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小話:其の八拾九《“あちら側”と“こちら側”(仮題)》

【金魚の糞は金魚にしか興味がない】

《“あちら側”と“こちら側”(仮題)》


 熱をおびたそよ風が流れ、砂塵が舞う。

 そんな、うんざりする暑さの中――

 ひとりの旅人が、国境に到着しました。旅人は、頭に麦わらの帽子をかぶり、その下に耳と首の後ろを覆い隠すようにして白のタオルをはさんでいます。灰色の袖の長いシャツを着て、濃紺のジーンズをはき、足には黒のアサルトブーツがありました。背に、あまり大きさのない深緑色のリュックがあり、それを包み込むようにして黒のフード付きロングコートが、伸縮性のあるロープでぐるぐる巻きにされて留めてあります。それぞれどれも“使い込まれた味”という銘の汚さがありました。

 ヒトの背丈よりもはるかに背の高いコンクリートブロックが、国境線上に沿って“見えないところ”から“見えなくなるところ”まで連なって“こちら側”と“あちら側”を形作っていました。

 国境を警備する兵士は全員、最新式の武器装備で身を固めていました。すぐに撃てる状態の銃器を手に、彼らは隙のない鋭い眼差しで辺りを警戒しています。

 道の両脇には装甲車が二両と戦車が一両、即応可能な状態で待機したいました。装甲車の上部に据え付けてある機関銃の銃口と、戦車の砲口は、すべて国境の“あちら側”に狙いが向けられています。

 しばしば衝突を繰り返してきた“過去/経緯”を持つ“こちら側の国”と“あちら側の国”は、今現在とても“繊細な緊張関係/暫定的な平和状態”にあるのです。

「あんた、本気で“壁の向こう”へ行くつもりなのか?」

 出入国管理詰め所で出国の手続きをする旅人に、ひとりの兵士が訊ねました。ガムをくちゃくちゃ噛みながら。けれど視線だけは周囲に鋭くやりながら。

「ええ」

 旅人はゴチャゴチャした書類にサインしながら答えました。

「いままでに冗談で出国手続きをしたヒトがいたのなら、あるいはこれも、冗談かもしれませんけど」

 それを聞いた兵士は、愉快そうに鼻で笑ってから、

「べつに無理に引き止めるつもりはないが、これも仕事の一部なんでな――」

 と、いかに“壁の向こう”が危険で、いかに“壁の向こうのヒト”が野蛮であるかを、睨むような視線を“壁の向こう”にやりながら語ります。


 不必要に多い出国の手続きを終え、旅人はやっと出入国管理詰め所から出れました。その顔には、疲労の色が見えます。

 ――そして。

 旅人が“こちら側”と“あちら”との境界線を越えんとする一歩を踏み出そうとしたとき、

「なあ、本当に行くのか?」

 いままで噛んでいたガムを吐き捨てて兵士が、

「その線を越えたら、いまのオレ達には、目の前であんたが“壁の向こうのヤツ”に殺されそうになっても助けてやることができない」

 旅人へ最後の確認と警告を、まるで親しい友を助けんとする者のような表情で告げました。


 それを聞いた旅人は――


「やあ、旅人さん。……なにやらお疲れのようだね」

 かっぷくのいい中年の男が、同情するヒトのような苦笑いを浮かべて言いました。

「ええ、まあ――」

 旅人も苦笑いでそれに応えます。

「それで――、と言っても、まぁここにいる時点でわかりきっていることだが」

 中年の男は、なにやら書類を取り出します。

 いまさっきの“あちら側”と違い、とても話が早く、そのことに思わず旅人の顔に笑みが浮かびました。旅人は書類を受け取り、入国の手続きをおこないます。

 先進的な機械類のあった“あちら側”と比べて、“こちら側”の出入国管理詰め所は、どこか古めかしい印象がありました。冷房の効いた“あちら側”と違い、いまにも壊れそうな扇風機が必死に首を振っているから、そう見えるのかもしれませんが。

「えっと……、手続きは“これだけ”ですか?」

 書類に必要事項を記入し終えた旅人が、それを中年の――出入国審査官の男に手渡しつつ訊きました。

「……ん? こんなクソ暑いところに長居したいのかい?」

 手渡された書類に目を通しつつ、出入国審査官の男は心の底から驚いているふうに言って、

「まぁ、どうしても書きたいって言うなら、同じやつをまた書いてくれてもかまわないが」

 と真顔でさきほどと同じ書類を取り出し――

「なんてな」

 一転、人懐っこいからかうヒトの笑みを満面と浮かべます。

「“壁の向こう”では、“こちら側がいかに危険であるか”を“環境音/背景音/ BGM ”に、無駄に多い出国手続きの書類と戦うはめになったってところだろうが――、あまり真に受けないでくれよ?」

