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小話:其の八拾《夢の国(仮題)》

【幻想、現実、どちらの“ユメ”を】

《夢の国(仮題)》


 木々の葉々の間から切れ切れと光の差し込む森の中の、道なき道を意志ある足どりで歩む、ふたりの人影がありました。

 ひとりは、まだ幼さの残る少年でした。ボロを着ていて、清潔とは言えない身なりをしています。

 もうひとりは、さらに幼いふうのある少女でした。ボロを着ていて、清潔とは言えない身なりをしていますが、頭には生花を編んで作ったと思われる綺麗な髪飾りがありました。乙女の嗜み、意地が、そこから感ぜられます。

 ふたりは、少年と少女は、血の繋がった兄妹でした。とある貧富の格差が激しい国の、とある貧民街で生まれ、そして育った、いまはふたりだけの家族です。いちおう両親はありましたが、わずかばかりの生活資金を得ようとふたりを売ろうとし、けれど人身売買人のところへ行く途中で悪い連中に襲われ――“たぶん”死んでしまいました。“たぶん”とはっきりしないのは、両親が襲われている隙にふたりが逃げ出したからです。悪い連中からではなく、自分たちを売ろうとしている両親から。

 いま、ふたりは、目的を持って歩んでいます。まだ両親があって貧民街で暮らしていた頃に耳にした、楽しみ溢れる誰もが笑顔の“夢の国”があるという話。そのときはどうせただの夢物語と信じていませんでしたが、偶然にも実際に行ってきたというヒトの自慢話を聞き、どうやら実在するらしいと確信を得たふたりは、両親から解放されたという勢いに強く背中を押されたのもあって、“夢の国”を目指すことにしたのです。進むべき方向は、実際に行ってきたというヒトの自慢話から知れました。あとは一歩を踏み出し、また一歩を踏み出し、踏み出し続けて、歩みを進めるだけなのです。

 道のりは決して楽ではありませんでした。しかし、貧民街で暮らし生き抜いてきたふたりには、音を上げてしまうほど致命的に苦しいというモノではありませんでした。なにより夢を懐いて一歩を踏みしめているので、期待に胸が高鳴るばかり。もうふたりの中には“止める/諦める”という発想それ自体が存在していませんでした。

 ――そして。

 深い森の長い道なき道をついに抜けたふたりの目の前に、“それ”は現れました。

 見上げた空との間に真一文字引くような高い石の壁が、不動の構えでそこにありました。右に左に目を凝らしてみても、壁の終わりは見えません。

 少年と少女は、期待を込めた眼差しで石の壁を見やります。しかし、これが“夢の国”であると教えてくれるようなモノは見あたりませんでした。

 ふたりの胸の内に、不安めいた焦燥感が生じました。それに先導されるがごとく、ふたりは壁に歩み寄ります。そして可能性を妄信しているヒトの必死さある顔をして、壁に手をやります。探るように。かきむしるように。

 ――すると。

 ふたりの正面、石の壁の表面に、書物を開いたくらいの大きさの厚みのない白い“光の窓”が出現しました。

 突然の出来事に、少年はビクッと身体を震わせ、少女は驚きのあまり体勢を崩して地べたにペタンと尻餅を着いてしまいます。

「おや、驚かせてしまったようですね。申し訳ありません。大丈夫ですか?」

 気遣わしげな声が、どこからか聞こえました。

 少年と少女は怯えたふうに辺りを見回します。

「こっちです、こっち」

 という声に合わせて、石の壁の表面にある“光の窓”に“簡略化された二頭身のヒトの絵”が現れました。道化の衣装を着たそれは、遠くのヒトを呼ぶかのように手を振る動きをしています。

 少年と少女は、目の前で起こっている事態が事実であることを確認するように互いの顔を見やりました。そしてこれが事実と承認するようにうなずき合ってから、慎重な動きで“光の窓”に視線をやります。

