないぞ。普通に柴崎でも龍介でも呼び捨てにしてくれたらいい」


「いや、ここは〝しばっち〟にしよう」


 柴崎は見るからに嫌そうな顔で虎冴のことを睨む。


「じゃあ、しばっちも〝お前〟じゃなくて、ちゃんと名前で呼んでくれよ?」


「⋯⋯伊吹だっけか?」


「⋯⋯そこは下の名前で呼んでよ。そうでないと困る。まさか忘れたってことはないだろ?」


「何が困るんだよ⋯⋯確か虎冴だろ?」


 交差点に差し掛かったところで、虎冴は満面の笑みで柴崎の前に躍り出る。


「さて、カレーの材料を買わなければいけない訳だが⋯⋯この辺にあるスーパーってどこ?」


「⋯⋯先に、家に荷物を置きに行く。その方が効率的だ」


 どこか不服そうに虎冴の横を通り過ぎる柴崎の様子を見ながら、不思議と虎冴は、これから始まる日々に胸を躍らせるのだった――


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