小話:其の八拾弐《とれんどなふぁっしょん(仮題)》
【隣の庭のモノほどよくよく見えて、欲しくなる】
《とれんどなふぁっしょん(仮題)》
とある時代の、とある国を、ひとりの男が知るために訪れました。
「ここが平和ボケと称される――夢の国か」
ひとりの男はテイスティングするように“平和な”空気を吸い込み、
「我が祖国とここまで風味が異なるとは……」
感慨深げに、やわらかく吐き出します。
「我が祖国の空気もこの風味になれるだろうか……」
この男の祖国は、去年の今頃、酷い戦争状態にありました。しかしそれはいまから数ヶ月前、勝者も敗者もなく息切れ的に終わり、現在は戦災からの復興とそれに伴うチャンスによくも悪くも湧いています。
「いや、“そう”するんだ。そのために“この国”を知りに訪れたのだから」
そして男は、“この国”のあらゆる最先端がある街へ足を運び――
「そんな……これは、どういう……」
そこに平然とある光景に、愕然としました。
兵士の身なりをしたヒトたちの姿が、そこらじゅうにあったのです。
見えるところに武器を携行しているヒトの姿はありませんでしたが、男が懐いていた“平和ボケ”の像とは、まったく一致しません。
「あの、なにかお困りですか?」
想像と現実の違いに困惑して固まっている男に、ひとりのヒトが声をかけました。このひとりのヒトも、他のヒトと同様に兵士の身なりをしています。
基本的に礼儀正しく親切、というのが“この国”の国民性だと聞いていたので、男は本当にそうであるらしいと頭の片隅で思いました。――が、しかしその礼儀正しく親切なヒトもまた兵士の身なりをしているので、「なぜ?」と困惑が深まってしまいます。
なので男は自分がいま直面していることについて素直に話し、問いました。
「あなたたちは兵士なのですか? “この国”は憲法で“戦争放棄/戦力不保持/交戦権否認”を定めているはずでは?」
兵士の身なりをした“この国”のヒトは、最高の冗談を聞かされたときの愉快そうな笑みを、平静なふうを装いながら浮かべ、
「あなたのおっしゃるように、“わたしたち/わたしたちの祖国”は“戦争放棄/戦力不保持/交戦権否認”をしています」
と、応じます。
「ですから、わたしは兵士ではありません。他のヒトたちもそうです。ここにいるのは“媒体越し/媒介越し/フィクション”の軍事しか知らない、清き一般市民ですよ」
「では、なぜ、そのような身なりを?」
「いまトレンドのファッションだからです」
「兵士の身なりが、ファッション?」
「ええ。ほら、つい最近まで“とある国”が酷い戦争状態だったじゃないですか。テレビ番組も新聞も雑誌も、ずっとそのことをネタにしていて――いまもまだ戦後復興が云々と話題にしていますが――まあ、そのおかげで、戦場の映像や写真、兵士の姿を、目にする機会がいつの間にか増えたんですよ。で、ほら、やっぱりカッコイイじゃあないですか、祖国のために戦う兵士の姿って。ボケと言われるくらいに平和なこの国ですから、みんなやっぱりそういう刺激に感化されやすくて。まあ、言ってる自分もその感化されたひとりなのですが――」
そう話す兵士の身なりをしたヒトの背後では、薄汚れた鳩たちが地べたに散らばるファストフードの食べこぼしのパンくずをせっせとついばんでいました。