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小話:其の参拾四《いろどり(仮題)》

【けれど、“無色”ではない】

《いろどり(仮題)》


 彼の頭の中には、いつも、いかなるときも、鮮やかな極彩色が溢れて煌めいて輝いていた。

 彼が見る世界は、つねに楽しさや喜びで満ちていた。

「――遠い、過去の話だ」

 誰にでもなく、彼は独り小さく言葉を吐いた。――そして。

 見上げた空は、見わたす限り灰色だった。ほんの数分前まで雨を地に落としていた雲たちが、まだそこに居座っているから。

 せめて太陽の“煌めき/輝き”くらいあってほしかった、と彼は思った。けれどそんな些細な救いすら、ここにはなかった。

 彼がそのことに気が付いたとき、――もうすでに頭の中から色彩も煌めきも輝きも失せていた。

 彼の頭の中は、いつの間にかモノクロ写真のような白と黒だけになっていた。

 彼の見る世界に、いまや楽しさも喜びも満ちていない。

 そうなったのがいったい“いつ”のタイミングだったのか、記憶にない。大概の“それ/問題”がしばしばそうであるように、気が付いたときには、もうすでに手遅れだった。

 ――そして。

 大概の“それ/事故”がしばしばそうであるように、

「あだっ」

 後頭部に衝撃を感じたときには、もうすでに痛みがあった。

 地べたに、なにか硬質のモノが落ちた音がした。見ると、そこには石ころがあった。

 どうやらこれが後頭部に当たったらしい。石ころが自ら飛ぶわけはないから――

 彼が視線をやった先に、とても居心地悪そうにしている男の子と女の子の姿があった。どうやらこのふたりが、石ころが飛べた理由らしい。

「お兄ちゃんっ! ちゃんと謝らないとダメだよっ!」

 叱りつける口調で女の子が言った。

「あー、んー、わかった」

 なにか逡巡してから、渋々といったふうに男の子が同意を示した。そして困り果てたふうに、

「わかったから、足踏むのやめてくれよ」

 と付け加えて言った。

 女の子が手を引いて先導し、男の子は手を引かれ重そうな足取りでやってきた。

「あのっ」

 女の子が、つないでいる男の子の手を一度ぎゅうと握ってから言った。緊張しているのか、声が少し上ずっている。

「ごめんなさいっ」

 ぺこりと頭を下げる。――そして、

「ほらっ、お兄ちゃんもっ」

 男の子が明後日の方向を眺めていたことに腹を立て、その足を思いっきり踏む。

「イテッ! だから足踏むなよ。――イテッ! わかったよ、わかってるよ」

 男の子は降参したふうに言って、女の子をなだめてから、

「ごめんなさい。石は、オレが蹴って飛ばしました」

 しっかりと頭を下げて、謝る。

「…………」

 謝罪を受けて彼は、思考した。まったく知らぬ他者との関わりに“リスク/損得”を考えるようになったのは、いつからだっただろう。他者と関わっている場面を、関わっている以外の他者が“どのような眼で見ているのか”を気にするようになったのは、いつからだっただろう。他者は、いまこの場面を見てどう思うだろう。いい歳した男が、子どもに頭を下げさせているこの場面を見たら。

「大丈夫です。平気です。あまり気にしないでください。でも、今度からは注意してくださいね」

 人造物のような愛想のいい表情を浮かべて、彼は言った。“リスク/問題”とは、できるだけ関わりたくなかった。早く流してなかったことにしたかった。

「…………」

 不安そうな、怯えているような、不気味なモノを見るような表情を浮かべて女の子は、黙したまま男の子の手をぎゅうと握った。

「んー」

 残念そうな、悩んでいるような、不思議なモノを見るような表情を浮かべて男の子は、

「なんか、曇り空とおんなじような顔してる」

 鋭利さを秘めた純粋な眼差しで見やりながら、述べた。身長の差から必然的に見上げる視線になり、意図せずして自然と“その顔”と“その空”を見比べる結果になったのだ。

「――え?」

 彼は余裕ある大人を装った表情を浮かべつつ、しかし胸の内でギクリとした。なにを言われているのかわからないのに、なぜだか見ないようにしていることをズバリ指摘された気分になった。

 最後にまた頭を下げてから、女の子がまるで逃げるように男の子の手を引いて歩を進めた。

 急に手を引っぱられたことに男の子は一瞬ビクッとしてから、やれやれと言うふうに女の子の後を追う。

「…………」

 なにも言葉も思いつけずに、彼は去り行くふたりの背を眼で追った。

 男の子は水溜りを見つけると、いっさいのためらいなくそこへ跳び込んだ。楽しそうな音を発てて、しぶきがはねた。女の子の服に、ちょっとそれがかかった。

 女の子は抗議する鋭い眼光を男の子に向け――

 助走を付けて思いっきり水たまりへ跳び込む。爆笑するような音を発てて、しぶきがはねた。男の子に、浴びるようにそれがかかった。

 どちらともなく笑って、バチャバチャと足踏みして水たまりを楽しむ。いまさっきの出来事など、もうキレイさっぱり忘れているようだった。

 雲の切れ間から射してきた光が、ふたりを照らす。男の子と女の子は、煌めき輝きの中で遊び楽しんでいた。

 とても遠い、自分とは別世界の光景だ。そう感じて彼は、それが自分らしいと表現するようにうつむく。――と、そこに先ほどの石ころがあった。

 彼にはその石ころが、別世界から飛来した未知の隕石めいた、とてもカラフルなモノに思えた。

「…………」

 しばし眺めて彼は、ちょいとそれを蹴ってみた。

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