一話 転移
俺は失敗作だった。
この世界には魔術というものがあり、この世の中心的な存在と言っても過言ではなかった。
日本には七つの魔術の名門があった。
そのうちの一つ。
黒導家に俺は生まれ、そして、失敗作の烙印を押される。
姉や兄、妹は優秀で、魔術学院の中でも常に上位に位置していた。
それに比べて俺は常に底辺を彷徨い、ろくな魔術を使うことができなかった。
強いて使えると聞かれれば、それは絶対に誰にも口外することも見せることもできない。
俺はなぜか禁術しか適正がなかった。
これに気づいたのは黒導の禁書を偶々読んだことがあり、それを使用し、完璧な制御をしながら発動できたからだ。
だが禁術は本来、使用すれば身を滅ぼすと言われるほど危険な代物である。
当然俺もデメリット効果をモロに受けてしまった。
結果、今まで使えた筈のショボい魔術すら使えなくなり、代わりに呪いを魂に刻まれた。
刻まれた呪いの効果は禁書の通りなら不死。不死の力を手に入れた俺は歓喜......しなかった。
死なないということはどれだけ痛めつけられても苦しくても死という逃げ道を使えないことを意味する。人間の精神が保てるかどうかさえ疑問だ。
そんな不死人になった俺は現在、崖っぷちに立っている。下を見れば自然でできた岩の剣山。落ちれば当然死ぬ。
不死の俺にとっては飛び降りて自殺を図っても無駄だが、この崖は曰く付きなのである。
どういう曰く付きなのか、と聞かれれば知っている人は皆、口を揃えてこう言う。
「『落ちれば死体も残らずこの世から消える』、か。俺にはぴったりの場所じゃないか」
これまで何度、腕を、足を折られ、潰されただろうか。数え切れないほど傷を負い、治され、再び傷つけられる。これが毎日のように繰り返され、もはや人間としての精神が摩耗し、自分が人であるかさえ分からなくなってしまった。
「あばよ、クソったれな世界」
一歩踏み出す。
右足は地面に付かず、全身が前に傾く。
浮遊感を全身で感じ、瞼を閉じる。必然的に重量の関係で頭が下になり、そのまま無数の剣山の中へと突っ込んでいく。
しかし、落下の途中で突然、空間がぶれたような感覚に苛まれる。
一瞬で意識を失い、全てが暗転する。
彼を包み込むように青い光が彼の体を、魂を飲み込んだ。
♢♢♢
光が瞼を通して微かに入り込んでくる。次第に意識が戻り始め、瞼を静かに開く。
「眩しいな」
日の光が身体中を照らし、暖かさに包まれる。ゆっくりと上体を起こして周囲を見ると、どうやら今自分がいる場所は宿屋の前らしい。
レンガ造りの建物の看板に宿屋と書いてある。が、書いてある文字は日本語でも英語でもない。そもそもこんな文字は地球上に存在しているかもわからない。
それでもなぜか読めるのである。理由は全くもってわからないが。
「あの、そんなところに座り込んでどうしたんですか? 」
「え?」
突然背後から声を掛けられる。透き通るような美しい声、まさにこれこそ美声というのではないか。と思うほど綺麗な声であった。
「ああ、ごめん。こんなところに座ってたら邪魔だよな。すぐ退けるよ」
「あ、いえ。うちの宿屋、そんなに繁盛しているわけでもないので謝られることでも。それであなた、珍しい格好ですね。どこの国の方ですか?」
繁盛してないって、それを人に言っていいものなのか。
「俺は日本から来たんだ」
「ニホン? そんな国ありましたっけ。少なくとも私は聞いたことないですねぇ」
うーん、と唸りながら口元に人差し指を当てながら考える少女。
それとは対照的に俺は困惑していた。日本は世界でも先進国として広く名が知られている。さらに宿屋であれば尚更知らない方がおかしい。それは当然、店などを経営するならば、最低限の世界の知識を知ることは当たり前で、むしろ知らずに生きる方が難しい。
「えーと、ここの国の名前ってなんだっけ?」
「え、あー、この国はライトレイ王国ですよ」
ライトレイ王国。
地球上に存在しない国の名前だ。
これまでの少ない情報を整理すると、日本が存在するか分からない。今いる場所はライトレイ王国だということ。それに加え、見たことのない文字。さらに日本を知らないのに俺と普通に話せる目の前の少女。これらの情報から導き出せる答えは、ここは異世界か何かではないかということ。
あの崖から飛び降りた人達は皆、死んだのではなく異世界に転移していた、というならば辻褄が合う。
もし俺の推測が正しければ次の質問で推測から確信に変わるはずだ。
「一つ、質問してもいいか?」
「ええ、答えられる範囲でならいいですよ」
にこっとこちらを見て微笑みながら了承してくれる少女に感謝だ。
「ーーーー 魔術って、知ってるか?」
さあどう答える。これの答えによってここが異世界か、それとも俺が知らないだけで実は存在していた国なのかが分かる。
少女は小首を傾げ、口を開く。
「マジュツは知りませんね。ちゃんと答えられなくてすみません」
知らないことを申し訳なさそうにする少女に慌てて頭を下げる。
「ああ、いや、いいんだよ。そうだよな、いきなり変なこと聞いて済まなかった」
俺は自分でも驚くほど動揺し、目の前にいる少女に謝罪した。実はこの時、俺は少し人間らしく振る舞えた気がして、ほんのちょっとだけ嬉しかった。
「いえいえ、謝る必要なんてないですよ。そういえば自己紹介がまだでしたね。私はラクル・バートリー、宿屋の看板娘をやっています」
「看板娘......っと、俺は滝理だ。家名とかはない」
俺にとって黒導と名乗ることは屈辱以外のなにものでもない。できれば二度と口にしたくない名だ。
「タキリさんですか。ふーん、タキリ。なんだかかっこいいですね」
「そ、そうか? ラクルも名前だけじゃなく見た目も可愛いな」
かっこいい、と初めて言われたので少々テンパってラクルを口説くような言動をしてしまった。
「えへへ、よく言われます。主にお客さんにお世辞で」
「......お世辞じゃないだけどなあ」
この子が可愛くなかったらこの世界はおかしいと思う。それか美醜の感覚が狂ってる。
「なんか言いました?」
「いんや、なんにも」
気になるじゃないですかー、と段々あざとい態度になってきたので、一旦立ち上がり、これまで会話を断ち切るように質問する。
別にあざといのが嫌いなわけじゃないからね?
「ここら辺で情報を集められそうなところってある?」
「へ? そうですねぇ。兵士さんの詰所とか、それかスラム街くらいですね。スラム街の方が情報は入りやすいと思いますが、あそこは物理的に危険なんですよね」
「そうか。じゃあとりあえず詰所のほうに行ってみるよ。今は金とか持ってないから、収入が入ったら泊まりにくるよ」
「おぉぅ、まさかの一文無しさんでしたか。まあ泊まりに来てくれるならどうぞまた来てくださいね。その時は丹精込めてお世話させていただきます」
可愛らしい笑みを浮かべながら言うラクルに見惚れてしまった。この子はもうちょい成長すればきっと凄い美人さんになるな、と思いながら俺は宿屋を後にした。