鏡にいきます
旧校舎に残された姿鏡の前にたつ。カチン、カチンと柱時計が時を刻むのを聞きながら。3回、今まで救ってきた。アチラの世界を。その度にこちらに戻ってきて。
我ながら、いったい自分はドチラの住人なんだろうって困惑する。
向こうに行ったからと行って、物語の主人公の ようにヒーローになったわけじゃない。吐きそうなほどの努力をして、魔法ってヤツを勉強しただけだ。同じようにこちいらでも勉強したら、僕だって医者にもなれるかもしれない。
もう、あんな想いはコリゴリだ、って。帰る度に――この鏡をくぐる度に思っているのに。不思議と、また行きたいと思ってしまう。次、あっちに行ったら本当に、死ぬかもしれないのに。
ゴクリ。
生唾を飲み込む音が、校舎のなかを反響したような気がした。
ココにいたら平和なのに。
当たり障りない人生を歩んで、適当に友達を作って。進学して、就職して、結婚して――。
なんて、アクビが出る。
戻ってくるたびに思う。なんて、僕は死んだ魚のような目をしているんだろうって。
正直、アチラの世界が崩れ落ちようが、戦争がおきようが自分には関係がないはずだ。目を閉じる。瞼の裏側にチラつくのは、アッチの世界のあの人達ばかりで。不思議と、コッチの人たちの顔は、一人も思い浮かばなくて、妙に笑えてくる。
目を開ける。
鏡の向こう側では、姫巫女が必死に祈りを捧げている。城に火の手が回り、崩落することにも意を介さず、ただ僕を――コッチの世界に目を向ける。
一瞬だけ、振り返る。
この旧校舎は明日の朝、取り壊しが決定している。
いくら、コッチとアッチの世界の時間の速さが違っても。間違いなく、アッチとコッチをつなぐ世界の扉は潰える。
(もうコッチには戻れないか)
不思議と、心のなかは波打つことなく、平静で。
鏡の向こうの姫巫女の唇が動いた。音は聞こえない。アッチとコッチでは世界の次元軸レベルで、干渉しない。この鏡の存在、そのものがエラーなのだ。歪みの旅人と歓迎されなかったこともあった。今では、それも懐かしい。
姫巫女の唇が動く。音声はない。ただ唇の動きで、言葉を読ーーむ?
愕然とした。
――あなたが。
唇が動く。
――ソチラの世界で
唇がそう動いた。
――幸せでありますように。
火が上がり、壁面が崩れ、崩落のなか――よく知った顔の騎士が飛び込んできて――。
唇の動きを読むまでもない。姫巫女至上主義のアイツらしい、と思う。そしてよくやったと声に出ていたことに気づき、苦笑する。
今さら、だ。
もう一度だけ、振り返ってから鏡と向き合う。
特に未練はない。
それより姫巫女、あなたを失うことの方が、何よりも怖い。
だから鏡に向けて
「行ってきます」
と呟く。
行く理由はあなたがいるから。それだけで良い。変えられなくても良い。だってあなたがいるから。
理由はそれだけで十分だ。
時計が、時刻を告げた。
パワーショベルが無造作に、その鉄の腕を振り上げて――柱時計も、鏡を容赦なく叩き壊した。
アチラとコチラが、溶け合って一つになったことを、まだ誰も気付いていない。
世界は滑稽で、これ以上ないくらに歪んでいる。
Twitter 伽藍お題bot様からお題を拝借。
「鏡にいきます」を書きなぐりで……