 くだらない笑い話であるかのように、軽い口調で言う出入国審査官の男に、

「その真偽は、入国してから自分の目で確かめてみようと思います」

 旅人は“知ることが楽しみ”と語る微笑みを浮かべて、応えました。


「――ところで、旅人さん」


 出入国審査官の男は、旅人が記入し終えた書類の“ある一点”を真剣な眼差しで見やりながら、

「旅人さんの祖国は――」

 記入されている旅人の祖国の国名を真剣な口調で述べて、旅人の祖国を改めて確認するように訊ねました。

「そうですが……、なにか問題が?」

「旅人さんが入国することに関しては、なんら問題ないよ。――ただ、深刻な問題に直面している我が祖国の、その問題を解決するために尽力してくれている方が、旅人さんと同郷だから、ついこの国名に反応してしまってね」

「そうなんですか。同郷のヒトがここでそのようなことに取り組んでいるとは、知りませんでした」

 という旅人の言葉に、

「そうなのかい? あの方の取り組みは、我が祖国と旅人さんの祖国との関係においてとても評価されるべきことだから、すごく有名だと思っていたよ」

 出入国審査官の男は、心の底から意外というふうな表情をします。

「なにか公衆の注目を集められるような“問題/悲劇”が生じないと、個人の外国での取り組みを、あまり大々的に報じない国ですから、私の祖国は。――もちろん、私が旅をしているから知るのが遅い、というのもありますが」

 そして旅人は、

「できるなら、直接お会いして話をうかがってみたいものです」

 冗談半分、真摯半分の口調で言いました。


 ふたりの男が、紙巻タバコの紫煙をくゆらせながら談笑していました。それぞれ、信用性は高いが旧式である自動小銃と拳銃を装備しています。

「やあ、旅人さん」

 ひとりの男が、出入国管理詰め所から出てきた旅人に気づいて声をかけました。

 手に持った紙片を見やっていた旅人は、声の聞こえたほうへ視線をやり、

「どうも、こんにちは」

 と返事をしつつ、そこにあった“あちら側”と違う光景に驚きを覚えました。目に見える範囲内にある“武器/兵器”が、ふたりの男の装備しているモノしかなく。――なにより、そのふたりの男の雰囲気が、まるで“継続的な平和/永続的な平穏”がある国の“それ”のようだったからです。

