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月曜日の同居  作者: 晨暉悠翔
3/7

一話(Ⅱ)出会い



〝時間潰すなら、図書館にでも行け〟


 説得空しくそう言われた虎冴は、実際に図書館の中にいた。


――あいつ、俺が本読まないの知ってるくせに――


 心の中で犬養に悪態をつきながら、虎冴は小説コーナーに入って、本の背表紙をぼんやりと見つめる。「あ」から作者名で並べられた棚を順番に歩きながら、「作家名 な」と書かれたプレートの位置で立ち止まった。

長月(ながつき)(のぞむ)

 県立図書館で数十冊の単行本が並ぶその人気作家は、虎冴にとって大好きな――そして大嫌いな小説家であった。

 『オムライス』というタイトルの代表作を手に取って、表紙の絵を眺める。


――文庫の装丁の方が、俺は好きかな――


 中身をパラパラと捲るも、虎冴は毛頭読む気などなかった。



 虎冴は、この本を読んだことがないし、これからも読むつもりはないのだ。



 『長月望』の本を手に取って棚に戻すことを繰り返しながら、結局、小説は読めそうにないと諦める。


――1冊くらい読んでやろうかと、いつも思うんだけどな――


 心の中で苦笑いを浮かべながら、虎冴は図鑑コーナーに移ると、『恐竜図鑑』を手に取った。

 高校生にもなって恰好はつかないが――案外時間も潰せるので――虎冴は割と図鑑が好きだった。

 長机の窓際の席に座って、図鑑の適当なページを広げる。

 ふと、窓の外を眺めてみると、雨は激しさを増しているようだった。

 虎冴は頬杖をついて、改めて図鑑に目を落とす。


――たまに見てるけど、全く名前とか憶えらんないんだよな――


 ティラノサウルス、プテラノドン、トリケラトプス……

 目をつぶって、浮かんだ名前がたったの三つだった事実に愕然とする。図鑑に対する冒涜の証明に、虎冴は苦笑いを浮かべる他なかった。

 目を開いて、たまには真面目に読もうかと思った矢先、長机の反対側に、自分と同じ制服の少年を見つける。

 彼はブックカバーのついた文庫本を手にしており、どうやら持参してきた本を、わざわざ図書館で読ん

でいるらしかった。


――図書館で新しい本を探してみたけど、やっぱり今読んでる本の先が気になったとか?――


 図書館では少数派であろう彼の顔を、目を細めて確認した虎冴は、素早く図鑑を持ち上げると自分の顔を隠した。


――おいおい、イケメンくんじゃないか――


 彼はあの、帰り際に虎冴がぶつかり、虎冴を睨み付けた、例の少年だったのだ。


――修司の話だと、名前は確か柴崎龍介だっけか――


 そっと図鑑をずらして、虎冴は彼の様子を観察する。

 柴崎は、少し猫背気味な姿勢で両肘を机に置き、依然として文庫本に視線を落としていた。


――なんだか……――


 虎冴の胸に何かつっかえたような、肌触りの悪い感情が込み上げてくる。それはふわふわしているが冷たくて、下手したら虎冴の全てを包み込んでしまうような、そんな〝何か〟だった。

