小話:其の七拾五《なるほど(仮題)》
【戦略的コミュニケーション】
《なるほど(仮題)》
とある時代の、とある国の、とある街の、とある学園にある家庭科調理室に、授業の一環として炒め物を調理している生徒たちの姿がありました。
「熱っ!」
ひとりの女生徒が、悲鳴のような声を上げました。負傷したヒトのように、顔を押さえています。
他の女生徒たちが、それぞれ心配するような言葉を口から出しました。そう言うことが“お約束”であるような、どうにも奇妙な空気感です。
ひとりの女生徒が声を上げたのは、どうやら炒め物の油が、極々微量、顔にはねたことが理由のようでした。日常的に料理をおこなうヒトに、「どう思いますか?」と意見をうかがえば、ほぼ満場一致で、「とくに声を上げるほどのことではない」という言葉が返ってくることでしょう。
――だというのに。女生徒は、念のために病院へ行くことになりました。
女生徒がいっこうに負傷者然とした態度を終了しないことと、学校側が“顧客”の機嫌を損ねかねないリスクを負いたくないという姿勢による、ひとつの結果でした。
「マジかよ! あの程度で病院のお世話になるとか、どんだけか弱いんだよ」
ひとりの男子生徒が場の空気を察することなく、素直な感想を口にしました。
家庭科調理室にある“意思”のほとんどが、胸の内で意図せず首肯します。
「サイテー」
声を上げた女生徒とよく一緒にある顔のひとりが、憤怒の滲む音声で言いました。男子生徒を、軽蔑の眼差しで見やります。
男子生徒はどのように対応したらよいのか考えつかず、とりあえず微笑んでおきました。
声を上げた女生徒が、病院へ行くために家庭科料理室から退室しました。よく一緒にある顔のひとりも、その付き添いとして退室します。
家庭科調理室が、「ふぅ」と息を吐いたような雰囲気になりました。
さきほどの男子生徒が、
「なるほど」
なにか“わかった”ふうに言いました。
「なるほど、ってなにが?」
男子生徒の友人が、訊きました。
「ん、いやー、いまさらながら、夏場にパンツ一丁で油はねに耐えながら料理していたオレが、じつは救急車を呼ぶ権利を獲得していたんだなぁということに、いまさっきのおかげで気づいて――」
と、しみじみ述べる男子生徒に、「なにが?」と訊いた友人と、彼の担当の教諭が、そろって深刻そうな顔をして言います。
「頼むから、お前までメンドウにならないでくれよ」
「頼むから、お前まで“あんなふうに”ならないでくれよ」