小話:其の参拾七《めっせーじ(仮題)》
【それもまた“本性”の一部】
《めっせーじ(仮題)》
映りの悪いブラウン管テレビの中に、ひとりの人物の姿がありました。大勢のヒトに囲まれています。
そのヒトは、テレビの中で“ご意見番/大御所”と称される歌手でした。今回は、新曲の発表なのです。
囲んでいる大勢のヒトは、記者でした。新曲に関する取材と言い張って、最近の芸能界や政治や社会に対するご意見番の言葉を拾おうと狙っています。
テレビの中のこの場で中心にある歌手のヒトが、真摯な表情をして“歌/新曲”へ込めたモノについて語り始めました。
「いま私たちが生活している“この国”は、とても幸いなことに、当たり前のように平和を謳歌しています。――しかし、世界に目を向けると、いたるところでいまだに“戦争/紛争”という悲劇が繰り返されています。……無力な私には、歌うことしかできません。しかし私は、歌の力を信じています。歌は、歌に込められた想いは、国や人種や宗教に関係なく届くと――」
いまも遠い場所で起こっている“戦争/紛争”が終結してくれるように。差別や偏見のない、争いのない、平和への願いが込められた一曲である、と述べて歌手のヒトの語りは終わりました。
囲んでいる大勢の記者から、次々とその姿勢を称賛する言葉が送られます。それはしばしば続き――
ピタリと、そうすると予定が組まれていたかのように称賛する言葉は止みました。
――そして。
大勢の記者の口から次々と、最近の芸能界や政治や社会に対するご意見番の言葉を引き出すための、新曲に引っ掛けたりした問いかけが開始されました。
* * *
映りの悪いブラウン管テレビの中に、ひとりの人物の姿がありました。複数のヒトと一緒にあります。
そのヒトは、テレビの中で“ご意見番/大御所”と称される歌手でした。先日、新曲の発表をおこなったばかりです。
そのヒトは歌手であると同時に、現役を退いた方々に絶大な人気を誇る休日お昼の情報バラエティー番組の司会者でもありました。いまは、ボードに貼り付けられた各社の新聞紙のまえに立っています。
新聞の記事を指して、副司会のアナウンサーのヒトが流行の話題に関して“ご意見番/司会者”にご意見をうかがいました。流行の話題は、いま“町興しの素/地域産業”にもなりつつある、アニメやマンガやラノベやゲームが好きで好きで好き過ぎるヒトたちの文化に関することでした。
話を投げられた歌手であり司会者であるヒトは、じつに苦いふうな表情を見せます。それでも、とりあえずテレビ的に当たり障りのないことを述べました。
そして、“それ”を“より理解するため”に作られた映像が流されました。アニメやマンガやラノベやゲームが好きで好きで好き過ぎるヒトたちの暮らしぶりが、とても“それらしく”強調された映像でした。
それを見た歌手であり司会者であるヒトは、不気味なモノが目の前にあるかのごとく自分の腕で自分の身を抱いて、述べました。
「私には、どうにも理解できない世界ですが……。んー、まぁ、……その、……なんと言うか、情熱が熱すぎて正直ちょっと不気味で気持ち悪いというか、……うん、ちょっと理解できませんねぇ。……お好きにどうぞ、としか言えません」
* * *
音は、心に響く。
だからこそ、音には“国境という線引き”がない。
しかし、“それ”を創り出すヒトの頭の中には――
しばしば“価値観という線引き/文化という線引き/言語という線引き/自覚なき線引き/努力なき無理解/偏見的な視点/差別的な視点”が存在する。
* * *
――戦争は、いまだ続く。