「どこから、我が祖国へ?」

 男が問うてきたので、旅人は自らの祖国を教えました。それから、驚きを覚えたことも素直に述べました。

 それを聞いた男は、

「それは、旅人さんと同郷の――あの方の取り組みのおかげですよ」

 人好きのする笑みを浮かべて言い、あとから来たもうひとりの男に、

「なあ」

 と同意を求めました。

 もうひとりの男は、

「そうそう」

 と吸った紫煙を吐きながら同意を示します。

 そして、少し前までこの場所にも数多くの“武器/兵器”が存在していたことを教えてくれました。

「ああ、それから――」

 と、自分たちは“国境警備官”であり“国境警備兵”ではないことを付け加えます。

「つまり、いまここに“軍事力”は存在していないということですか?」

 旅人が訊きました。

「ご覧の通り」

 国境警備官の男が、笑みを浮かべながら答えました。

「あまりいい言いかたではないですが――」

 旅人は間を置いてから、述べました。

「“あちら側”の多くの銃口が向けられているときに国防を放棄してしまって、この国は大丈夫なんですか?」

「“子どもたちが恨み恨まれ殺し合わずに生きることができる平和を実現させるために取り組む努力義務が、この現状を生み出した大人たちにはある”――あの方の言葉さ」

 感慨深げに、もうひとりの国境警備官の男が言いました。

「……そうですか」

 国境から“軍事力/軍事色”を廃したことが、つまりはその“取り組む努力義務”の一環ということなのだろう。――と、旅人は解釈しました。


「やあやあ、旅人さん」


 ふたりの国境警備官の男に「「よい旅路を」」と見送られ、紙片を見やりながら歩いていた旅人に、

「道にでも迷ったのかい?」

 いまにも崩壊しそうな音を発しながらゆっくりと近づいてきたボロボロの軽トラックから、そう声がかかりました。

「いまのところは迷わず進めている――という希望を胸に、一歩一歩踏みしめながら歩いてます」

 困っているヒトのような苦笑を浮かべながら、旅人は言いました。

「どこを目指してるんだい?」

 運転席の窓から身を乗り出して、口ひげと筋肉質な胸部と腕部が印象的な中年男性が訊きました。

「ここなんですが……」

 と旅人は手にある紙片を見せました。

 それを見た中年男性は、逡巡し苦悩しているヒトのような表情をして、

「希望を打ち砕いて申し訳ないが、旅人さん」

 それから意を決したふうに旅人を見据え、きっぱりと述べます。

「進むべき方向が、真逆だよ」

 さらに話を聞くと、目的の場所が車でも半日以上の時を要する“遠く”であることが判明しました。旅人は想定を酷く誤っていたことを知り、うなだれます。

 そんな旅人を見かねて、

「明日でよかったら――」

 と、中年男性が車で送ることを申し出てくれました。

 しかし旅人は、すぐにその“厚意/思いやり”に飛び付きはしませんでした。目的地まで“安値”だと言って客を乗せ、目的地に到着したとたん「おっと」と言ってナイフをチラつかせながら「やっぱり“高値”だった」と金品を騙し取るタクシーがあったりするので、“うまい話”には慎重な判断をするよう肝に銘じているからです。

 しばしの思考の末、――旅人は言いました。


「ありがとうございます。お願いします」

 

 希望を打ち砕かれてから数分後――

 旅人の姿は、軽トラックの助手席にありました。「そうと決まれば、明日まで家に泊まったらいい。家族も、旅人さんの旅の話が聞けたら喜ぶだろうし」と中年男性が提案し、旅人がその言葉に甘えることにしたからです。

 整備されていないガタガタの道を、ボロボロの軽トラックが飛んだり跳ねたりしながら進み行きます。

 走行中の揺れが尋常ではなく、不用意に口を開くと舌を噛み切りそうになるので、――そう注意を受けたので、旅人は黙して窓の外を眺めていました。車に備え付けられたモノではない、運転席と助手席の間に置かれた“旧い電池式のラジカセ”から流れるノイズ雑じりのラジオの音楽が、窓の外を流れる風景と素晴らしい絶妙さで融和して、異国情緒を演出します。

 当然のように走行中の揺れに慣れている中年男性が、ただ単に“そうしたくて”、一方的に話しを始めました。彼は、自分はガラス細工師をしていると述べました。そしてガラス細工がこの国の代表的な土産品であることを、誇らしげに付け加えて言いました。そのままの流れで、彼はガラス細工について熱を込めて語り始めます。

 旅人は興味深げにその話を聴きました。問うてみたいことがあったりしましたが、言葉を発すると舌を噛み切りそうになるので口はつぐんでいました。ときおり言葉なく相づちを打って、応じたりしました。


「仕上げた“作品/ガラス細工”を納品に行く場所が、旅人さんの目的の場所の近くなんだよ」


 旅人の問いに、ガラス細工師の男性が答えました。

「そうだったんですか」

 旅人は得心したふうに言いました。

 ふたりの姿は、いまは軽トラックの外にありました。軽トラックは、エンジンを切って停車しています。

 砂塵から守るための背の高い塀に周りを囲まれた、レンガ造りの家がありました。すべての窓に、鉄製の格子が付けられてあります。

「あとでその“作品/ガラス細工”を見せていただいても、いいですか?」

「いいもなにも、はなっから見せる気満々だったんだが――」

 ガラス細工師の男性が、愉快そうな笑みを浮かべて応えました。

「おーかーえーり――――っ!」

 家から飛び出てきた元気な声が、元気な勢いで、ガラス細工師の男性にぼすっと突撃しました。元気な声は、肩口までの黒髪をした女の子の姿をしていました。額の右の位置で、髪は輪ゴムで結ばれてあります。

