小話:其の九拾参《きっかけは――(仮題)》
【それが根源とは限らない】
《きっかけは――(仮題)》
とある時代の、とある国の、とある町の住宅地の、人通りが極端に少ない深夜の裏路地を、そのヒトはせわしない急ぎ足で歩いていました。額には薄っすらと汗が滲み、前髪が張り付いてしまっています。しかしそれを気にしたふうはありません。
時刻が深く、“明日/すでに本日”もあることから、家路を急いでいるのです。
そのヒトは“自分がいま時分この裏路地を歩かねばならぬ理由”を生じさせた人物に対して、どうにも投げつける場のない愚痴をブツブツと漏らしながら、せっせと足を動かし、歩みを進めます。
もうあと少しで我が家が見えてくるというとき、そのヒトはふと奇妙な感覚に気がつきました。背筋に悪寒のようなモノがあるのです。日が落ちている時間帯なので昼間と比べたら気温は低ですが、肌寒さを覚えるほどではありません。なにより、いま背後に感じているそれは、冷気による清潔な寒さとはまったく異なる、ねっとりとまとわりつくような気持ち悪い触感がありました。
なにもない、という確信はあったので、気にせずそのまま行ってしまえばよいということはわかっていました。しかしあえて背後を振り返り、その確信に絶対的な保証を付け加えたくもありました。怖いもの見たさという好奇心も微々、ありました。
そのヒトは急ぎ足のまま先にある外灯の下まで進み、明かりに包まれた転瞬、立ち止まり、背後を振り返りました。そこには、いまさっきまで自分が歩んでいた薄暗い道が黙してあるだけでした。
杞憂に終わり、そのヒトは安堵に似た微苦笑を浮かべました。
こんなことをしていないで早く我が家に辿り着こうと頭を切り替え、そのヒトは元の進行方向に向き直り――
それは、前方からやって来ました。
翌日、すべてのテレビ局で、朝のニュース番組が同じ事柄に関して扇情的に報じました。
とある町の住宅街にある裏路地で、“衣服/皮膚/筋肉/内蔵/骨”と分別された、キレイにさばかれたヒトの遺体が発見された、と。
現場の近くに住む人々は生々しさある恐怖を覚え、それ以外の多くの人々は他人事としての擬似的な恐怖を覚えました。
圧倒的多数の人々は自国の警察機関の優秀さを信頼していましたから、インパクトの大きいだけの一時的な事柄だと信じていました。しかし、生々しさある恐怖は、他人事として擬似的な恐怖を楽しんでいた人々へと侵食拡大してゆくことになりました。
まったく同じ事柄が、その朝のニュースの数十時間後に起こったのです。
そしてそれは、七日間にわたって起こりました。
あらゆる報道機関は、いわるゆ“昨今/最近/暴力表現ある創作物を所持していた人物が起こした凄惨な事件”を例にもちいながら、物語仕立てに編集された“資料映像/証言資料”をまじえて、“このこと”を報じました。
しかし、八日目は起こりいませんでした。
警察機関が、満を持して優秀さを発揮したのです。
捕らえられたのは、捕らえられた理由それ以外は特記することのない、あらゆるヒトの隣人として粛々と生活しているであろう平凡な見てくれをした若者でした。
警察機関のヒトはこの異常事態を引き起こした理由を探るために、辛抱強くあることを肝に銘じて、動機を問いました。
若者は、警察機関のヒトの想定に反して、まったく特殊な感じもなく明瞭に返答しました。まるで、昨日の晩御飯を問われて返答するかのように。
「テレビの料理番組で“魚をさばいている”のを見て“それ”に興味を懐きまして――」