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小話:其の四《 - Goodbye, good - (仮題)》

 こんなの間違っている。

 僕は帰り道、いつもそう思う。

 こんな現実、間違っていると。

 しかし頭で考えたところで、なにも変わるわけがないということも、同時にわかっている。

「なんだかなぁ……」

 僕は気晴らしにと空を見上げてみた。

「気がきかない、お空だこと」

 見事な曇天だった。僕の気持ちを代弁してくれていると、好意的に受け取ることもできるけれど。

 曇天に一つだけイイところがあるとしたら、雲の切れ間から太陽の光が射し込む絵図らが幻想的で、なにかが降臨してくるんじゃなかろうかというファンタジックな思考に浸って現実から少しのあいだ逃避させてくれるところか。


 不意に――


 幻想的な空に妙なマッチングをした音色が聞こえてきた。

 音楽の知識など、なんとなく耳にする程度しかないので、まったく曲目はわからないが、聞いた感じだと音源はバイオリンじゃなかろうかと思う。

 染み入るような、とでも言うのだろうか。

 過度な主張をするわけでもなく、かといって存在感がないというわけでもなく、音色はただ身にスッと入り込んでくる。

 その音に魅入られたのかなんなのか、気がつくと僕はこの音色がどこから聞こえてくるのか探していた。

 どれほど歩き回ったのか、まったく記憶にないけれど――


 気づくと僕は公園の入り口に立っていた。

 公園といっても簡素な遊具が配置された小規模なモノではなく、散歩やジョギングや日光浴など様々なことができる、緑豊かな広域な自然公園である。

 音色は幸いなことにまだ聞こえており、僕はそれを求めて公園内へと歩みを進めた。


 キレイに刈り整えられた芝生の広場。その中心にはぽつねんと独り佇む老いた桜の樹が居て、その根元にベンチが一つだけあった。

 魅惑的な音色は、老桜樹の下から聞こえてきている。僕は吸い寄せられるように、そちらへ向かった。


 ――側へ行くと、ベンチに座るその人は演奏を止めてしまった。


「やあ――」

 その女性は、

「――こんにちは」

 唐突に現れた僕に、柔らかい微笑みをくれた。

 僕は軽く首を上下運動させるという無礼にも程がある応えかたをしてしまった。とっさに言葉が出てこなかったのだ。その包み込むような微笑に魅了されてしまって。

 バイオリン演奏に礼を尽くしているというような漆黒の燕尾服に身を包み、服と同色の黒髪をショートボブにした彼女は、泣きたくなるほどに優しい眼差しをこちらにくれる。

 妙な間が生まれてしまった。ただ単に僕が彼女に見惚れていた、とも言えるが。

「あ、あの、音が、演奏が聞こえてきて、それがとっても聴き心地が好くて、だから気づいたら足が勝手に動いていて、今ここにいるわけで」

 普段から緊張しいな僕だけれども、なんで今この瞬間に恥ずかしいほどシドロモドロになってしまうかな。

「そう、聞こえたの」

 言い、彼女はバイオリンをしまってしまう。

「え、ええ。けっこう遠くまで聞こえてきました」

 彼女は僕が現れたから演奏を止めてしまったのだろうか。応えつつ、僕はとてつもない罪悪感に襲われた。あの音色を止めてしまうことは、とても罪深く思えるのだ。

「あの、もう演奏しないんですか?」

 僕は恐るおそる訊ねた。

「うん、今日の演奏はおしまい」

 彼女はバイオリンケースを膝の上に乗せる。帰る準備が整ってしまったらしい。

 僕は罪深い者になりたくなかった。それに遠くからでも音色は聴ける。

「ごめんなさい。邪魔してしまいましたよね。僕はもう行くので、このまま演奏してください」

 立ち去ろうとする僕を、しかし彼女はあっ気にとられたような表情で見て、最後に小さくクスリと笑った。

 どういうことだろう?