「おおっ、元気なお姫様」

 ガラス細工師の男性は幸せそうな顔をして、

「ただいま」

 女の子の頭を優しく撫でました。

「むふー」

 と嬉しそうに、女の子はガラス細工師の男性の腹部に頭をぐりぐりします。そして「はっ!」と“そのこと”に気が付いて、

「だあれ? おとーさんのおともだち?」 

 好奇心が燦々と煌めく瞳を旅人に向けて、訊きました。

 ガラス細工師の男性が、「旅人さんだよ」と紹介します。

 旅人は地に片膝を着いて目線の高さを合わせてから、

「こんにちは」

 と微笑みを浮かべて挨拶しました。

「こんにちはっ」

 女の子は元気な声で元気よく挨拶して、

「たびびとしゃんっ」

 元気よく噛みました。

 旅人とガラス細工師の男性は、和やかな気持ちになって柔らかな表情を浮かべました。

 そんな優しい雰囲気に、

「うぅー」

 女の子は顔を真っ赤にして、

「――っ」

 ついに耐え切れず、踵を反して家へ駆け戻って行きました。

「元気で可愛い娘さんですね」

 旅人が立ち上がりつつ言いました。

「だろう? 自慢の娘さ」

 ガラス細工師の男性は誇らしげに胸を張り、そして、

「最近やっと“笑顔”を見せてくれるようになったんだ」

 どこか遠くを見やるように述べました。


「あら、お客さんかい?」


 ガラス細工師の男性に招かれて玄関をくぐってきた旅人を見て、老いた女性が訊きました。傷みある長い白髪を、後ろでひとつに束ねています。

「旅人さんだよ、母さん」

 ガラス細工師の男性が、旅人を諸々の事情も含めて紹介しました。そして老いた女性のことを自分の母親であると、旅人に紹介します。

 旅人は、“ガラス細工師の男性/息子さん”の“厚意/思いやり”に対する感謝の意を述べつつ、

「突然お邪魔して、すみません」

 いきなりやってきたことを詫びました。

「あら、べつに詫びることなんてないのよ」

 老いた女性は人好きのする笑みを浮かべて、

「――来るモノは拒まず。誰であれ客人を最高の“もてなし”で迎えるのが、この国の誇るべき“伝統/風習/精神”なんだからね」

 言って、誇るように胸を張ります。そして、

「そうとなれば、力を入れて夕食の準備しなくちゃ」

 と腕まくりをして、台所のほうへ消えてゆきました。


「おお、お客さんかな?」


 ガラス細工師の男性に案内されて入室してきた旅人を見て、老いた男性が訊きました。頭に髪はなく、その代わりに立派な口髭をしていました。革製のひとり掛けソファーに腰を落ち着け、口には紙巻タバコをくわえています。

「旅人さんだよ、父さん」

 ガラス細工師の男性が、旅人を諸々の事情も含めて紹介しました。そして老いた男性のことを自分の父親であると、旅人に紹介します。

「こんにちは、旅人さん」

 老いた男性は、紙巻タバコをくわえたまま言いました。

「こんにちは」

 旅人は挨拶をしてから、“ガラス細工師の男性/息子さん”の“厚意/思いやり”に対する感謝の意を述べました。

 老いた男性は自分の子どもを誇るふうに笑みを浮かべてから、

「吸うかい?」

 と新たに取り出した紙巻タバコを、旅人に差し出します。

 それに対して旅人は、

「ありがとうございます。ですが、普段吸わないので、お気持ちだけいただきます」

 きっぱり断りの意を述べました。国や地域によっては、旅人の祖国で禁止されている“麻薬/薬物”が規制なく扱われていたりするので、このような誘いを受けた場合はなるべく断るようにしているのです。場合によっては、――例えば、ある山岳地帯では高山病の症状を和らげるための“薬/くすり”として、旅人の祖国で禁止されている“麻薬/薬物”が用いられたりします。もしこの山岳地域で高山病になってしまったら、それでもなるべく異なる解決方法を模索しますが、“それ”を用いる例外はありえます。

「そうかい」

 残念そうなふうも、気分を害したふうもなく、老いた男性は紙巻タバコを引っ込めました。――そして、至って自然な流れであることを装って、

「ところで旅人さん。火を持っていたりしないかな?」

 存在を“主張/強調”するように、火の点いていない紙巻タバコを口先で上下に動かします。

「ありますよ」

 旅人はジーンズのポケットから潰れて厚みがなくなったマッチ箱を取り出して、言いました。

 それを見て聞いた老いた男性は、

「おおっ、救世主が現れた」

 と嬉々満面です。

 旅人はマッチを擦って火を点け、それを老いた男性の紙巻タバコに――

「あーっ! ダメだよぉーっ!」

 着火は、しかし元気な声に阻止されてしまいます。銀の円筒形のコップを載せた銀のトレイを持って現れた、女の子に。

「おじーちゃん、キンエンするってやくそくしたでしょー!」

 と女の子に責める口調で言われ、

「ん、うん……。そうだった……、そうだったね……」

 しおれるように、老いた男性は紙巻タバコをしまいます。

「すまんね、旅人さん。一本、無駄にさせてしまって」

「いいえ」

 ふたりのやりとりを柔らかな気持ちで見やっていた旅人は、

「この家の中の力関係という重要な事柄が知れたので、無駄になっていませんよ。むしろ、お得でした」

 そう言って、そっとマッチの火を消しました。


「た・び・び・と・さ・んっ、お・ちゃ・をっ、どーぞ」


 噛まないよう慎重に言って、女の子が旅人に銀の円筒形のコップを差し出しました。

「ありがとう」

 そう言って旅人が受け取ると、

「どーいたしましてっ」

 女の子は銀のトレイを抱きかかえて、「えへへ」とはにかみます。そして、その場にペタンとお尻を着けて座ります。

 部屋には、老いた男性が座るソファー以外に椅子の類はなく。床には、極彩色の装飾の施された絨毯が敷かれてありました。この国や周辺諸国では、床に絨毯を敷いてその上で飲食をしたりするのが一般的な“習慣/風習”なのです。――ですから、旅人も、ガラス細工師の男性も、女の子も、老いた男性以外の面々は絨毯の上に座っています。

