小話:其の拾五《夢見た世界(仮題)》
大半のヒトが一度は語る“夢”の――
《夢見た世界(仮題)》
河原の脇の歩道沿いに、西欧風の洒落た造りをした飲食店がありました。よろしいほうに称して“味のある”、よろしくないほうに称して“ボロい”、とても“年月の流れ”を感じる風格のあるお店でした。
このお店には、テラス席がありました。道を挟んで河原のほうに視界が開けていて、とても開放感があります。
ときおり流れるそよ風が心地好い“そこ”には、お客さんの姿がありました。
ふたりの老人が、真昼間からお酒を飲んでいました。
「いやー、しかし、わたしたちが若かりし頃に夢に見ていた未来の世界が、まさか生きている内に目の前に広がるなんて、人類の進歩に乾杯っ!」
「ははは、確かにそうですな。宇宙ステーションが当たり前のように頭上にあって、宇宙旅行ももう幾つ寝れば現実になるんですからな、人類の進歩に乾杯っ!」
蒼い空のより高き遥か頭上にある宇宙ステーションへ捧げるように、ふたりは手の内の酒を高々とかかげてから、それをひと息に飲み干します。
「…………“SF”が夢に見た未来の世界は、確かに目の前にあります。宇宙ステーションも頭上にある。宇宙旅行も秒読み段階だ。――しかし私は、乾杯にはまだまだ程遠いと思いますよ」
酔っ払って楽しくなってしまっている老人たちの隣の席で辛抱強く、コーヒーを味わいつつ、“イマヌエル・カント”の著書を読書をしていた青年が、思うところある顔つきで言いました。
「なんと! これほどまで進歩して、まだなにか実現していないことがありましたかね?」
「いやはや、そんなモノがありましたかな?」
老人たちは酒の酔いが醒めない程度に驚きを表し、そして酒の肴になりそうな青年に、話の先をうながす“興味深げな眼差し”を向けます。
「世界の大半の人々が夢に描いている未来が、まだあるじゃないですか」
呆れているような、失望しているような、哀れんでいるような、批難しているような表情で、青年は言いました。
「はて?」
「さて?」
老人たちは顔を見合わせ、首を傾げます。
「本当に、おわかりになりませんか?」
とても重大な問題に直面しているヒトの表情で青年は、慎重に“そのこと”を確認しました。
「いやー、ついに頭にガタがきてしまったようで。まったく思い当たりません。これは是非とも、この老いぼれに教えていただきたい」
「いやはや、お恥ずかしい。同じく、是非に教えていただきたい」
余裕のある年長者の笑みを浮かべて、老人たちは隣の席の“若者”に教えを乞いました。
「…………そうですか」
と返してから青年は、コーヒーを一口。そしてそれを味わう一呼吸を置いてから、言いました。
「……世界の大半の人々が夢に描いている未来。この一点に限って私は、人類の進歩はとても遅いと思っています」
「ほう、それは?」
「いったい?」
青年の“語り”を盛り上げるかのように、老人たちは大仰に“好奇心”を示しました。
そんな老人たちを見やりつつ、青年はとても平坦な口調で“そのこと”を教えました。
「――誰もが飲み食いに困らない、武器兵器の存在しない、平和な世界ですよ」
* * *
“なるほどこの保証は、永遠平和の到来を(理論的に)予言するのに十分な確実さはもたないけれども、しかし実践的見地では十分な確実さをもち、この(たんに空想的でない)目的にむかって努力することをわれわれに義務づけるのである。”
――イマヌエル・カント著 『永遠平和のために』
第一補説 永遠平和の保証について より抜粋
* * *
老人たちは“重大なこと”に気がついたがごとく、すっかり酔いの醒めた表情になって言いました。
「……あなたの言うとおりだ。わたしたちは、“甘い夢”を追いかけるあまり、“そのこと”を失念してしまっていた……」
「……確かに、そうですな。“甘い夢”ばかりを追いかけて、“苦さをともなう夢”は積極的に追いかけていなかった。いや、“甘い夢”の“甘さ”を堪能するあまり、“そのこと”それ自体を忘れていた……」
老人たちは“責任ある年長者”の顔で、恥じ入るように、恥じを承知の上で、青年に訊きました。
「是非ともこの老いぼれに、“その夢”を叶えるための取り組みかたを教えていただきたい」
「同じく。どうか是非とも、教えていただきたい」
老人たちの熱心な眼差しに、
「…………」
しかし青年は“答え”を持っておらず。
追い詰められたヒトの表情で青年は、読みかけの“イマヌエル・カント”の著書を開いて、必死に“答え”を――