「怪我はありませんか? 大丈夫ですか?」

 ふたりが確かに“自分”を見やっていると認識しているかのように、道化のヒトの絵が念を押すように訊きました。

 少年と少女は驚きたじろぎつつ、大丈夫という意味で首肯して見せます。

「そうですか。それはなによりです。――が、なにかありましたら遠慮なく言ってくださいね」

 ふたりは再度、首肯して見せます。

「――では」

 道化のヒトの絵は、仕切りなおすように「コホン」と咳払いする動作をしてから、本来の与えられている役割を演じます。

「ようこそ我が国へ! 入国をご希望ですか?」

 少年と少女は、力強く首肯して応じました。

「では、こちらへ」

 道化のヒトの絵が招き入れるようにうやうやしく頭をたれると、石の壁の表面にある“光の窓”が静かに形状を変えます。窓が、扉になりました。

 少年と少女はおっかなビックリしつつ、その輝かしい“光の扉”へ――


 白光の暗転。

 広がる“純白の闇”。


 少年と少女が“光の扉”へと一歩を進めた次瞬、ふたりの視界は眩い光に塗りつぶされました。数瞬を消費して、ふたりの視界は眩さから解放されます。しかし薄く目を開いた先に見えるのは、遠いのか近いのか不明確な“眩くない光”だけでした。周囲には一面、“純白の闇”が広がっていました。

 その不可思議な未知なる体験に、少年と少女は“恐怖/畏怖”に似たモノを懐きました。どちらともなく相手の手を取り、互いにぎゅっと握ります。

「それでは、出入国管理所までご案内します」

 至近距離、右のほうから声がしました。

 少年と少女は驚き、ビクッと身をすくませました。それから恐々と、声のしたほうへ視線をやります。

 顔の高さの辺りに、先ほどの道化のヒトの絵がありました。“純白の闇”の中にあって厚みも遠近感も正しく認識できないので、その存在はじつに奇妙です。

「どうかされましたか?」

 状況に理解がついていけず呆然とする少年と少女に、道化のヒトの絵が言いました。

 数泊、呆然沈黙の間を置いてから、はっとしてふたりは首を横に振って応じました。

「そうですか?」

 道化のヒトの絵は気遣わしげな表情をして、確認するように訊きます。

 少年と少女は、迷いなく首肯して応じました。あの“夢の国”が、もうすぐなのです。ここまで来て、余計な問答をして追い返されたくはありません。絶対に。

 ふたりの応えに、道化のヒトの絵は表情を気遣わしげな“それ”から柔和な微笑み変化させました。それから満を持するかのように、その短い手を掲げます。

「では、出入国管理所へ」

 パチンと指を鳴らすような音が聞こえ――


 白光の暗転。

 聞こえてくる“楽しげなヒトの声”。


 少年と少女の視界が回復するとそこには、“純白の闇”の中にあって奇妙な存在感ある鋼鉄製の遮断機が下りているゲートがありました。その脇には、高級そうな革製のソファーとそれに合わせた繊細そうなガラス製のテーブルが設置されてあります。ここが“純白の闇”の中でなかったら、ソファーもテーブルも雨ざらしです。

 少年と少女は、摩訶不思議に直面しているヒトの“形容し難い感覚”に包まれました。そして、ふと訪れた冷静さで、そういえばとひとつ疑念を懐きました。見られないのです。さきほど聞こえた“楽しげなヒトの声”の、その音源たる人影が、一切。

「こちらへどうぞ」

 いつの間にかソファーのところに移動していた道化のヒトの絵に呼ばれ、ふたりは「はっ」と現実離れした現実に意識を引き戻されました。

「どうかされましたか?」

 その場から動こうとしない少年と少女を気遣うふうに、道化のヒトの絵が訊きました。

 ふたりは慌てて、首を横に振って応じました。ソファーのところへ急ぎ足で向かいます。

「――では」

 道化のヒトの絵が、少年と少女がソファーに座ったのを確認してから、

「我が国への入国には“ひとつ”だけ条件がございます。しかし“それ”以外は一切、ございません。年齢、性別、身分、人種、国籍、言語、宗教、犯罪歴を含む経歴、これらは我が国への入国に際しては一切、不問でございます。武器兵器を含む所持品に関しましても、武器兵器は自衛以外の私的使用は原則禁止ですが、持ち込みに制限は一切、ございません」

