小話:其の七拾七《いんたびゅー(仮題)》
【“それ”を扱うのは――】
《いんたびゅー(仮題)》
理想と現実の表情は、時に似ている。
* * *
「本日は、よろしくお願い致します」
その男は、やや緊張した面持ちで、対面に向かって一礼しました。
「こちらこそ」
向かって右から、厳格さを感じる鋭い音声が応じました。
「こちらこそ、よろしくお願いしますね」
向かって左から、温厚さを感じる穏やかな音声が応じました。
その男は一度、手にしているペンとメモ帳を握り締めてから、
「それでは――」
この場における自らの使命を果たすために、口を開きます。
* * *
――“力/ちから”について、どのようにお考えですか?
「わたしが、“力/ちから”そのものだ。それ以上でも以下でもない」
右にある音声が、とくに主調するでもない平坦な口調で述べました。
「わたくしは、ご存知のように元が“空っぽ”ですから、自らに“力/ちから”そのものが備わっているとは考えていません」
左にある音声は、“自ら”を正しく理解している“わきまえた”落ち着きと余裕ある口調で述べてから、
「わたくしにとっての“力/ちから”とは、様々なヒトたちから“気持ち/少しずつ”分け与えてもらうものであり、その結果です」
大切な“それ”に対する感慨と愛着のある言葉遣いで、
「――ですから」
と、継ぎます。
「“ Petit a petit, l'oiseau fait son nid. /小鳥は数日をかけて巣を作る/ちりも積もれば山となる”――これこそが“力/ちから”であると、わたくしは確信しています」
* * *
――“不要である”との声が一部からありますが、そのことについては、どのようにお考えですか?
「昔から投げられる言葉ではあるが、本当にそうであるなら、いまの世まで残ることなく、とうに廃れているだろう」
右にある音声が、わかりきっていることへのあえての問いに努めて応じる、若干の嫌を滲ませて、そう述べました。
「本来はわたくしも含めて“不要である”べきだと、そう思います。しかし現状が“それ”をよしとしないのです」
左にある音声は、歯がゆさを噛み締めるように述べてから、
「いますぐにでも“あるモノ”が廃れてくれたら、事は漸進するのですが」
と、極めて意図的に、右のほうへそんな言葉を投げます。
「まるで、わたしが、その“漸進”を妨げている要因であるかのような物言いだな」
「そう聞こえてしまう“思い当たり”が、あるのでは」
「なにを言う。“こちら”は、“そちら”に対しては莫大な出資をし、ときには“力/ちから”をもちいて、“そちら”の活動を援助している」
「確かに、それは事実ではあります。しかし、さきほども述べたように、本来は“不要である”のがわたくしなのです。“あるモノ”がもたらす“ひとつの結果”を根絶するために、わたくしは活動しているのですから、そもそも“あるモノ”がなければ、“そちら”の援助も不要となります」
「“そちら”の解釈、認識、意見を、否定するつもりはない。ただ、その“あるモノ”を必要とする存在があるのも“ひとつの事実”であり、結果的に救われる存在があるのもまた“ひとつの現実”だ。“そちら”を必要とする存在があるように。――それが“現状”だ」
* * *
――“正義”について、どのようにお考えですか?
「“神がどこの誰であるのか”と信仰ある者に問う、“勇敢さ/不礼さ”だな。……まあ、わたしそのものに信仰はないが」
右にある音声は、やや慎重な姿勢でそうこぼしてから、
「“どこかの誰かの正義”が、“わたしの正義”。それ以上でも以下でもない」
と、主調する感のない平坦な口調になって述べました。
「信念――と言いたいのですが、正直、もう、よくわかりません。“ある信念”が、“不要である”べきものを必要としてしまうことを知っていますから」
左にある音声が、そう言葉をこぼしました。困難に挑み続けたことによる疲弊の色が、滲んでいます。
「――ただ」
と、左にある音声は、諦め色の一切ない口調で継ぎます。
「“ Petit a petit, l'oiseau fait son nid. /小鳥は数日をかけて巣を作る/ちりも積もれば山となる”――“わたくしの正義”はそこにあると、そう思っています」
* * *
「本日は、ありがとうございました」
無駄に力んだ手でペンとメモ帳を持っていたその男は、対面に向かって一礼しました。
「ふんむ」
右にある音声はそう応じました。
「いえいえ、こちらこそ、貴重な経験ができました。ありがとうございました」
左にある音声はそう応じました。
* * *
ヒトが去ったあとの温もりがまだ残っている椅子の、対面にあるソファーに、ふたつの影がありました。
ソファーの右側にある影は、最も多く流通し、最も多くの生命を奪った兵器とされる突撃銃でした。
ソファーの左側にある影は、一定水準に達した文明文化を有する国では至るところで目にできる募金箱と称される箱でした。