小話:其の九拾九《機密事項(仮題)》
【それはなによりも最優先される】
《機密事項(仮題)》
その雑誌記者は数年、“ある噂”を追っていました。
警察機関には絶対に公表されてはならない“ある機密事項”がある、という都市伝説にも似た根拠に乏しい噂です。
同僚やライバルからは鼻で笑われ、あるいは“これから”を慈愛ある表情で心配いされます。しかし、その雑誌記者は、それらを相手するヒマすら惜しんで噂を追います。
その雑誌記者には、短くない経験に由来する自信がありました。この噂は世間を賑わせるエンターテイメント的なスクープに化けるに違いない、と。
――そして。
「よし、よしっ、ついに尻尾をつかんでやったぞ」
その雑誌記者は、隠れ家たる安ホテルの一室で、机に置いた“ひとつの書類袋”を見やりながら、溢れ出そうになる歓びを噛み締めました。
苦労のすえにやっと、“ある機密事項”に関する極秘文書のコピーを入手したのです。
その雑誌記者は務めて冷静であろうとしながら書類袋へ手を伸ばし、慎重な手つきで口を開き、それを取り出し――
「…………そんな」
目の前にある事実にうなだれ、
「くそ……」
ほんの数拍前まで大事に扱っていた書類を、まるで捨てるように投げ置きます。
予定では美酒になっていたはずの酒を取り出し、乱暴に口を開け、そのまま胃袋に流し込みます。味わいなど一切、ありません。
その雑誌記者が突然にくさった理由は、机の上に投げ出されてありました。
とても単純です。“ある機密事項”に関する極秘文書のコピーが、その雑誌記者が期待していたそれとは異なっていたからです。
「“慰安旅行に関する計画書”だと……ご丁寧に“極秘”の印で封までして。くそっ。ユーモアをきかせたつもりか、融通きかないくせに」
苦労してやっと入手した“ある機密事項”に関する極秘文書のコピーに記されてあったのは、警察機関の各部署それぞれの慰安旅行に関する計画でした。
あまりに期待はずれな結果に、その雑誌記者がため息混じりに酒をあおっていると、部屋の扉がノックされました。しかしまったく気分が乗らないので、無視をします。
すると何度目かのノックが止み、しばしの間を置いてから、当たり前のように扉が開き、チェーンロックが工具によって切断され、複数のスーツ姿の男が入室してきました。
酔いに溺れようとしていたその雑誌記者も、さすがに覚めます。
「なんだキミたちは」
その雑誌記者の問いに、しかしスーツ姿の男たちは応じることなく、
「あなたの身柄を拘束させてもらいます」
それだけ告げて、言葉の通りにその雑誌記者の身柄を拘束してしまいます。
その雑誌記者は抗議の言葉を吐きつつ、失いかけていた歓びを胸の内で再燃させていました。どうやら“あたり”を引いていたようだ、と確信できたからです。
安ホテルの外に連れ出され、停まっていた黒のワゴン車に押し込められました。そして頭に布袋を被せられ、視界を奪われます。
エンジンをかけたまま停まっていた黒のワゴン車は、その雑誌記者をのみ込むと速やかに発進しました。
その雑誌記者は連れ去られながらも、期待に胸を躍らせるがごとく考えを巡らせていました。“慰安旅行に関する計画書”は、なにか暗号のようなモノなのだろうか、と。
しばらく黒のワゴン車に揺られたかと思ったら突然に降ろされ、歩かされました。そして上昇するエレベーターに乗せられたようだと、その雑誌記者は体感から察知しました。どうやら背の高いビルの一室あたりに連れて行かれているようだ、と。
そして予想通り、どこかの一室に入りました。ソファーに座らされ、そこでやっと頭の布袋を取られます。
その雑誌記者の前には、上質なスーツに身を包んだ初老の男性の姿がありました。
「単刀直入に申しますと、あなたが嗅ぎつけたことを公表しないでいただきたい」
初老の男性が、落ち着きある口調で言いました。
「あの慰安旅行に関する計画書には、あなた方にとって相当、都合の悪いことが隠されてあると見える」
その雑誌記者は顔がにやけないよう気をつけながら、喰い付きました。いま目の前にいる初老の男性が、警察機関において政治をおこなう立場にある者であると、この状況と身なりから察したからです。
「なにか誤解されているようだが」
警察機関において政治をおこなう立場にある者が、言います。
「あれは見ての通り、慰安旅行に関する計画書ですよ。あなたが期待するような、裏も表も隠されていない」
「ほう、では、ここまでして、なぜ口止めしようとするのです」
「なぜって、決まっているでしょう」
警察機関において政治をおこなう立場にある者は、いたって真面目な顔をして述べます。
「この国の警察機関の各部署の慰安旅行に関する計画書ですよ? もしこれから悪事を働こうとする者に見られて、その悪事に対処する部署の旅行の日程にかぶせられたら、旅行の計画が狂ってしまうじゃないですか」