「音楽は聴いてもらって初めて意味を成すモノだから、邪魔なんかでないよ。むしろわざわざ聴きに来てくれてありがとう、と言いたいもの」

 こちらを気づかうような言葉の後に、彼女はベンチから腰を上げる。立ち去るまで、本当にもう秒読み段階である。僕は焦った。焦ったけれども、妙案が浮かばない。

「そんな顔しないでおくれよ。別に、キミが来たからやめた、というわけでないのだから。たださっきので、今日の演奏はおしまいというだけさ」

 僕はいったいどんな顔をしていたのだろう。彼女は困っているような悲しんでいるような微笑の眼差しを浮かべる。

 なにやってるんだ、僕は。迷惑をかけたくないと思っているのに、結果的に彼女を困らせてしまった。

 自分勝手にも、僕は情けなくてうつむいた。芝生の刈り目がよく見える。

 そよ風が頬を撫でた。


「私は毎日この場所で演奏しているから、縁があったらまた会おう」


 不意な言葉に、はっとして顔を上げたが、そこに彼女の姿は無く、辺りを見回しても老いた桜の樹しか居なかった。


 翌日――


 例の如く“間違っている”と思いながら道を歩いていた。

 大切な人と会ったあと、僕はいつもそう思わずにはいられないのだ。

 だがしかし、思いつつも今日の僕は急ぎ足だった。あの音色が風に乗ってささやかに耳へ届くと、心が踊り――


 気がつくと僕は、芝生の広場に居た。盲目的思考は驚異的な身体能力を生むことがあるようだ。

 音色に誘われ視線をやると、独り佇む老いた桜樹の下は、昨日と違い静かなる賑わいを見せていた。

 老若男女問わず多々の人がベンチを囲み、旋律に聴き入っている。当然だろうと思う。こんなに素敵な音色なのだから。

 僕も輪に加わり目を閉じて、しばし聴き惚れ――


 一瞬とも思えるほどに儚く、演奏は終了した。

 充実している時ほど、体感時間はあっという間である。

 よいんから覚めて、目を開く。と共に聴き入っていた老若男女の姿は幻のように無く、目の前にはバイオリンしまう彼女の姿だけがあった。

「やあ――」

 彼女は、

「――また会ったね」

 昨日と変わらぬ柔らかい微笑みをくれた。

「こ、こんにちは」

 どもってしまったが、今度はまともに挨拶できた。

「あの、他の人たちは?」

 この気持ちを共有してみたいと思ったのだが、

「ん? 満足して逝ってくれたようだよ」

 それはちょっと残念だ。聴いて即行去ってしまうとは、個々に事情はあるのだろうが残念でだならい。

「しかしキミには満足してもらえなかったようだね。申し訳ない」

 彼女はすまなそうな顔をするが、とても満足している僕としてはどうしてそんなことを言うのだろうかと、ちょっと腹立たしくさえ思う。

「そんなことありません。とっても素敵でしたよっ」

 音楽をどう評価すべきであるのか、まったく知らないので、稚拙な言葉しか出てこないが、とても好い演奏であったことだけは間違いない。

「ありがとう」

 彼女は申し訳なさそうなあるいは泣いているような表情をする。

 どうして彼女はそんな顔をするのだろう。

 どうして僕はそんな顔をさせてしまうのだろう。

「今日はまだ時間があるから、少し話しをしないかい?」

 彼女の提案は唐突だったが、僕にその嬉しい申し出を断る理由はない。


 次の日――


 結局、なにを話したのか憶えていなかった。

 あまりにも舞い上がっていたからなのか、なんなのかさだかではないが、思い出せないのだからどうしようもない。

「まあいいか」

 と思うことにして、僕は大切な人に会うため、とある場所へ向かった。

 朝は厳粛でありつつも、夜に訪れると気味の悪い、あまり頻繁に人が訪れない、とても静かな所。そこが僕が大切な人と会える場所であった。

 僕に限らず、多くの人がココで大切な人と会っていることだろう。

 長方形に加工された御影石が乱立する――大切な人を寝かせる場所。

 簡単な言い方をすれば、ここは墓地である。

 僕はいつものように、とある御影石の前へと向かった。

 と、そこには先客がいた。

「どう、して?」

 先客は、漆黒の燕尾服に身を包み、黒髪をショートボブにした女性の姿でそこに居た。

 当惑して立ち尽くしていると、背後から歩いてきた別の人が僕を素通りし、とある墓標の前に立つ漆黒の燕尾服に身を包んだ女性へと戸惑い気味に話しかけた。

 僕を素通りした人こそ、僕の大切な人だった。

「彼から貴女への伝言を――」

 漆黒の燕尾服に身を包んだ女性は、僕の大切な人へと語りかけた。

 いぶかしむように見聞きしていた僕の大切な人は、ある一線を堺に微笑みながら嗚咽を――


 本当は、昨日なにを話したのか憶えている。

 それがただの愚痴でしかなく、それは同時に認めたくない現実を、否定しながら肯定してることでしかなく、憶えていないのではなく忘れたいだけの――


 僕は、生きたかったのだ。

 大切な人と共に物語を紡ぎたかったのだ。

 ただ側にいるというだけの幸福を実感していたかったのだ。

 だから、

 だからその望すべてを否定する――


 ――僕が死んでいる、という事実現実を受け入れたくなかったのだ。


 こんな現実、間違っている。

 僕が死んでしまっているなんて、こんな現実……


 どうして死んだのか、なんて些細なことはどうでもよかった。

 ただ、なにも成す前に死んでしまったということが、悔しくてしかたがなく、なにより最後の最後で大切な人へ別れの挨拶をすらできなかったことがもどかしかった。

「それがキミをここに留めている理由だね」

 漆黒の燕尾服の彼女が言った。

「だからキミは毎日、大切な人へ会いに行って告げようとしているんだね」

 でもそれは叶わぬ行為なのだ。

「なら私がキミの口になろう」

 漆黒の燕尾服の彼女は、そう約束してくれた。

 ほんとうは姿を見てもらい話しをしてもらえるだけでも、嬉しいことであったのに。


 そして彼女は約束を果たしてくれた。


 僕は自らの死に納得はしていないが、最後の言葉を伝えることができたという事実には少なからず満足した。

 でも素朴な疑問があった。

「あなたは何者なんですか?」

 死者と平然と会話する漆黒の燕尾服の彼女はいったい何者なのか、不思議でしかたがなかった。

「さあ」

 彼女は小首をかしげる。

「さあって、答えになってないですよ」

「自分が何者なのかなんてわかりはしないよ。ただ私は、私にできうることをしたいと思い、そうしているだけだもの。だからキミの想いはちゃんと伝えたよ」


 そして約束は果たされたが、僕にはワガママな一面があるようだといまさら自覚した。

「最後に、あの音色を聴きたいんです」

 そんな僕の願いを、彼女は快く承諾してくれて――


 ――そして僕は魅惑的な旋律に聴き惚れながら、


【《 - Goodbye, good - (仮題)》 - 終わり】



「彼から貴女への伝言を――」

 漆黒の燕尾服に身を包んだ女性は、彼の大切な人へと語りかけた。


「――生きて、幸せになってほしい」


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