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尾道茶寮 夜咄堂  作者: 加藤泰幸
おすすめは、お抹茶セット五百円(つくも神付き)
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第七話『唐津合宿 その三』

「はっはっはっ! そりゃあ、和服じゃ暑かったろうに!

 ほら、夕食は出来ているから、たくさん食べてエネルギーを蓄えておきなさい!」


 岡本の実家に帰って、初めて顔を突き合わせた岡本の父は、豪快な男だった。

 ずんぐりむっくりとした体格に、愛嬌のある顔付きと顎髭という、山男のような風貌の彼は、

 岡本同様に気持ちの良い笑いを炸裂させて、帰宅した一行を屋内の居間へと案内してくれた。

 そこでは既に夕食の準備が整っていて、テーブルの上では所狭しと色鮮やかな料理が並んでいる。

 夕方までの観光を終えて、腹を空かせて帰ってきた千尋らにとっては、なんとも堪らない光景だった。


 しかし、そこで最も千尋の目を惹いたのは、料理ではなく、テーブルの中央にどっしりと居座る(かめ)だった。

 サッカーボールくらいの大きさの甕には、漆塗りの蓋がされていて、更にその上には金属の柄杓が乗っている。

 何が入っているのか、という意を込めて岡本に目配せすると、彼女はしたり顔で頷きながら甕の蓋を開けた。





「これは酒甕だよ。お父さんが作ったんだ。飲みたい奴が柄杓を使って注ぐんだよ」

「ほう。これはなんとも魅力的だね!」

 岡本の説明に、オリベの方が手を叩きながら絶賛する。

「どの辺りが見所なんですか?」

「ふむ、酒が飲めない千尋君には、まだ分からんかもしれんなあ。

 無論、甕自体も非常に良いものだが、何よりも一席に甕が一つという状態が良いのだよ。

 皆で、皆で一つの甕を使って酒を酌み交わしあう。

 さすれば談話にも花が咲き、場がいっそう盛り上がる。

 実に乙なものとは思わんかね?」

「なんとなく、分かるような気がします」

 千尋は素直に頷く。

 飲んだ事はなくとも、酒席の高揚感なら何度か経験した事がある。

 あの独特の空気が、この小さな甕に詰まっているような気がした。


「はいはい、若月君とヌバタマさんは、未成年だからこっちねぇ」

 そこへ、岡本の母がペットボトルの麦茶を持ってくる。

 とはいえ、半日日光の下を歩いてきた身にとっては、これはこれで好ましい。

 笑顔で会釈をして席に着き、早速夕食が始まったが、これが実に盛り上がった。


 無論、料理や酒が美味である事も盛り上がりの一因ではあるのだが、それよりも人に尽きる。

 オリベ、岡本は当然ながら、岡本の父も非常に饒舌かつ社交的な人物で、会話が途切れる事がない。

 どちらかと言えば多弁なヌバタマでさえも、口を挟む間が掴みにくい程に、彼らは喋り続けた。

 これは、共通の話題の影響が大きいのだろう。

 すなわち、陶器である。



「そうか、スランプじゃあなかったのか!」

「うん。ああだこうだと悩んでいた自分が恥ずかしいな」

「ヒャッヒャッヒャッ! それも若さゆえの特権!」

 陶器を中心に据えた話題は、唐津焼、夜咄堂の器、陶芸サークルと、

 陶器に関するテーマをぐるぐると周回しており、

 今はまた陶芸サークルの話題に移り変わっていた。

 話から察するに、岡本は陶芸の調子が出ない旨を両親にも相談していたようなのだが、

 それが勘違いであったと先程説明を受けた岡本の父は、嬉しそうに自身の膝を叩いて笑っていた。


「はっはっはっ! それじゃあ、今度帰省した時には、進化した知紗の器を見せてもらわないとな」

「ま、良いけど。背伸びするような出来じゃないし、ありのままを見てもらうよ」

「ほほう。知紗も少しは大人びたような事を言うようになったな」

「なにさそれ」

「いやいや、感心しているのだよ?」

「あたしだって今年で二十一歳なんだからね。少しは成長していますよだ」

「そうでなくっちゃ困る。はっはっはっ!」


 また、岡本の父の笑い声がこだまする。

 いつしか、会話に加わらなくなった……否、加われなくなった千尋は、

 その代わりに頬杖をついて笑みを浮かべながら、その声を聞いていた。

 三人の中で一番声が大きいのは、この岡本の父だろう。

 だが、決して耳障りな声ではない。

 外見同様にどこか包容力を感じさせる、暖かい声だ。

 その声を受ける岡本も目尻を緩めている辺り、親子の仲が窺い知れる。

 この上なく、微笑ましい光景だ。


(俺の父さんは、俺の前ではこんなに笑う人じゃなかったな。

 ……でも、優しかった。その一点じゃ、この人と変わりない)


