小話:其の八拾参《ある意思のあるツール(仮題)》
【ある意図の代理者は、前向きな変異因子を装って突然に現れる】
《ある意思のあるツール(仮題)》
A国とB国の国境となっている河に架かる唯一の橋の上に、大勢のヒトの姿がありました。彼ら彼女らの前には簡易的な舞台が組まれてあり、皆そちらへ期待する前向きな高揚感と共に意識を向けています。
舞台の、それぞれの国側には、それぞれの国旗が掲げてありました。
国旗の前には高級なスーツに身を包んだふたりの初老の男性の姿があり、大勢のヒトが向けてくる熱い眼差しに、微笑みを浮かべて応じています。ふたりは、A国とB国のそれぞれの、国の運営の最高責任者でした。
「本日は、両国の歴史に刻まれる、とても重要な日となるでしょう」
A国の運営の最高責任者の男性が、舞台上を注視する大勢のヒトに向けて口を開きました。厳かな口調で、噛み締めるように、“そのこと”を表明します。
「互いに“近くて遠い国”であった我々の関係は――」
そこでA国の運営の最高責任者の男性は、B国の運営の最高責任者の男性のほうを向き、
「本日から変わるのです」
最高の笑顔で、握手を求める手を差し出しました。
「ええ、そうですね」
B国の運営の最高責任者の男性も最高の笑顔でその手を取り、応じます。
「――“近くて遠い国”であったA国とこうして握手している。本当に“素晴らしい”です」
その瞬間、“A国のヒトたちは”我が耳を疑いました。
A国の運営の最高責任者の男性は当惑しつつも慎重さを忘れることなく、
「いま、なんと?」
注意深い姿勢で、発言に関して訊き返しました。
「本当に“素晴らしい”です、と」
B国の運営の最高責任者の男性は、空気の性質がガラリと変わったことを敏感に察し、どういうことかと訝りつつ、返しました。
「ぶざけるなっ!」
舞台の下方、A国側から怒声が投げられました。ひとりの青年が、あ然とするヒトの人垣をかき分けて現れます。
青年は期待を裏切られたヒトの刃物じみた眼差しで“そちら”を見やりながら、素早い動きで止めようとする警備をかわし、舞台によじ登りました。そして指摘し抗議するために“そちら”へ歩を進め――
パンッ、とパーティー用のクラッカーが発破したときのような音が鳴りました。
――転瞬。
B国の要人護衛官は“個人防衛火器/短機関銃に類似した火器”を素早く取り出し、護衛対象者に向かって歩を進める明らかに不審な青年に狙いをつけて構え、一切の躊躇いなく引き金を絞りました。
A国側の周辺警備をしていたA国の軍隊の兵士たちは、突然の発砲から自国民を護るために、自国民に銃口を向けている“B国の人物”に自動小銃の狙いを定め、一切の躊躇いなく引き金を絞り――
* * *
A国とB国は河を挟んで隣り合っている近い国であるにも関わらず、個人単位ですら“交流/国交”をおこなっていませんでした。
古文書には、互いに友好国であったという記述が残されています。――が、その記述から数行後には、戦争という言葉が記されてあり、それ以後、友という言葉が出てくることはありません。なによりこの古文書は、史実を記録した歴史書というより、神話に近い解釈のされかたをしているモノなので正確さは保証されていません。そして当然のように、両国の専門家による検証もされていません。
ただひとつ確かなことは、いままで一度も古文書の内容について両国間で検証されたことがない――古文書が記されてから、まったく“交流/国交”がおこなわれていないということだけです。
神話のような古文書の時代から“交流/国交”がおこなわれていないA国とB国ですから当然、言葉が通じません。“交流/国交”がありませんから、あえて言語を翻訳する必要性が生じない――生じなかったのです。A国とB国も大多数のヒトは、よくわからない国のことより、自分の暮らしに関する事柄に神経を集中させていますから致しかたありません。
しかしだからといって、未知なる“河の向こう側”に対して好奇心を刺激されたヒトが皆無であったというわけではありません。極々少数ではありますが、“河の向こう側”を知ろうと思い立ったヒトはありました。――が、その極々少数のヒトたちは、とても声が小さかったり、体力が続かなかったりして、変化を生じさせるには至りませんでした。――これまでは。
それは突然変異のごとく。ある日、ある時、突然に、声が大きく、体力のある、“河の向こう側”を知ろうと働きかけるヒトが現れました。
その突然変異的なヒトは、とても運よく幸いなことに、変化を生じさせるのに必要なモノをことごとく有していました。
