小話:其の七拾参《気軽な計画(仮題)》
【“簡単便利”には慎重に】
《気軽な計画(仮題)》
とある時代の、とある国の、とある町の、とある喫茶店のテラス席に、ふたりの若い男の姿がありました。ひとりはブラックのコーヒーを、ひとりはミルクと砂糖がたっぷりのミルクティーを、それぞれ味わっています。
「お前、身体壊すんじゃないかというくらい、異常なほどバイトをしているけれど、そこまでして手に入れたいモノでもあるのか?」
パリっとしたスーツに身を包んだ男が、訊きました。言葉を発したあとの口で、コーヒーを一口、味わいます。
「もちろん。それはそれはすごいモノを手に入れるために、ぼくは干からびちゃうほどの汗を日夜びちゃびちゃ流しているのさ」
着古したシャツにジーンズという軽い身なりの男が、応じました。言葉を発したあとの口で、ミルクティーを一口、味わいます。
「ふんむ。車、――は、たぶんもう五、六台、買えるくらいは稼いで貯め込んでいるだろうから……、一等地の一国一城の主にでもなろうとしているのか?」
「いや、そんな小さいモノじゃあないよ」
「ほう。じゃあ、その小さくないモノとは?」
スーツに身を包んだ男は興味深げに、「ぜひとも教えてほしい」とやや身を乗り出して問いました。
軽い身なりの男は焦らすように、自称セレブ的な優雅さでミルクティーを深々と味わってから、「手に入れたいのは――」と口を開きます。
「世界、さ」
「画材と額縁の専門店を? なんでまた?」
「違う! 違うよっ! ぜんぜんまったく違うよっ!」
軽い身なりの男は、慌てたふうに訂正を入れます。
「“世界”のあとに“堂”って言ってないでしょっ。違うよ、ぼくが手に入れたいのは“この世界”であって、画材と額縁の専門店の世界じゃあないよっ!」
「……コノセカイ? 聞いたことないなぁ。どういうところなんだ?」
スーツ姿の男は眉間に“疑問のシワ”を刻みつつ、コーヒーをすすります。
「なんで片言なのさ。知らないわけがないだろう。“この世界”だよ。英語で言うところの、ザ・ワールド」
「…………んん? いまなんて?」
「だ・か・ら!」
軽い身なりの男はどうにか辛抱強さを発揮して、教えます。
それから、同じようなやり取りをウンザリするほど繰り返して。
「それはそれはまた……お前、身体を休めたほうがいいんじゃないか? 疲れているんだよ」
スーツ姿の男が、他者を気遣う声色で言いました。とてもとてもとても優しさある眼差しと表情をしています。
「疲れて妄言を吐いているわけじゃあないっ。ぼくは正気だし大真面目だ!」
「大真面目に、“この世界”を手に入れようとしていると?」
「うん」
軽い身なりの男の子どもみたいな素直さある返事に、
「そうかー」
スーツ姿の男は全面降伏してすべてを受け入れる構えのヒトのフランクなノリで応じて、とりあえず一口、コーヒーをすすります。そして意外な事実を知ったというふうに、
「それにしても、まさか“この世界”が、バイトで貯めた金で買えるモノだったとはね」
大根役者の芝居のような“驚き”の音声で、言いました。
「いやいや、なにをおっしゃる」
軽い身なりの男は、一発屋芸人の“一発芸/インスタントなお笑い”を見たヒトのような笑みを浮かべて、
「“この世界”が、お金で買えるわけないでしょ」
しかしキッパリと冷静に、そう指摘します。
「…………“この世界”を手に入れるために、バイトして金を貯めているんだろ?」
「いや、確かに、“この世界”を手に入れるために、お金を貯めているけれども。お金で直接、“この世界”を手に入れるわけじゃあないよ」
「……どゆこと?」
「“この世界”を手に入れるために必要な複数の“道具/ツール”を買うために、ぼくはお金を貯めているんだよ」
「まさかそんな“道具/ツール”が売っていたとは、驚きだ」
「いやいや、キミも日常的に使っていると思うよ。ヒトによっては、依存しているとも言えるかもしれない」
「パソコンとか、携帯電話とか、か?」
「ほぼ正解」
「ほぼ? じゃあ、大正解は?」
「パソコンとか携帯電話とか、ネットに接続できる機器で使用する、実名なり匿名なりで登録して制限以内の文字数で発言を呟くコミュニケーションのサービスとか、実名で登録して実在の個人の意見やステータスを発信するコミュニケーションのサービスとか、キーワードを入力してそれに関連する情報をネット上から検索してそれの関連情報を生成する検索のサービスとか」
「……それが、“この世界”を手に入れるために必要な複数の“道具/ツール”?」
「そうだよ。だから、バイトをしてお金を貯めているんだ。そのお金で株をやって資金を増やして、それで“それら”のサービスの主軸の会社を自分のモノにする。だから株に関することも現在、独学だけれど猛勉強中さ。キミの勤め先が、いつの間にかぼくのモノになっている日も遠くないかもね」
「そうなったときは、社員の待遇向上をお願いするよ。――ところで、どうして“それら”のサービスを自分のモノにすることで、“この世界”が手に入れられるんだ?」
「呟きとか発信の情報の関連の方向性や、検索したワードに関する情報の関連の方向性を、利用者には自覚できない程度の些細さで意図的に形成、生成したら、どうなると思う?」
「さっぱりわからん」
「下降にある大きな流れの河の、山奥にある小さな源流を握ったら、それはもう下降にある大きな流れの河を握っているということにもなるでしょう? 事後である“いまある流れ”に手を加えるのではなく、事前に“流れそのもの”を自分の好きなカタチに形成、生成してしまう。検閲や規制による“支配”ではなく、形成と生成による“誘導”で、“この世界”を手に入れるのさ」
「んんー。わかったような、わからないような……」
「今日なんとなくキミは、ぼくに一千九百八十円のスーパー・デリシャス・グレート・チョコパフェをごちそうしたい気分になる。そういうシチュエーションに違和感なく自然と陥る。――って、ことさ。ぼくが“それら”のサービスを自分のモノにしたら、ね」
「ふんむ……。お前に一千九百八十円のスーパー・デリシャス・グレート・チョコパフェをごちそうしたくなる世界、か。まったく歓迎できないな」
「阻止したいなら、手がないわけでもないよ?」
「ほう。参考までに、ご教授願おうか」
軽い身なりの男はメニュー表のある一点を指で示して、
「この、五百円の普通のチョコパフェをだね、キミは取り引き材料とするわけさ」
と提案します。
「五百円の普通のチョコパフェで、一千九百八十円のスーパー・デリシャス・グレート・チョコパフェをごちそうしたくなる世界を阻止するか、それとも一千九百八十円のスーパー・デリシャス・グレート・チョコパフェをごちそうしたくなる世界を受け入れるか、どちらにする?」
「そりゃあ、どちらにすると訊かれたら、五百円の普通のチョコパフェをお前にごちそうするよ」
「なるほど、よくわかった」
軽い身なりの男は大仰にうなずいてから、スッと右手を頭上に掲げます。
「店員さーんっ! チョコパフェ追加でお願いしまーすっ!」