「たびびとさんっ」

 女の子がズイと身を乗り出し、

「たびびとさんのくにのこととか、たびびとさんのたびのおはなしとか――」

 未知に対する好奇心で目を燦々と輝かせながら言いました。

「きかせてくだしゃいっ」

 どうやら、女の子は気持ちが急くと噛んでしまうようです。

「……うぅ」

 またも噛んでしまったことに赤面してうつむく女の子に、和やかな気持ちをもらって旅人は、

「じゃあ、まずは――」

 と、話し始めました。


「さあ、遠慮なんてしないでガッツリ食べておくれよ」


 食事前の祈りを終えてから、老いた女性が言いました。

 絨毯の上には、それぞれ銀の器に盛り付けられた食べ物が置いてありました。この国や周辺諸国の基準からしたら少し豪華な、旅人の祖国の基準からしたらやや質素な、品揃えです。

「……たびびとさんは“おいのり”しないの?」

 女の子が、不思議そうな顔をして訊きました。この国や周辺諸国では、宗教的な習慣から必ず食事前に祈りをするので、それをおこなわなかった旅人の姿がその目には不思議に映ったのです。

 しばしば同じふうに訊かれたり、あるいは無礼と受け取られて問い詰められたりした経験のある旅人は、簡潔に自分の祖国での“祈り”について説明しました。“いただきます”という言葉が、この国や周辺諸国の“祈り”と似たようなモノである、と。

 ――そして。

 旅人は説明したことを実践して見せます。手を合わせて、目をつむり、

「いただきます」

 と言ってから、置いてある食べ物を手に取ります。口に運びます。味わいます。

「うん、とっても美味しい」

 それを見た女の子は、面白いモノを見つけたふうな笑みを浮かべて、

「いぃー、たぁー、だぁー、きぃー、まぁー、すぅー?」

 旅人のマネをして言いました。


 ――そして。

 ガラス細工師の男性の“作品/ガラス細工”に対する熱い語りと共に、夜は過ぎ去り。


 朝日が顔をのぞかせたばかりの、早朝。

 玄関口まで出てきてくれた面々に、旅人はお礼の言葉と別れの言葉を告げました。

 老いた女性に抱っこされている、まだ夢の中にいる女の子が、

「……たびびとさぁん、またねー」

 ちょこっとだけ夢から現実に意識を戻して、小さく手を振り――また夢の中へ。旅人もそれに応じて、微笑みを浮かべて手を振りました。

「よし、じゃあ行こうか」

 改めてお礼の言葉を述べてから家から出てきた旅人に、玄関前で待っていたガラス細工師の男性が言いました。彼の側らには、軽トラックがいつでも発進でしきようエンジンを噴かして停まっています。

「お世話になります」

 と頭を下げる旅人に、

「いいって」

 ガラス細工師の男性は笑みを浮かべて応じ、軽トラックに乗り込みました。


「あら? 見学のお客さんですか?」

 ガラス細工の工房に到着し、旅人とガラス細工師の男性が軽トラックから降りると、そう声が掛けられました。

 見やると、そこにはまだ若い女性の姿がありました。濃紺のジーンズ、白の長袖シャツを着て、布地の厚いエプロンをしています。肩口の辺りで切り揃えられた髪の、前髪は視界を確保するようにピンでしっかり留めてありました。

「旅人さんだよ」

 ガラス細工師の男性が、旅人を諸々の事情も含めて紹介しました。そして若い女性のことをガラス細工師――の見習いであると、旅人に紹介します。

「よろしくっ! 旅人さん!」

 見習いガラス細工師の若い女性は、旅人の手を取って元気すぎる握手と挨拶をしました。彼女はどうやら、悪くない厄介さを極々少々持ち合わせている快闊なヒトのようです。

「こ、こちらこそ」

 ブンブンと激しく上下に振るというダイナミックな握手を強制され、旅人は意図せずして身体をガクガク揺らしながら、

「よろしく」

 目前にある元気さにやや気圧されつつ、応じました。

 そんなふたりのやり取りを微笑みながら見ていたガラス細工師の男性は、「こっちの準備が終わるまで好きに見て回ってくれてかまわないから」と旅人の方にポンと手を置いてに告げると、用事のあるほうへ足を向けます。