 と、入国に関する説明を述べました。

 それを聴いて少年と少女は、はやる気持ちを抑えきれず、前のめりになって訊きました。“ひとつ”だけの条件の、その内容を。

 道化のヒトの絵は、じつに丁寧な口調で答えました。


 ――そして。


「お帰りは、あちらの扉からどうぞ」

 道化のヒトの絵は満面の笑顔でそう言うと、“純白の闇”へと霧消してゆきました。

 少年と少女はソファーに腰を落としたまま、うつむいています。身動きする気配は感ぜられません。

 そんなふたりの背後には、空間にポッカリと穴をあけたような“暗黒の扉”が無音でたたずんでいました。

 自らの呼吸音がよく聞こえてくる“静けさ”が、場の状況に一切の関心を示すことなく、無表情に横たわります。

 そのまましばし“静けさ”は居座り――

 そしてとうとつに聞こえてきた機械が駆動するときの重たい音によって、この場から追い出されました。

 少年と少女は、とくに意もなく、音のするほうに視線をやりました。奇妙な存在感ある鋼鉄製の遮断機が、疲れた中年男性がダルそうに腕を持ち上げるがごとく駆動していました。

 遮断機が上昇し終えるまえに、ひとりのヒトが身を少し屈めてゲートの向こう側から出てきました。

 そのヒトは、頭に麦わらの帽子をかぶり、その下に耳と首の後ろを覆い隠すようにして白のタオルをはさんでいました。灰色の袖の長いシャツを着て、濃紺のジーンズをはき、足には黒のアサルトブーツがあります。背には、あまり大きさのない深緑色のリュックがあり、それを包み込むようにして黒のフード付きロングコートが、伸縮性のあるロープでぐるぐる巻きにされて留めてありました。それぞれどれも使い込まれた“汚れ/味”があります。

「――おっと、こんにちは」

 そのヒトが、少年と少女の視線に気づいて言いました。

 少年と少女は、力なく小さく会釈してそれに応じました。

 そんなふたりの様子に、

「どうかしたのかい?」

 そのヒトは気遣わしげな顔をしてソファーのところまで歩を進め、そう訊ねました。

 少年と少女は悔しさを噛み締めるようにうつむき、ポソリと言葉を漏らします。

 夢の国に入国するための“ひとつ”だけの条件を、夢の国に入国するための“資格”を、自分たちは有していなかった、と。

 そして堤防が決壊するように、その“漏れ”をきっかけにして心情が口から溢れ出てきます。いったいどれほどの想いで自分たちが“ここ”まで歩みを進めてきたか。いままさに出国せんとする“あなた”には、この気持ちは理解できないでしょう、と。

 そのヒトは、困ったふうな微苦笑を浮かべます。それから言葉を慎重に選ぶような間を置いて、自分は旅人だと述べました。

 だから、と経験に由来する断言の口調で言います。

「この国を訪れるまでに様々な国や地域を実際に見て、肌で感じたことのある経験から、あえて言わせてもらうけれど、この国は、キミたちが想っているような“夢の国”ではないよ」

 じゃあどのような国なのかと、少年と少女はやつあたり的と自覚しつつ不満と苛立ちを投げつけるふうに訊きました。

 旅人は、ファンタジーを信じている子どもに容赦なく“リアルな現実”を教える大人のヒトのように告げます。

「この国は、“娯楽としての夢”をサービスとして対外的に販売提供している国だよ。よそ者からしたらまるで魔法と区別がつかないほどに発展しているこの国の科学技術を活用した、“娯楽としての夢”を、ね」

 だからこの国は、と旅人は言い切ります。

「“都合のいい優しさある夢の”ではなく、“容赦のない厳しさある現実的な”――」

 歩き疲れたときにふと見上げた夜空にある星の煌きみたいな――

「“いわゆる普通の”国だよ」

 唯一ある入国条件の内容からして、“そう”だろう?