ひとつ目は、国の運営の最高責任者に提言することができる立場にあるヒトと親しい関係でした。相手の都合を考慮しつつ、食事を共にする機会を設け、そこで“河の向こう側”と“交流/国交”を持つことに関する考え――それをすることによる“うまみ”について述べました。そして相手から、「検討する」以外の実効性のある返答を引っ張り出すことに成功しました。
ふたつ目は、“河の向こう側”と“交流/国交”を持つためのプロセスにおいて、もっとも高い壁となる言語に関する問題を解決するための考えと手段でした。
突然変異的なヒトの姿は、A国でもB国でもなく、C国の高級ホテルの一室にありました。広い室内に派手さはなく、設えられた調度はどれも簡素ですが、それらすべて庶民が何年も汗水流さなければ入手できないような超一級質の品々です。
そんな庶民の生活臭とは一切、無縁な場所で。
突然変異的なヒトの対面、ソファーに腰を落ち着けてノンカフェインの紅茶を味わっていたそのヒトは、
「なるほど、“そちら”の“考え”はよくわかりました。こちらにとって、とても“おいしい”お話であるということも」
説明された“考え”に対して、商売人の最高の微笑みを浮かべることで応じました。
「“ご要望するモノ”は、我がC国の技術力――その中にあってもっとも優れている我が社の技術力をもちいれば、難なく製造できるでしょう」
C国は、A国、B国、双方と悪くない関係を有している大きな国でした。そして、世界でもっとも優れた科学技術を有している国でもありました。C国の科学技術の一端に触れた他の国のヒトは皆、「これは、じつは魔法なのでしょう?」と大真面目に確認するほどです。
「それにしても――」
C国のそのヒトは“そちら”に注意深い眼差しを向け、
「同一の筋から紹介されたA国とB国それぞれの方から、同じ“提案/考え”を受けるとは。まったく素晴らしい偶然です」
独り言ふうを装って言葉を漏らしました。
それに対して――
A国から訪れた突然変異的なヒトは、言葉ではなく微笑みを浮かべることで応じました。
B国から訪れた突然変異的なヒトは、言葉ではなく微笑みを浮かべることで応じました。
それから数カ月後――
国に戻って各方面との調整をおこなっていた突然変異的なヒトのもとに、C国から荷物が届きました。ヒトが入っても余裕がありそうな、大きな木箱でした。
バールのようなモノをもちいて開封すると、そこには緩衝材に護られた数多くの“それ”がありました。
突然変異的なヒトは速やかに、国の運営の最高責任者に提言できる立場にあるヒトと食事を共にする機会を設けることにしました。
そして会食のとき、突然変異的なヒトは持参した“それ”を相手に提示しました。
「ほう、これが……」
提言できる立場にあるヒトは目の前に置かれた“豆のようなモノ”を手に取り、吟味するふうに眺め、
「……我々の抱える言語に関する問題を解決する手段?」
真意を確認するように、相手の目の奥に眼差しを向けました。親しい関係でなかったら、バカにするなと怒声を上げていそうな面持ちです。
それに対して突然変異的なヒトは、懐から手帳を取り出して広げると、そこに書き込んであるモノを“わざとらしいぐらい”に睨みながら、
「*****」
と、口から音声を発しました。
「…………」
提言できるヒトは数拍、ポカンと半口を開けて固まってから、
「……いまなんと?」
真意を確認するがごとく相手の目を見て、訊きました。口元には薄っすらと苦い笑みが浮かんであります。
突然変異的なヒトは愉快そうな表情をして、提言できるヒトの手にある“豆のようなモノ”を示し、耳栓を装着するようなしぐさをして見せました。
「“これ”を耳につければわかる、と?」
提言できるヒトは八割が疑の半信半疑な表情を浮かべつつ、それでもいちおう試してはみます。好奇心と残り二割の信が、騙されたと思ってと、そっと肩に手を置いて促してくるのです。
「それで?」
耳につけたことを相手に見せ、先を求めました。
突然変異的なヒトはチラリとイタズラっぽい笑みを浮かべてから、
「*****」
と、先ほどとまったく同じ音声を発しました。
――数瞬の間を置いてから、
『こんにちは』
抑揚のない音声が言いました。
しかしそれをこの場で聞いたのは、
「なんだっ」
提言できるヒトの耳だけでした。不意のことに驚き戸惑いつつ、
「なんだっ?」
正しい答えを知っているに違いない対面の人物に、説明を要求します。
突然変異的なヒトはイタズラを成功させた子どものような表情をして、話しました。“豆のようなモノ”が、じつはC国製の“言語を瞬時に翻訳してくれる装置”であると。
「なるほど、これはすごい。――ということは、先ほどの“*****”は、“こんにちは”という意味の相手国の言語だったのか」
提言できるヒトは感嘆たる面持ちで、
