小話:其の拾弐《気にしなければ気にならない(仮題)》
そうであることが“当たり前”は盲目――
《気にしなければ気にならない(仮題)》
ふたりの男が、いきつけの薄汚れた定食屋で“いつもの/定食”を注文しました。
ひとりの男は、注文の品ができるまで新聞を読むことにしました。
ひとりの男は、注文の品ができるまで――
「なあ」
――することがなかったので、対面にある新聞の、たまたま目に付いた一面から思ったことを、その新聞を読んでいる相手に問うてみました。
「んー、なんだ?」
「政治と宗教ってさ、分離されてしかるべきだって、そんなふうに学校で教えられたよな?」
「んー、まともに授業聞いてた記憶がねぇから“教えられた”かどうかはわからねぇけど……。まあ、でも、いまのご時勢、だいたいは、政と教は分離されているべきって言うな。……てか、それがどうした? メシが待ちきれなさ過ぎて、急に“そっち方面”に目覚めたのか?」
「いや、そういうわけじゃないけどさ。ただ、その新聞に載ってる“ある国の統治者の就任式”の写真さ、思いっきり“教えの書かれた書物”に手を置いて誓ってるじゃん“統治者に就任するヒト”」
「ん? ああ確かに」
「政治と宗教がガッチリ握手してるように思えるのは、オレだけか?」
「……いや、オレにもそう思える」
「いまのご時勢、よく騒ぎにならないよな――って、ふと思ってさ。すごく堂々と握手しちゃってるのに」
「まあ外国の新聞に載るくらいの堂々さだわな。確かに。――けど、んー、べつに気にしてないんじゃない? “この国/ある国”のヒトたち。気にしなければ気にならない。気にならなければ疑問は出ない。疑問が出なけりゃ異論も出ない、みたいな?」
「そんなもんなのか?」
「そんなもんなんじゃね? ――あ、オレのメシ来た」
「そんなもんか。――む、オレのメシ……、来ない……」