 岡本の父を眺めながら、しみじみと実父宗一郎の顔を思い返す。

 シゲ婆さんの言う所によれば、父も茶席では良く笑う人だったのだ。

 今ではもうその機会はないが、一度で良いから見てみたいものだった。






「……千尋さん?」

 ふと、隣に座るヌバタマに声を掛けられた。

「あ……なに?」 

「いえ、その……」

 ヌバタマは一度顔を伏せかけるが、すぐに千尋を直視する。

「なんだか寂しそうな顔をしていましたが、何かありましたか?」

 彼女は、場の空気と千尋の様子、両方を伺うようにして小声でそう聞いてきた。


 思わず、はっとさせられる。

 気が付けば、表情に浮かんでいた笑顔は、哀愁のそれへと形を変えてしまっていた。

 どうやら、唐津焼の店で岡本に指摘された件は、事実のようだ。


(こんな事じゃいけないな。……無用な心配をかける)

 つい、感情を表に出してしまった事を反省する。

 無用な心配をさせる位なら、堪えるべきだ。

 努めて明るい声を出しながら、千尋は顔を横に振った。




「いや……俺も酒が飲めたらな、って思っただけだよ」

「そうでしたか。でも二十歳になるまではいけませんからね?」

「はいはい。分かってますよ」

 軽口を叩きながら、肩を竦めてみせる。


 まあ、ええことよ。


 自身の口癖が、心中で幾度か反芻された。











 ◇











 千尋が布団から身体を起こしたのは、午前一時過ぎの事だった。

 やはり他人の家、他人の寝具という慣れない環境が原因なのだろうか、

 どうにも眠りにつきにくく、一時間程目を瞑った末に、一度起きて気分転換しようと考えた為である。

 割り当てられた和室の客間では、相部屋のオリベが豪快ないびきをかいて熟睡していた。

 彼もまた、本来の自分の寝床である青織部沓形茶碗あおおりべくつがたちゃわんがないというのに、なんとも図太いものである。


 さて、起きたとはいえ、深夜に他人の家の中を徘徊するわけにもいかない。

 仕方なしに家の外に出ると、少しだけ涼しい風が千尋の身体を撫でた。

 どうやら、室内よりも外の方が気持ちが良い。

 気分を良くして夜空を見上げれば、日中の天気そのままに雲は一つもなく、満天の星空が瞬いている。

 広がる絶景に、千尋は暫し見入ってしまった。

 尾道の夜を、こうも美しく感じた事はあっただろうか。

 自分はないのだが、他の者……特に、観光客なら尾道の夜の方が美しいと言うかもしれない、と千尋は思う。

 どちらが優れているというわけではない。

 観光地の夜とは、特別なものなのだ。


「……奇麗なもんだな」

 独り言を呟きながら、何をするでもなく庭をぶらぶらと歩く。

 そうしているうちに、星空だけではなく、作業部屋からも光が漏れている事に気が付いた。

 一体何事かと、足音を立てないよう心掛けて近づくと、ちょうど作業部屋の内側の方から戸が開かれた。






「やあ、若月君じゃないか」

「あ……どうも、こんばんわ」

 中から出てきたのは、岡本の父だった。

 ぺこりと頭を下げつつ彼を一瞥すれば、粘土がこびりついたエプロンを着用していた。 

 状況から察するに、おそらくは作業中だったのだろう。


「どうやら、寝付けないみたいだね。はっはっ」

 岡本の父は、親しげな声でそう言いながら笑った。

 ずばり図星を指されてしまい、千尋もまた苦笑しつつ頷いてみせる。


「ええ。少し気分転換でもしようと」

「そうかね。だったら、私の職場を見てみるかい?」

「良いんですか?」

「構わないよ。どうせ明日も轆轤(ろくろ)体験で見てもらうし、ちょうど一区切りもついたしね」

 そう言われてしまえば、無理に遠慮するのも悪い気がして、提案を受ける事にした。


 通された作業部屋の中には、千尋の所属する陶芸サークルの部室と大差ない光景が広がっていた。

 壁には陶芸関連の本棚が立ち並び、部屋の中央には作業台と轆轤。

 そして適度に散らかり、汚れている部屋だ。

 陶芸家の工房は皆こうなるのか、それとも岡本家の血筋なのか、千尋には分からなかった。





「ちょうど、所属している茶道の流派から、近々開く茶会用に菓子器を頼まれていてね。

 その為の作業中だったんだよ」

「茶道の流派……茶道もされているんですか?」

 意外な言葉に、千尋は思わず尋ねてしまう。


「仕事にも通じる所があるからね。

 確か若月君も、経営している喫茶店でお茶()てているそうじゃないか。

 つまりは、君と同じ立場だな」

「いや……俺はそんなに立派なものじゃありません。

 オリベさんに教えて貰っている、我流のようなものですから」

「はっはっはっ。茶の道を歩いている事には変わりあるまい。お互い頑張ろうじゃないか」

 岡本の父が、またあの人を安心させる笑い声を立てる。

 千尋も頬を緩め、小さく笑んでみせた。

 それと同時に、ふと、思い到る。



(そういえば……茶道をやっている人と話す事って、あまり無いな……)