 その旅人の言葉を否定するどころか、むしろ経験に由来する確信として同意している“自分”を認識して、少年と少女は喪失感に襲われました。

 まるで燃え尽きた灰のような雰囲気のふたりに、旅人は、

「ところで――」

 と、声をかけます。

「これから軽い食事をとるつもりなのだけれど、一緒にどうかな?」

 少年と少女は口を開くことはなく。代わりに、どちらともなく、「ぐぅ~」とお腹が返答しました。


 音もなくたたずんでいた“暗黒の扉”をくぐり抜けると、そこには、雑多な色と雑多な音のある、馴染みある世界が当然のようにありました。

 しかし、少年と少女が“純白の闇”へ至るまえに居た場所とは異なっていました。しっかりと整備された道が、いまは背後の石の壁から地平線の先まで真っ直ぐと続いてあるのです。

 ふたりはそのことを、旅人に告げました。

 食事の準備として火をおこしたりしていた旅人は一瞬、驚いたふうな顔をしてから、自分は“ここ”から入ったのだと述べます。最初に“暗黒の扉”をくぐった自分のほうに、どうやら出口が“寄せられた”らしい、と。

 旅人は地図で位置を確認するからと、少年と少女に“故郷”の名を問いました。「それから――」と追加でもうひとつ問います。


「お茶とコーヒー、どっちがいい?」


 旅人は地図を見ながら、少年と少女が“故郷”から“この国”に訪れるなら目の前にある整備された道を歩んでくるはずだと述べました。“故郷”から“この国”へ至るには、未開の森を迂回するカタチで、途中にある国を経由してくるのが、一般的な道のりだ、と。でなければ未開の森を強行することになってしまう、と。

 少年はコーヒーを、少女はお茶を、それぞれ味わいつつ、自分たちは森を抜けて“ここ”に来たと告げました。

 それを聞いた旅人は息をのみ、

「……本当に?」

 慎重に確認します。

 少年と少女は、特別さなど一切ないふうに首肯して応じました。

「その無謀さ無策さ、行動力と実行力、なにより運の強さは――」

 旅人は硬い黒糖パンをナイフで人数分に切り分け、その上に火であぶってほどよくとろけさせたチーズをのせて、

「もはや尊敬に値するよ」

 言葉と共に、ふたりに差し出します。

 少年と少女はそれを受け取り、一口。その一口で、まるで目が覚めたかのように、二口、三口と、黙々と食べます。

 旅人も一口、食べてから、ふたりに「それで――」と訊ねました。これからどうするのか、と。“故郷”に帰るなら、途中の国まで同行してもいいだろうか、と。二日もあれば到着できる距離だし、食料もいまの手持ちで足りるだろうし、と。

 自分たちに“帰るところ”はない――小さな音声で、しかしハッキリと、少年と少女は述べました。

 旅人は一瞬、責めるヒトの怒り滲む眼差しをしてから、

「……それは、“帰るところ”じゃなくて、“帰りたいところ”だろう」

 落ち着きある音声で、“間違い”を気づかせるふうに言い、

「ま、どちらにせよ――」

 と、話を続けます。

「“この場”に居座ったところで、事態は好転したりしないと思うよ。残念ながら“そこにある国”は、“利益になる奇跡”は起こしても、“善意の奇跡”は起こさない。無利益には無関心だからね。それにそもそも国の外での出来事に、関わらなければならない義務はない。だから国の外で誰がなにをしようと、餓死しようが殺されようが、“そこにある国”に“それ”に関わらなければならない義務はない――自らに有益な、と判断されたら、もしかしたらなにか動きがあるのかもしれないけれどね」

