小話:其の壱百六《はずかしいモノ(仮題)》
【絵に描いた餅の焼き加減について論ず】
《はずかしいモノ(仮題)》
ひとりのヒトが、家に帰るため、道を歩いていました。この道は、行政の区画整理、再開発計画の“進展する気配のない遅れ”の影響から、いまだ舗装されておらず土面がむき出しになっています。強烈な雨のときなどはヒドイ状態になってしまいますが、夏場などは地面の照り返しなどがあまりなく暑さが緩和されるので、この道を利用する周辺住民はよくも悪くもと思ってあまり強く舗装するように訴えたりはしていません。
「おや?」
ひとりのヒトは、そんな土や石や砂利がむき出しの地面に、ともすればスイカのようなシルエットのモノがポツンと置かれてあることに気がつきました。
「なんだろうか、あれは」
疑問に小首を傾げつつ、どちらにしろ進行方向の先にあるので、そちらへ近づいて行きます。
「な! こ、これは……」
ひとりのヒトは、ある程度まで接近して“それ”の正体を確認、認識し、
「なんと酷い……」
それ以上の言葉を、胃のほうからこみ上げてくるモノを抑えるために失いました。頭の隅では速やかに立ち去りたい衝動に駆られていますが、しかし脚は動きません。
そこにあったのは、黒の長い髪を馬のしっぽのごとく結い上げているひとりの若い女性の“首から上だけ”でした。より正しくは、若い女性のような面立ちのヒトの頭部、いわゆる生首、でした。
「……はっ! いけない」
しばしの衝撃による沈黙の間を置いてから、ひとりのヒトはようやく行動せねばと思い、
「は、はやく、しかるべきところへ通報しなければっ!」
ポケットから携帯情報通信端末を取り出し、いまいち思い通りに動かない指をこれでもかと動かして――
「あ、あのう、つ、通報するのは待ってくださいっ」
若い女性のそれを思わせる焦ったふうな音声が、耳に届きました。
ひとりのヒトは、やや遅れてピタリと硬直しました。それから、“まさか”という考えが足元から這い上がってくるようにして脳裏をよぎり、それに由来する怖気と悪寒がぞわりと背筋をはしりました。
「たぶん、いま、あなたが考えているであるモノではありませんからっ!」
ひとりのヒトの脳裏をよぎった“まさか”は、しかし“まさか”ではなく、
「お願いですから、お願いですから通報しないでください」
現実としてそこに存在しました。
若い女性のような音声は、地べたにある生首から聞こえていました。
「まず私は、生首ではありません。ちゃんと――いまは地中ですが、身体はあります。それから、べつになにか事件に巻き込まれたりして、こうなっているわけではありません。私は自分の意思で、こうしているのです」
と、必死なふうに、若い女性のような音声は述べてきました。
ひとりのヒトは生唾を嚥下し、一世一代の事を成すがごとく覚悟を決めて、音声を発する生首にしっかりと確かめるための視線をやりました。
最初は、やはり恐怖を相手にするがごとくチラリチラリという見やりかたでしたが、
「…………おや?」
熱いお湯に身体がなじむがごとく、しだいに見やることに対する抵抗が薄れてゆき、
「これは……」
よくよく見やると“それ”は、“いわゆる生首”にしてはずいぶんと血色がよく。なにより、
「あ、そういえば、挨拶がまだでしたね。こんにちは」
と、活きた光ある眼差しをして、ぱちくりとまばたきをしたりしながら、礼儀正しさを見せてきたりしました。ちなみに、見た限り、聞いた限りにおいて、性別は若い女性であると判断し、決定しました。
ひとりのヒトも、さすがに“こんな生首”の話は聞いたことがなく。なので、生首の述べたことをいちおう信じ、
「えっと……こんにちは」
懐かざるおえない――懐いた多大な疑問を解消するために、話を聞いてみることにしました。
「あの、さきほど、自分の意思でそうしていると言っていましたが」
「ええ、その通り。私は自分の意思でこうしています」
「えっと……その理由をうかがっても?」
ひとりのヒトが少し踏み込むと、
「そ、そうですよね。やっぱり、不思議に思いますよね」
生首状態の若い女性は、恥じらうように頬を薄っすらと赤らめました。
「はい、とても不思議に思っています――けど、言い難いようでしたら、無理に訊くつもりはありません。このまま黙って立ち去ります」