 柴崎が虎冴を無視して背を向けたときも、虎冴はこの気持ち悪さを感じていたのだが、虎冴にはこの感情を言語化することはできなかった。


――……そもそも隠れる必要もないか。悪いことした訳じゃ……いや、したけど。多分逆恨みされるほどでもないし――


 虎冴は冷静になると、持ち上げていた図鑑をそっと元に戻す。

 そして、チラチラと柴崎の方を見ながらも、紙面上で息づく白亜紀の巨大生物に思いをはせた。



「すみません、もう閉館時間になるんですが……」


 小さく左右に揺り動かされながら聞こえた女性の声に、虎冴は目を擦りながらゆっくり起き上がる。


「……すいません」


 虎冴のことを起こした司書は、小柄で眼鏡をかけており、起き上がった虎冴の顔を覗き込むと、小さく笑みを浮かべた。


「本、戻しておきましょうか?」


「いや、大丈夫ですよ。 自分で戻します」


 「蛍の光」が聞こえる中、虎冴はそういって立ち上がると、図鑑のあったキッズコーナーに向かう。


――三十分くらいは起きてたかな……――


 図鑑を所定の場所に戻した虎冴は、大きな欠伸を一つすると、あのイケメンの座っていた席を確認する。

 当然のように、柴崎龍介の姿はそこにはなかった。


「イケメンくんは一生懸命、何の本を読んでたんかね」


 虎冴のことを睨み付けた、彼の冷めた瞳を思い出しながら、彼は自動ドアから図書館を出た。

 虎冴は、自分でも気付かないうちに柴崎のことが気になっていた。それは正体不明の感情のせいであったし、一見、全く似ていないはずなのに、柴崎にどこか〝近い〟ものがあると感じていたからだった。


 小降りになった雨の中で、虎冴は一瞬傘を差そうとして立ち止まるが、思い直して傘を閉じる。

 図書館から虎冴の目指す駅は十分もかからない距離にあり、この振り方なら、傘を差さずとも問題はないだろうと思われた。


「あれ……これって……」


 たまたま水たまりを避けようと、下に視線を向けていたとき、虎冴は茶色い物体を見つけて拾い上げる。

 そのケースの透明な部分からは、駅名が書かれた定期が覗いていた。駅名の一つは学校からの最寄り駅で、虎冴が今まさに向かっている場所だった。


――おっちょこちょいな奴がいるもんだな――


 名前でも書かれていないかと、片手でケースに隙間を作って片目で中を確認する。


――?……――


 定期の裏側に、定期と同じ大きさの、白い厚みのある紙を見つけて虎冴はそれを引き出す。

 予想外にも、今度の品は写真だった。

 どこかの民家の玄関で、二人の男性が肩を並べて映った写真。

 片方はセーターを着た爽やかな笑顔を見せる好青年で、片方は学ランを着たぎこちない笑顔の少年だった。


 特別なポーズをとっている訳でもなく、写真の二人は拳ほどの間を空けて突っ立っているだけだったが、二人はとても親しい間柄に見えた。


――まあ、定期だし。駅まで行けば、落とした人はすぐに見つかるだろ――


 虎冴は写真を元に戻すと、改札の前で定期が見つからずに、慌てて辺りを探す青年を想像しながら、足早に駅まで急ぐ。


 ふと、先ほど見た写真の絵が頭に浮かび、違和感がよぎる。


――今、何かを感じたけど……なんだ?――


しかし、虎冴がその正体に気付くよりも駅に着いてしまう方が早かった。


 コンビニやカフェが並ぶ駅構内を、挙動不審な人がいないか歩いて探す。辺りを見回しながら、自分も挙動不審になって駅の改札前まで到達するも、特段困った顔をした人はいないように見えた。