 なおも笑い続ける岡本の父の顔を見ながら、千尋は考え込む。

 この人ならば、自身が抱える問い……『茶道の良さ』に何かしらの助言をくれるかもしれない。

 オリベは、茶道に取り組み続ければ良いと言っていたし、一応はそのつもりでもある。

 しかし、それと並行しながら、多くの人の見解を聞いてみたい気持ちもある。

 千尋の意思は、すぐに決まった。

 初対面なのに、そのような質問をして良いものなのかとも思ったが、

 それでも尋ねてみる決心が付いたのは、岡本の父の人柄が成せる事なのかもしれない。






「ところで……一つ、お伺いしても良いでしょうか」

「お。何かね?」

 笑うのを止めた岡本の父は、付近の椅子にどっしりと腰を降ろしながら聞き返す。

「初対面でこのような事をお伺いするのは無粋かもしれませんが……」

「構わないよ。何でも遠慮なく聞きなさい」

「……では。茶道の良さとは、何なのでしょうか?」

「うん……?」

 岡本の父は首を傾げた。

「分かりにくかったでしょうか。あ、つまりは……」

「いや、分かる。ちょっと待ってくれ」

 岡本の父は平手を突き出して、千尋の補足を制した。

 目を瞑り、人差し指をこめかみに当てて、思考し続ける。

 無理に考えて頂かなくても……そう言おうかとも思ったが、

 その機を伺っているうちに、岡本の父は目を開いた。




「これは、君の求める答えではないかもしれない。

 あくまでも私が、自身の立場で感じた答えだが、良いかい?」

「はい。もちろんです」

「それじゃあ、答えよう。ああ、そこに掛けなさい」

 岡本の父は近くの椅子を指差してくれた。

 遠慮なく腰掛けて対面すると、それを待っていたかのように、岡本の父はまた語り出した。


「茶道は総合芸術……そんな言葉を聞いた事、あるかい?」

 ヌバタマ辺りが似た事を言っていたような気がする。

 はっきりとしない記憶を表すかのように、曖昧に頷いてみせる。


「そうか。……私はそれが答えだと思うのだよ」

「はい」

「例えば、私が仕事で手掛ける物もある茶道具。

 古い物だと、現代品とは比較にならない程の値打ちがつく事があるよね」

「ええ」

「茶道具は、その品自体が持っている芸術性だけではなく、

 品が刻んできた歴史が、値打ちに加えられる事があるんだ」

「そう言われれば……骨董品屋の方から、そんな話を聞いた気がします」

「うん。……それこそが総合芸術という事だ。

 一つの概念に、複数の価値が備わっているのだね」

 その言葉にも、思い辺りがある。

 今日、名護屋城跡でオリベが語ってくれた歴史と陶芸の関わりと、同じようなものではないだろうか。

 岡本の父の考えがすんなりと頭の中に入ってきて、何度も頷きながら話に耳を傾け続ける。



「茶道には陶芸や歴史の他にも、植物学、建築、書、哲学、造園、料理……

 数え上げればきりがない程の、様々な芸術が含まれている。

 その幾多の良さ、すなわち総合芸術こそが、茶道の良さじゃないのかな。

 はっはっ。なんだかずるい答えだね。茶道に関わるもの全てが茶道の良さと言っている様なものだ」

「あ、いえ。凄く参考になります」

 千尋は深く頷く。

 岡本の父の言っている事は、十分に理解できた。

 まさにその言葉通りの経験をした分、同意もできる。


 だが……。








(でも、シゲ婆さんらが感じてくれた感動。

 あれを総合芸術の賜物と言われると、何か違う気がする……)


 新たな疑問が、浮かび上がってくる。

 それを改めて岡本の父に問うのは、彼を否定しているようで流石に気が引ける。

 自分で考えるしかないのだが、すぐに答えがでるものでもない。

 それに、あまり頭を使い過ぎれば、余計眠れなくなってしまうような気もする。

 どうやら、結局『茶道の良さ』という自問に、唯一無二の答えを弾きだす事ができるのは、まだ先のようである。





「色々と教えて下さってありがとうございました。参考にさせて貰います」

「気にしないでくれよ。それより、明日があるんだから無理はしないようにね」

「そうでした。明日は陶芸を教えてもらえるんでしたね。ちょっと緊張します」

「いやいや、人に教える機会なんかそうそうないから、それは私も同じだよ。

 さて、私もそろそろ休むとするか」

「それでは自分も」


 千尋に向けられた笑顔と声は、最後まで暖かった。

 岡本の父に一礼をした千尋は、まっすぐに寝床に戻る。

 布団の中で目を瞑って、先程の問答を思い出していると、然程時間を要さぬうちに、問答が途切れ途切れになりだした。

 ようやく訪れた睡魔に逆らう事なく、千尋の意識は徐々に鈍り、そして……。



「……父さん……」


 それが、自然に出た言葉なのかどうか、眠りかけている千尋には分からない。

 それとほぼ同時に彼の意識は完全に絶たれ、ようやく安息が訪れる。

 かくして、唐津の夜は過ぎゆくのであった。

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