若い女性が地べたに埋まって生首状態になっているのを発見してしまったら、誰もが自分と同様の反応をするだろう――と、ひとりのヒトは思いつつ、返答しました。
「あ、いえ、その、変な誤解をされたまま立ち去られたくないですから、できればちゃんと説明させてほしいです。……少し、長くなってしまうかもですが」
生首状態の若い女性は、そもそも最初からそうでしたが――上目遣いで、うかがうように言いました。
「長くなるのはかまいません。この懐いた疑問が解消されるなら、いくらでも時間を用意しますよ」
「そうですかっ、では――」
と、生首状態の若い女性は話し始めました。
最初に語られたのは、生首状態の若い女性が幼い時に厳しく育てられたということでした。いわゆる“子ども向け”のコンテンツには一切、触れること許されず、複数の習い事をこなしていた、と。
それを聞いたひとりのヒトは、
「なるほど……。では、これは、幼少期から積もりに積もったモノを解消するための行為である、と?」
薄っすらと見えてきたモノに、やや同情めいたモノを懐きながら、そう確認しました。
「違います。べつに親の教育方針に不満は――いえ、正直なところでは、少しはありますが、違います」
「そうなですか……では?」
「違うと言いつつ、発端は幼少期なのですが。まだ小さいとき、親に連れられて本屋さんに行きまして」
「ほう」
「本屋さんのある売り場で私は、その、とても破廉恥なモノに興味を示してしまいまして」
「それは……いわゆる大人向けの書籍ですか?」
「えっ? ち、違いますよ。可愛い女の子のイラストが表紙に描かれた、全年齢対象の小説やマンガです」
「……ん? それは……それがどうして、破廉恥なのですか?」
「そ、その……イラストの女の子が皆がみんな……そのう……」
「イラストの女の子が、なんです?」
「え、そ、その、みんな、パ、パン――下着が丸見えで」
「ああ、最近の流行りなんでしょうかね。多いですよね、そういうの」
「ええ。それで、その、小さいときの私は、イラストの女の子が可愛かったので、そういう書籍のひとつを手にとって親に欲しいとねだったんです。そうしたら親に、その、先ほど述べたことを指摘されまして」
「イラストの女の子のパンツが見えてること、ですか?」
「そそうです。そのことを指摘されて、怒られまして。こんな破廉恥なモノに興味を示すなんて、と」
「幼少期のあなたと親御さんとでは、イラストの女の子に対する着眼点が異なっているようにも思えますが」
「そうなのですが、まあ、いまでは親の言い分もわかるので気にはしていません」
「なるほど。それで、それと、この状況とは?」
「ああ、はい。で、つい最近も本屋さんに行きまして。そこでまた、そういうイラストの描かれた書籍を目撃しまして」
「ええ」
「そこで、ふと、本当にふと、“あること”を考えてしまいまして。それ以来、強くそのことを意識するようになってしまって」
「“あること”、とは?」
「パ、パン――下着は、その、恥ずかしいところを隠すために身につけるでしょう? だから、それを見せることは破廉恥で、よくない」
「まあ、確かに。そう……ですね」
「恥ずかしいところを隠すためのモノである下着が見えると破廉恥であるなら、それを見えないように隠している上着、衣服もまた、見えたら恥ずかしいモノであるということになるわけで」
「……え?」
「その上着、衣服を隠すために着用するモノもまた、見えたら恥ずかしい破廉恥なモノとなるわけで」
「えっ? え?」
「そうなると、いくら着込んでも私は、見えたら恥ずかしいモノを見せびらかしている破廉恥極まりな――」
「つまり――」
ひとりのヒトは、聞いた話をどうにか噛み砕いて消化し、
「いくら衣服を着ても恥ずかしいという気持ちが消えないから、もう穴を掘って埋まりたくなってしまった、と?」
確認するための言葉を、投げました。
「こうする以外に、恥ずかしいところを隠す方法を思いつけなかったのです……」
「なるほど……しかし、それだと、よりまずいことになるんじゃないでしょうか」
「え? それは、どういうことですか?」
「恥ずかしいモノを隠すためのモノが見えると恥ずかしいなら、私は、私たち人類はいま、“恥”の上に生きていることになる」