 少年と少女は、“わかっていること”を改めて指摘されたヒトのうんざりとした顔を浮かべました。それから信仰を持つヒトいわく“信仰を持たないヒトが陥る不幸な悩み”に直面したヒトの顔になって、口を開きます。――だとして自分たちに“なにが”できるというのか、と。

「自分の歩く道を、自分の意志で選択できる。なにもないところに、道そのモノを拓くこともできる。“そこ”は道じゃあないと指摘されても、“ここ”は私の道だと言い張ることができる。――やろうとすれば、やれることはいくらでもあると思うよ」

 言ってから、旅人は「――まあ」と継ぎます。

「“その場で立ち止まってなにもしない”ということもまた、選べるけれどね。――“なに”を選択するにしろ、自分で選択した“それ”に“価値/意味”を付ける努力、その“価値/意味”を最大化する努力は、誰にでもおこなえるよ」

 だから少なくとも自分は、と旅人は述べます。

「世界を旅する、という自分で選んだ道を、自分の意志で脚を動かして歩んでいるんだ。いままさに、ね」

 旅人の言葉を受けて、少年と少女は咀嚼して嚥下するように一度うつむいてから、どうして、と口を開きました。どうしてそこまで、まったくの他者である自分たちに気を遣ってくれるのか、と。

「ただの気まぐれ。見ちゃったのに、見て見ぬふりをしたら、翌朝の目覚めが悪くなりそうだから――なんてね」

 旅人はおどけたふうに言ってから、

「ま、正直に告白すれば自分のためだよ」

 悪びれたふうは一切なく、

「情けはヒトのためならず、巡り巡って自分のために――」

 清々しくすらある態度と口調で告げます。

「自分で歩むと決めた“この道”の“価値/意味”を最大化するために、さ」


          *  *  *


 ――さ。

 に…………ん。

 ……い……さ。

 にい……ん。

「兄さんっ、兄さんってば!」

「……へ? はっ! ん? どうした?」

「どうしたって……、どうかしてるのは、さっきからずっと呼んでるのに、ぼぉーっとしたまま固まってる兄さんのほうでしょっ!」

 腰まである長い黒髪をおさげにした、ワンピース姿の若い女性が、語気を強めて指摘しました。

「“今日”が“どういう日”か、ちゃんとわかってるのっ?」

 鋭い眼差しが、キッと“兄さん”のことを捉えています。

「もちろん、わかっているよ」

 安楽椅子に腰を落ち着けていた、ジャケットにジーンズ姿の若い男性が、静かに応じました。

「わかっているからこそ、“旅人さん”のことを思い出していたんだ」

 感慨深そうに述べて、“そのこと”への共感を確認するように、向けられていた鋭い眼差しをまっすぐ見やり返します。

「あら? そうだったの?」

 若い女性は眼差しから鋭さをすっかりなくして、

「でも、そうね」

 と、“兄さん”と同様に感慨深そうに、

「あたしたちが“今日”という日を迎えられるのは、“旅人さん”のお人好しな“気まぐれ”のおかげだものね」

 言って、心にある大切な記憶にそっと触れたヒトの温々した穏やかな表情を浮かべます。

「いま、こうして、ぼくたちが文筆家と絵師として“作品/意志”を世に送り出せるのは、歩きたいと思える“この道”を発見できたのは、あのとき“旅人さん”と出逢ったから。本当、“旅人さん”には感謝しても感謝し切れない」

 若い男性が述べ、

「本当にそうね」

 若い女性が同意しました。

 そして、ふたりは、しばし“心にある大切な記憶”を胸の内で想い起こします。


 とりあえず、という“てい”で一緒に訪れた“夢の国”と“故郷”との途中にある国で、それでも“故郷”に帰るつもりはないと言い張った自分たちに、“旅人さん”はわざわざ住み込みで働けて教育も受けられる旅館を見つけてきてくれた。そして旅人としての信頼関係を築く能を発揮して、どこの誰ともわからない自分たちが“そこ”で住んで働けるよう取り計らってくれた。――あとから聞いた話だと、旅館の女将さんには、“夢の国”を訪れるまえに“この国”に立ち寄った“旅人さん”に“なにか”恩があるらしく。“よくわからない”自分たちを雇ってくれたのは、“旅人さん”に対するその恩に由るところが大きいらしかった。