 旅人は手伝うと申し出ましたが、

「気持ちは嬉しいが、それならまず旅人さんにはここの見習いになってもらわないとな」

 受け入れてもらえませんでした。

「“家に帰るまでが遠足”ってやつですよっ! 旅人さん!」

 見習いガラス細工師の若い女性が、事情を説明するふうに言いました。それから間を置かずして「――でっ!」と言葉を継ぎ、

「旅人さん! せっかくですから私が工房の案内を――」

 脅迫するがごとき前のめりな勢いで、そう申し出ます。

「……是非、お願いします」

「はいっ! お願いされましたっ!」


 旅人は手にあるガラス細工のペンダントを見やりながら、

「驚きました」

 と、隣の座席、軽トラックのハンドルを握るガラス細工師の男性に言いました。

「ん? 旅人さんは初めてだったのかい? ああいう工房を見るの?」

「いえ、初めてではありません。生まれ育った国にもありましたから。――でも、だからこそ驚きました。火を扱うところに女性がいることに」

「ああ、旅人さんの国にもあるんだね。“それ”」

「……“にも”?」

「この国にもあるんだ、そういう古くから続いてるのが。だからあの娘を見習いとして工房に入れるときは、いろいろあったよ」

 ガラス細工師の男性は思い出を懐かしむ微苦笑を浮かべながら、言いました。

「そうするだけのモノを彼女は持っていた、と」

 そんな旅人の言葉に、

「いま旅人さんが手に持っている“それ”、どう思う?」

 ガラス細工師の男性は問いを投げて応じます。

「……他に見たことのない独創的なモノだな、と」

「じゃあ、旅人さん。“それ”に値札が付いていたとしたら、旅人さんはお金を支払ってでも手に入れたいと思うかい?」

「…………思いません。食料や消耗品、旅に必要なモノを優先します」

 ガラス細工師の男性は、旅人の正直さに愉快そうな笑みを浮かべてから、

「あの娘に、あえて優遇するほど飛び抜けたところはないよ」

 フロントガラスの向こう側に真摯な眼差しを向けて、述べます。

「でも、それは、あの娘のガラス細工をやりたいという意志を否定する理由にはならない。性別に関してもそうだ、本来は、ね。いままでは性別を理由に理不尽に意志を否定していたかもしれないけれど、いまは違う――というふうにしたいんだ。とても個人的な意向さ」

 旅人は、工房を去るとき、見習いガラス細工師の若い女性がくれた彼女の作品を見やりながら、

「なるほど」

 と応じました。


 人工物よりも乾いた土の色のほうが多かった窓の外の景色が、ガラリと一変しました。

 レンガやコンクリートをもちいた建築物が等間隔に並んでおり、背の高い建築物も多々見られます。それらの建物の中へ電気を運ぶための電線が張られてあり、それを支える木製の電信柱が道なりに等間隔で並んでありました。

 道もしっかりと舗装されてあり、自転車やバイク、自動車が見られます。荷物や人物をのせたリアカーを引いている自転車やバイクもありました。交通量は自転車とバイクが多く、自動車はそれほど多くありません。とりあえず、渋滞につかまってイライラしたり、車が揺れて舌を噛む心配はせずに済みそうです。

 当然のように、建築物や舗装道路を利用するヒトたちの姿がありました。また、そんなヒトたちを相手に道端で商売をするヒトたちの姿もありました。野菜や果物、装飾品や腕時計、なにかの部品と思しきモノ、正規品である保証のない携帯電話やソフトウェアなどを売っています。高級そうな汚れた衣服を身につけたヒトや、質素な作りの清潔な衣服を身につけたヒトが、品物のよさをアピールしたり、品定めをしていたりします。

 空が狭くなったな、と旅人は懐きました。

 旅人はここで見られるモノよりもはるかに背の高い建築物が密集して建ち並ぶ、いわゆる過密都市のここより狭い空を知っていましたが、“いままで”と“いま”との目に見える変化が極端だったので、空が狭いことが当たり前のところのそれよりも強くそうかんぜたのです。