「“これ”があれば、話し合いを滞りなく進められる。これはすごいっ。すごいことだっ。いま私たちは、歴史書に必ず記載される出来事の当事者なのだっ。わかるか、このすごさがっ?」
熱のある言葉を吐き、共感を求める眼差しを対面に向けました。
それに対して――
突然変異的なヒトは、言葉ではなく微笑みを浮かべることで応じました。
そして順調に話は進み――
「本日は、両国の歴史に刻まれる、とても重要な日となるでしょう」
間違いなく歴史書に記載される“その日”は、訪れました。
「互いに“近くて遠い国”であった我々の関係は――」
歴史の証人たろうと橋の上に集まった人々の耳には、例外なくC国製の“言語を瞬時に翻訳してくれる装置”がありました。
「本日から変わるのです」
A国の運営の最高責任者の男性は最高の笑顔で、述べました。握手を求める手を、差し出します。
「ええ、そうですね」
B国の運営の最高責任者の男性も最高の笑顔でその手を取り、応じます。
「――“野蛮で低俗な国”であるA国とこうして握手している。本当に“胸くそ悪い”です」
その瞬間、“言語を瞬時に翻訳してくれる装置”を介して聞こえてきた言葉に、“A国のヒトたちは”我が耳を疑いました。
A国の運営の最高責任者の男性は当惑しつつも慎重さを忘れることなく、
「いま、なんと?」
注意深い姿勢で、発言に関して訊き返しました。
「本当に“胸くそ悪い”です、と」
B国の運営の最高責任者の男性は、空気の性質がガラリと変わったことを敏感に察し、どういうことかと訝りつつ、返しました。
「ぶざけるなっ!」
舞台の下方、A国側から怒声が投げられました。ひとりの青年が、あ然とするヒトの人垣をかき分けて現れます。
青年は期待を裏切られたヒトの刃物じみた眼差しで“そちら”を見やりながら、素早い動きで止めようとする警備をかわし、舞台によじ登りました。そして指摘し抗議するために“そちら”へ歩を進め――
歴史的な日を盛り上げるために、と急遽C国から贈られてきた大量のパーティー用のクラッカーが舞台裏に置いてありました。
その中のひとつが突然、パンッと発破しました。
――転瞬。
B国の要人護衛官は“個人防衛火器/短機関銃に類似した火器”を素早く取り出し、護衛対象者に向かって歩を進める明らかに不審な青年に狙いをつけて構え、一切の躊躇いなく引き金を絞りました。
A国側の周辺警備をしていたA国の軍隊の兵士たちは、突然の発砲から自国民を護るために、自国民に銃口を向けている“B国の人物”に自動小銃の狙いを定め、一切の躊躇いなく引き金を絞り――
* * *
突然変異的なヒトたちの姿は、C国の首都の官庁街の一角にある交差点に面した喫茶店のテラス席にありました。ひとりはブラックのコーヒーを、ひとりはミルクと砂糖たっぷりの紅茶を、味わい楽しんでいます。
「号外っ! ごぉーがいですっ!」
お国の動向をいち早く報じるためこの場に居を構えている新聞社のほうから、長方形の紙の束を抱えたヒトが慌ただしく飛び出してきました。交差点にいたヒトたちの注目を一気に集めます。
「国交正常化の式典をおこなっていたA国とB国が、戦争状態に陥って――」
その緊迫した音声を聞きながら、突然変異的なヒトたちは手にあるカップで乾杯をするようなしぐさをしました。
「――あの、お客様」
喫茶店の店員が、突然変異的なヒトたちを呼びました。
「お電話です」
突然変異的なヒトたちはさして驚いたふうもなくそれに応じ、テラス席から電話の設置してある店の奥に移動します。ひとりが受話器を耳に当てると、
「今回は、ご苦労だった」
まるで見ているかのようなタイミングのよさで、そう声がかかりました。
「キミたちのおかげで、我がC国の軍需産業は忙しくなる。国内の雇用問題は解消されていくだろう。他人の不幸を利用した戦争バブルだと非難する者も少なからずいるだろうが、自分が美味い飯を食べられるなら大半の者は黙することを選ぶだろうからその点は問題ない。――だが、ひとつだけ問題が残っている。この状況を生むために、C国製の“言語を瞬時に翻訳してくれる装置”に意図的な間違いを仕込んでおいたことや、その他の諸々の事情を知っている者たちの存在なわけだが。なに、キミたちの手をわずらわせることはしないよ。解決策はもう実行している。だからキミたちは、しばしコーヒーと紅茶を味わってくれたまえ」
そこで通話は切れました。
喫茶店の外から悲鳴が聞こえました。
一台の乗用車がまったく減速する気配なく一直線に、喫茶店に向かってきていました。
乗用車がテラス席を壊して店内に突っ込んでくると転瞬――
大地が揺れ、衝撃が身体を突き抜けました。
いまさっきまで通常営業していた喫茶店があった場所とその周囲には、大きな火柱と悲鳴がごちゃ混ぜになってありました。