小話:其の壱百五《たいさく(仮題)》
【足元だけを見て先へ先へと進んだ、その結果】
《たいさく(仮題)》
とある時代の、とある国の、先進的な建築物が建ち並ぶ首都、その中央区画にある通行量の少ない交差点の脇に、テラス席を備えてあるコーヒー店がありました。この国の化石燃料をもちいたエンジン駆動の乗り物にはすべて、先進技術をもちいた排気ガス浄化装置の装備が義務付けられてあり、なおかつ近年では非排気の電力駆動エンジンへの移行も進んでいるので、テラス席に陣取って行き交う乗り物を眺めながらでも、優雅にコーヒーの風味を楽しむことができます。
そんな立地のコーヒー店のテラス席に、ふたりの男の姿がありました。ひとりは、この先進的な国で生まれ育った男でした。ひとりは、この先進的な国の隣にある新興国で生まれ育った男でした。
「この国は、とてもよいですよね」
ブラックのコーヒーを一口、楽しんでから、新興国の男が言いました。
「そうですか?」
ミルクと砂糖がたっぷりのコーヒーを一口、味わってから、
「ここで生まれ育ったので、正直なところ――だからといって、祖国を愛していないわけでは、もちろんないですよ? ただ、正直なところ、ずっと生活している身としては、“この国のよさ”というモノが、どうにもいまいち見えてこないもので」
と、先進国の男が応じました。
ふたりはとくに知り合いというわけではありませんでしたが、テラス席にある姿が他にないので、なんとなくお互いに、言葉をかわしてみようと思ったのです。
「よければ教えていただきたい。隣の国のあなたから見た、この国のよいところを」
「あなたは見えてこないとおっしゃるが」
新興国の男は周囲に視線を投げながら、
「私からすると、そこかしこによいところが溢れているように見えますよ」
と言い、微笑みながらまたコーヒーを一口、楽しみます。
「ほう」
先進国の男はあまり熱のない視線を周囲にやってから、
「そこかしこに、ですか」
と言い、微苦笑のようなモノを浮かべながらまたコーヒーを一口、味わいます。
「ええ、うらやましいくらいに溢れていますよ」
新興国の男は言い、楽しむように“あれ”も“これ”もと説明を始めました。
先進国の男は、なるほどと気づかされたふうに聞きました。
「それになにより、これに関しては、我が祖国のこれからのために“どうしたのか”と訊きたいのですが」
新興国の男が、真面目な顔をして、口を動かします。
「この国には、自動車やバイクなどのエンジン駆動の乗り物で集団暴走行為をおこなう者が少ない、存在しない、と言ってしまっても過言ではないでしょう。残念なことに我が祖国では、国の発展に合わせるように、集団暴走行為をおこなう者が増えていまして、社会問題となりつつある」
「そうなのですか」
先進国の男はコーヒーを味わいながらひとつ、相づちを打ちました。
「ええ」
新興国の男は、真剣な表情をして前のめりになり、
「ですから、是非とも、先人の知恵をご教授願いたいのです」
と口を動かします。
「いったい、どのような対策をおこなったのですか?」
「対策……ですか」
先進国の男はコーヒーのカップに口をつけて、
「なにも、なにもおこなっていませんよ。この国は」
と述べ、そして一口、味わいます。
「まさか、なにも対策をおこなわずに自然消滅したとでも?」
「……まあ、そういうことになるのでしょうかね」
「まさかまさか、そんなことありえない――あっ、ああ、なるほど、そうですよね。これは失礼。なにも対価もなしに情報を得ようなんて」
新興国の男は気づいたふうに言い、
「どうでしょう。ここの支払いは私がおこなう、それで教えていただけないでしょうか」
と、テーブルに置かれてあった伝票を自らのほうへ引き寄せました。
「え? いや……。ですから述べたじゃあないですか、なにもおこっていない、と」
先進国の男は少し困ったふうに、言いました。
「なにもおもなっていない――わけないでしょう。またまたぁ」
新興国の男はジョークを聞いたヒトの顔をして、
「こうして結果があるのですから、なにかおこなっているはずですよ。間違いない。あ、ああ、なるほどなるほど。まったくあなたも、なかなか。いえ、まあ、それだけの価値があるということですか。はあはあはあ、なるほど――わかりましたっ」
と、ペチンとひとつ、柏手を打ち鳴らしました。
「よかった。わかってもらえ――」
「この特製のチョコレートケーキを進呈しましょう。店員さんっ! これ、この特製のチョコレートケーキひとつ、そうひとつ、お願いしますっ! 早めでねっ!」
新興国の男は店内で暇そうにしていた店員に注文してから、
「で、どうでしょう?」
と、先進国の男のほうを向いて言います。
「これで教えてもらえませんかね? なにをおこなったのか。好きでしょう? 甘いモノ。そのコーヒーも甘めのようですし」
「まあ好きですけれども、甘いモノ」
先進国の男は興味深げにメニューに記載されてある“それ”を見やってから、
「て、違う。わかってないじゃあないですか。先ほどから述べているでしょう、あなたが知りたがっていることは」
誘惑を払うように首を横に振って、言いました。
「もう、強情――いや、貪欲なおヒトだぁ……しかたない、ここまできたら、なんですか、もう好きに追加注文していいですよ。ですから、いいかげん、教えて――」
「ですからっ!」
先進国の男は、しびれを切らせたふうに、
「私は特製のチョコレートケーキよりも、こっちの生クリームとカスタードクリームたっぷりの――」
と口を動かし、
「って、違うっ! そうじゃない」
はっと冷静さを取り戻して、訂正します。
「本当に、この国は、対策というモノを、なにもおこなっていない、のですよ。わかってくださいっ。集団暴走行為をおこなう者がほとんどいないのは、そんなことをする余裕がないからです」
「……ん? 余裕がない?」
「ええ、そうです。この国は、経済、財政対策というモノをまったくおこなわずに、後回しにして、先へ先へと進んできました。ですから、この国は今現在、不況の真っ最中なわけですよ」
「……ほう」
「集団暴走行為をおこなうにしたって、乗り物を購入して、改造パーツを買って装備して、燃料を購入して――それで初めて、おこなえるわけです。カネがかかるんですよ、それをするにも」
「……なるほど」
「そんなところに少なくないカネをつかうくらいなら、集団暴走行為をおこなう者だって、そんなカネ食い虫は売っぱらって、美味しいモノを食べることを選ぶわけですよ。集団暴走行為をおこなう者だってヒトの子なわけですから、生活だってある」
「……そう、なのですか」
「ええ、そうです。以前、集団暴走行為をおこなっていた私が言うんですから、まず間違いない」