――おかしいな。駅に着くまでにすれ違った人も、何か探してる風じゃなかったし……探すの諦めて帰る

なんてことも、あまりないと思うんだけど――



「おーい、少年。何かお困りかい?」



 思案気に首を傾げていると、遠くから男の声が響く。虎冴は最初、それが自分に向けられているものだとは気づかなかった。



「おーいってば、そこの改札前で突っ立っている少年」



 二度呼ばれて、虎冴は訝しく思いながら声のした方を振り返る。そこには、カフェの横で手を振っている壮年な男が立っていた。


 恐る恐る近づいてみると、男はスーツ姿で、首から『フリーハグ実施中』と書かれた段ボールをぶら下げていた。


――……スーツ姿でフリーハグって……会社帰りとか?――


 虎冴は『フリーハグ実施中』の字面を凝視しながら、男の恰好と行動のちぐはぐさに疑問符を浮かべる。


「あれ、興味あるかい? やろうか? ハグ」


 男は首から下げた段ボールを背中に回すと、にこやかな笑みで手を広げる。


「……いや……結構です」


「遠慮しなくていいのに」


「……遠慮とかじゃないんで、ホント」


 そう言われた男は、虎冴の拒絶を意に介した様子もなく、段ボールをすぐに元の位置に戻した。


「ハグはすごいんだよ。三十秒ハグすれば、一日のストレスの三分の一は無くすことができるんだから」


 嘘だと思うならスマホで検索してみなよ、と男は腰に手をあて、胸を張る。男のにこやかな笑みを見上げると、少し長い黒髪が耳にかかっているのが分かった。


「ネットの情報が正しいとは限らないんじゃないんですか?」


「……今時の若者にしては珍しいことを言うね。流石だ」


――何が流石なんだ……――


「おじさんは、セクハラでもやるつもりなんですか?」


「おお、すごく心外だなぁ。まず、僕という若人(わこうど)を見ておじさんと呼んだことについて言及したいところだが、取りあえずそこは置いてあげるとして……フリーハグをやってる人間をセクハラ呼ばわりなんていただけない」


 妙な言葉遣いに、妙な大人に絡まれた事実を虎冴は再確認する。


「なんだい、少年よ。この僕が、ひいては全国のフリーハグ民が女性のお尻目当てにやってると思っているのかい? それは偏見というものだ。だいたい〝フリー〟なんだから、男性とだってハグするんだ。今日だって二時間で十人近くハグしたけど、七割は男性だよ! セクハラ目的で三十パーセントに賭けるなんて、奇特な人間のやることだね」


「……おじさん十分、変人っぽいですけどね」


「まあ、否定はしないよ」


 ちなみに、――少年もきっと将来分かるだろうが――この歳でおじさんって言われるのは傷つくからやめるんだ、と男は続ける。


「特に用がないんだったら、もう解放してもらってもいいですか? 俺、この定期の持ち主探さないといけないんで」


 そう言いながら虎冴が掲げた定期入れに、男は顔を近づけ目を細める。


「少年は、この持ち主が見つからなくて困っていた訳か」


「……その少年っていうの、やめてもらってもいいですか?」


 虎冴の要求に、男はにこやかな笑みを浮かべる。


「……それは定期だけど、定期としての役目を果たしていないから。駅には来ないんじゃないかな?」

 平然と虎冴を無視してそう指摘され、虎冴は意味が分からず間の抜けた顔をした。


「ほら、よく見てみなよ」


 言いながら男は定期入れから定期本体を取り出すと、虎冴の目の前にそれを突き付ける。

 初めに虎冴が確認したとき同様に、それには駅名が二つ書かれており、紛れもなく定期ではあった。ただ男の指さした位置をよく見てみると、記載された日付が三月末になっていたのである。


「今年の三月ってことは……」


「切れてるね有効期限、とっくの昔に」


 自分の行動が徒労だったと知って、虎冴は脱力する。


「無駄足ってこと?」


「そうだね、駅に来ても会える可能性は低いかも」


 そう言いながら、男は定期の入っていたケースをじっと眺める。男の目線の先では、あの写真がケースから少しだけ顔を出していた。


「ただ、わざわざ有効期限が切れた定期を持ち歩いていたことには……意味はあるのかもしれない」


「意味?」


 男は虎冴に定期入れを戻すと、静かに笑みを浮かべる。


「そう。だから、これを拾った場所に戻ってみたらどうかな?」


「持ち主がいるかもしれないってことですか?」


 虎冴は定期をケースに戻しながら、首を捻る。


「でも、有効期限の切れた定期券なんて、必死に探したりするもんですかね? ……諦めても不思議じゃないと思いますけど」


「まあ、ものは試しだよ」


 釈然としない思いに駆られながらも、虎冴は駅を出るために身を翻す。


「あっ、もしハグしたくなったら、またおいでよ。気まぐれではあるけど、大抵ここにいるからさ」


「……おじさんとハグしたくなることなんか、一生ないんで大丈夫です」


 虎冴は振り返りもせずに、そう男をあしらう。


「また困ったことがあったら、相談にのるよー」


 背を向ける虎冴に、男はそう大声を出すが、結局は無視されたままだった。




「案外、虎冴くんは辛辣だね」


 虎冴が見えなくなると、男は知らないはずの少年の名を零し、苦笑いを浮かべる。


「彼はまだ……大事な人を傷つけたことはないんだろうね……」


 そう言いながら、男は自分の右手を見つめる。

 豆も傷もない薄っぺらいその手は、男には薄汚れて見えていた―――


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