 そして“旅人さん”の計らいで居場所となった旅館で、働き方と共に叩き込まれた教育の過程で――

 ぼくは書いて表現することの楽しさを知って、

 あたしは描いて表現することの楽しさを知った。

 それから、自分たちで歩むと決めた“この道”の“価値/意味”を最大化するために、自分たちにおこなえる努力をした。旅館の仕事をこなして、勉強もして、それ以外の時間は、寝るのも忘れて書いて描いて書き描きまくった。苦しいこともあったし、やめてしまいたいと思うこともあったけれど、最後の一線、ここでやめてしまったら“悔しい”と、どうにも“納得できない”と、そう思えるようになっていたので、小休止をはさむことはあっても、歩む足が完全に停止してしまうことはなかった。

 歩みを進めてしばし経てから、いまの自分たちがいったいどの程度なのかを知りたくなった。腕試しに――腕がどの程度か知るために、大手の新聞社が主催する文と絵のコンテストにそれぞれ挑んでみた。――結果は、ふたりともかすりもしなかった。最終審査なんて程遠く、一次選考で落ちていた。

 ぼくは、いままでに味わったことのない“悔しい”を懐いた。

 あたしは、いままでに味わったことのない“納得できない”を懐いた。

 だから、なにがなんでも一歩、また一歩を踏み出して、歩みを進めると決めた。

 定期的に文と絵のコンテストに挑んで、自分たちがいまどの程度なのかを確認した。挑む回数が増えて二桁に至ったあたりから、一次選考が二次選考になり、二次選考が三次選考になり、ついには三次選考が最終選考になった。

 けれど最終選考の壁は高く――。それでも挑み続けていたら、いつしか最終選考の“常連”と認識されるようになっていた。

 そして不意打ちのように、

 いや、まったくの不意打ちで、

 文と絵のコンテストを主催する新聞社のヒトから声がかかった――


「ぼくたちの“いま”を知ったら、“旅人さん”はどう思うだろう?」

 若い男性が、純粋さある疑問を口にしました。自らの“いま”に対する“自信/誇り”のようなモノが、そこから薄っすらと感ぜられます。

「訊かれても、あたしは“旅人さん”じゃないからわからないわよ」

 若い女性はバッサリと応じてから、「もう一度」と言葉を継ぎます。

「“旅人さん”に会いたいわね。それで、あたしたちの“いま”を知ってもらうの。――で、“旅人さん”に言うの」

 イタズラを思いついた子どもの笑みを浮かべて、口を開きます。


「あなたの“気まぐれ”のおかげで、あたしたちは“こう”なれました。――ってね」


 ――と言い終わった、次瞬。

 外から聞こえてきた抗議するようなクラクションの音が、若い女性の述べたセリフの余韻をあっさりとかき消しました。

「あ、いけない。車を待たせていたの忘れてたわ――だから兄さんを呼びに来たのにっ」

 若い女性は“兄さん”が諸悪の根源であるかのように睨みつけて、

「ほら、早くっ」

 いまだ安楽椅子に尻を置いている“兄さん”の腕を取って急かします。

「わかったわかった」

 腕を引っ張られて安楽椅子から尻を浮上させた若い男性は、微苦笑を浮かべつつ、

「そんなに急がなくたって――」

 と、進言してみます。

「“夢の国”は逃げたりしないよ」

「それはどうかしらね」

 腕を引っ張りズンズン歩みを進めようとしていたそのヒトは、じつに愉快そうな笑みを浮かべて言います。

「“夢の国”の“夢/商品”がいったいどの程度なのか“極めて厳しく吟味してあげよう”という気が満々のあたしたちが行こうとしているんですもの、いつ逃げ出したって不思議じゃないわ」


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