「ようこそ、我が祖国の首都へ」

 ガラス細工師の男性が、誇らしげに言いました。

 そして軽トラックはとくに問題もなく首都の中心部へと進み――

「……ん?」

 旅人は眉根を寄せました。

 空が、とうとつに広くなったのです。

 大きな公園があるわけではありません。

 道幅が広くなったわけでもありません。

 空が見たいと望んで整備された結果には到底、見えません。

 倒壊寸前の建築物と破壊された建築物の瓦礫という光景が、軽トラックの窓の外にありました。

「ああ、これは――」

 旅人の様子に気がついたガラス細工師の男性が、努めて淡々と言います。

「“こちら側”と、“あちら側”の、現在に地続きの過去の一部だよ。互いに百数十発のロケット弾を撃ちあったんだ」

「“あちら側”に、こういう痕跡は見られませんでした」

 言って、旅人は“あちら側”の光景を思い出し、「そうか……、だから」とひとつ得心しました。

「なにが、“そうか”で、“だから”なんだい?」

「一部の区画に集中して建築工事現場が多い印象を、“あちら側”で受けたので。てっきり区画整理や再開発をしているのものと考えていたのですが」

「ああ、なるほど。ま、再開発であることには違いない。“あちら側”は超大国のひとつと仲がいいから、いろいろと早いようだ」


 軽トラックが壊れそうな気配を漂わせながらも順調に道を進むと、またも窓の外の光景が一転しました。

 空が狭くなり、人々の日常風景がそこに戻ります。

 もしかしたら悪い白昼夢を見てしまったのかもしれない、と旅人は思ってみようとしました。しかし意図せずして視界内に入ってきた軽トラックのサイドミラーには、妙なほど鮮明に広い空が映ってありました。


「着いたよ」

 ガラス細工師の男性は軽トラックをある建築物の門の前で停め、

「ところで」

 門の向こう側にある頑強そうな建築物を見やりながら、

「旅人さんは、こんなところになんの用事があるんだい?」

 疑問を口にしました。

 旅人は、こちらの様子をうかがう門番らを見やりながら応じます。

「同郷のよしみでお話をうかがえるそうなので――」


 旅人は持ち物など身なりをしっかりと確かめてから、ガラス細工師の男性にお礼を述べ、軽トラックから降りました。

「いいって、こっちが好きでやったことだから」

 ガラス細工師の男性は照れたふうな微笑みを浮かべて言い、

「それじゃあ、旅人さん。またいつか機会があったら――」

 じゃっ、と軽く片手を上げてから、軽トラックを発進させます。

 旅人はその後姿を見送ってから、

「さて、と」

 門番らのほうへ移動します。

 門番らは皆、腰のベルトに拳銃の収まったホルスターと警棒を留めていました。

「なにかお困りですか?」

 門番のひとりが進み出てきて、旅人に気さくな口調で訊きました。さり気なく、警棒の柄の上に手をかけています。

 他の門番も、じつにさり気なく、拳銃のグリップに手を置いています。

 旅人は自らの両の手が相手からちゃんと見えるようにし、いらぬ誤解を与えぬよう身動きに配慮しつつ、訪れた理由を述べました。


 身体検査を受けてやっと、旅人は建築物に入ることができました。荷物の一切は、例外なく預けることになりました。一時的に没収された、とも言えます。

 旅人が通されたラウンジのソファーに腰を落ち着けると、その前に設置されてあるガラステーブルに湯気香るコーヒーが置かれました。

「ありがとうございます」

 旅人はコーヒーを出してくれた案内人にお礼を言いつつ、それに口をつけます。

「こちらで少々お待ち下さい」

 案内人は淡々とした口調でそう述べると一礼をし、足早に去ってしまいました。


「いやー、お待たせして申し訳ない」

 旅人がコーヒーの八割ほどを胃に流し込んだあたりで、そう声がかかりました。

 見やるとそこには、やや疲れた顔をしている痩身の男の姿がありました。派手さのない上質なスーツを着ています。

「いえ、こちらのほうこそ。お忙しいところ無理を聞いていただいて、ありがとうございます」

 旅人は起立してから軽く頭を下げ、感謝の意を述べました。

 いま旅人の前にいる痩身の男こそ、旅人が“こちら側”に入国する際に入国審査官の男が言っていた“この国の問題解決に尽力している個人”でした。“直接お会いして話を――”という旅人の言葉を聞いた入国審査官の男が、個人的な内部の知り合いを通じて「実現できないものか」とかけ合ってくれたのです。ダメ元の試みでしたが、“同郷”ということがよいふうにきいたようです。

「いい気分転換になりますから――」

 痩身の男はそう言って、旅人の対面のソファーに腰を下ろしました。

 旅人もそれにならいました。

 それからふたりは故郷のことを懐かしむように語らい、旅人は自らの旅の話をしました。その流れから、ふたりの話はこの国のことに至ります。

 旅人は、入国してから現在までの出来事を話しました。

 痩身の男は、笑顔でそれに相づちを打ったりしました。

「忙しさを思い出させてしまうのですが――」

 旅人は、痩身の男がこの国のために尽力していることに関して訊きました。

 痩身の男は、上機嫌に応じます。

 いま“こちら側”と“あちら側”が“繊細な緊張関係/暫定的な平和状態”にあり、些細な刺激で再び戦争が始まってしまうのが現状である、と前置いてから、述べます。最近まで“こちら側”の国の運営に関わるヒトたちの中にも、やられるまえにやってしまえという考えを持っているヒトが多かったこと。そんなヒトたちに、武力以外の方法で解決するべきだと説得して回ったこと。そして説得に成功して、いまは最後の調整をしていること。

「“あちら側”は武力を含めた解決策を想定しているようでした。それもわかりやすいぐらいに」

 旅人はその目で見たからこそ、率直に口にします。

「この国の運営に関わるヒトたちが、あなたの説得を受け入れるとは思えないのですが?」

「確かに、そうですね」

 痩身の男はとくに反論することもなく相づちを打ち、

「旅人さん、私は祖国を誇らしいと思っています」

 と真摯な姿勢で述べました。

 旅人はその意をどうにもくみ取り切れず、思考する間が生じます。

「祖国に仲介役を務めてもらうのです」

 痩身の男が、結果を確信しているような口調で述べました。

「それはもう決まっていることですか?」

「いえ、まだです。祖国の外交の運営に携わる信頼できる個人的な知り合いを通じて、政府に要請しているところです」

「……仲介役を断られたら、どうするんですか?」

 という旅人の言葉に、痩身の男は愉快な冗談を聞いたヒトの微笑を浮かべて、

「それはありえないことですよ、旅人さん」

 そう断言します。

「まだ確約を得ていないのに、ですか?」

「ええ」

「なぜ?」

「それは私たちの祖国だからですよ、旅人さん」

 痩身の男は前方だけを見ているヒトの共感を求める口調で、力強く述べます。

「戦争を“放棄/否定”し、平和に高い価値をおき、平和の継続と擁護に最大の努力を払う。私たちの祖国の最高法規である憲法は、そう定めている。そして“ここ”は、私たちの祖国の働きがあれば平和を築くことができる。高い確率で“改善できる/救える”状況がある。――政府が断るわけがない。断れるわけがない。そうでしょう、旅人さん」

「…………」

 旅人は数拍の思考する間を置いてから、口を開きます。眼差しは、テーブルの上のすっかり冷めてしまった飲み残りのコーヒーにそそがれてあります。

「……確かに、そうですね。そうでした」


          *  *  *


 旅人が“こちら側”の国から出国して四ヶ月ほどが経過しました。出国してから山岳部の集落を訪ねたりし、現在は“こちら側”の国とは内海を隔てたところに位置する先進文明を持つ国に訪れていました。

 この国は情報通信に関するインフラがしっかり整備されてあるので、誰でも簡単に情報端末を通じて世界情勢を知ることが可能でした。

 いま旅人は、旅のこれからに必要な情報を得るため、情報端末を使用することができる公共施設にいます。旅人の祖国もこの国と同等の先進文明を持っているので、なんら問題なく情報端末を操作し、情報を引き出します。

 とりあえず旅人は、ここ四ヶ月以内の祖国に関するニュース記事を読むことにしました。

 やや流すように読んでいたら、ひとつのニュース記事に意識が留まりました。

 そこには、祖国の国の運営の最高責任者が、“あちら側”の謳う戦争を早期に終わらせるための“正義の戦い/戦争”に賛同を表明したことが書かれてありました。正確には、祖国と同盟関係にある超大国が“あちら側”を全面的に支持することを表明したので、それに同調してのことのようです。

 関連記事には、祖国の政府の表明から数週間後に“正義の戦い/戦争”が始まったことが記されてありました。そして電撃作戦が成功し、さしたる抵抗を受けることもなく、被害を最小限に七日ほどで中央省庁や軍関連施設を制圧できたこと。“危険な思想と切り離された政府”が誕生するまで、“あちら側”が“こちら側”を自らの一部として保護することなどが、すでに起こった事実として書かれてあります。

 記事には、よりわかりやすく伝えるための写真が添えられてありました。

 背景に見憶えのある、笑顔の子どもの写真が添えられてありました。

 最新式の武装をした“あちら側”の兵士にチョコレートをもらって笑顔を作る“こちら側”の子どもの写真が、現場の事実であるかのように添えられてありました。

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