第一話『青織部沓形茶碗 その二』
一階に下り、四人掛けの机を挟んで二人に相対した千尋は、父が亡くなった事を説明した。
感情が昂らないように努めたが『亡くなった』と告げる時だけは、微かに言葉が震えるのを抑える事はできなかった。
「そうか。宗一郎は死んじまったのか……」
オリベと名乗った男は、しみじみとそう呟くと、暫く何も言わずに天井を仰いだ。
その隣に座る少女は何も言わなかったが、沈痛な面持ちを浮かべている。
二人とも、父とは友好的な関係だったのだろう。
詳しく聞きたくはあるが、ひとまず、それはそれで良い。
もっとも気になるのは、自称『付喪神』とは、どのような存在なのかだ。
「悲しんでいる所悪いけど、次は俺が話を聞いても良いでしょうか?」
身を乗り出しながら、オリベに声を掛ける。
「……うむ」
「先程貴方は、付喪神と名乗りましたよね」
「いかにも」
「それは、ええと……何と言ったら良いのかな。……ご冗談ですか?」
「なんだ君。もしかして付喪神を知らんのかあ?」
悲しみ顔から一転、オリベの口ぶりがひょうきんなものに戻った。
切り替えが早いのだろうか。
それとも、感情を隠すのが上手いのだろうか。
「付喪神くらい知っていますよ。物が妖怪に化けたもの、ですよね」
「随分ざっくりしとるな」
「一般的な認知具合としてはこんなものでしょう」
「この店の主の息子なんだから、君が一般的では困る。
宜しい。君に英知の一端を披露しようではないか」
「あ……はい」
仰々しい物言いに、思わず力が入る。
「この黒いのが」
がっくりと力が抜けた。
「オリベさん、面倒な事はいつも私に押し付けるんだから……」
少女はオリベにジト目の一瞥を向ける。
「まあまあ、誰かが説明しなきゃいけない事じゃないか。
それにお前さん、こういう事は自分できっちりやらないと、気が済まないだろう?」
「それはそうですが……なんだか乗せられている感じが」
「なら、東雲ドーナツ店の抹茶ドーナツを付けよう」
「任せて下さい」
乗せられた少女は力強く握り拳を作った。
堅く清楚な第一印象だったのだが、どうにも間の抜けた所があるようだ。
「ええと、千尋様、でしたね?」
少女は千尋に向き直る。
「そうだけれど、様は余計だよ」
「このお店を継がれるのですから、そう呼ばせてください」
先程のオリベの言葉も同様だが、この少女の言葉にも引っかかるものがある。
オリベは判断が難しいが、この少女は確実に、自分が店を継ぐ為に来たものだと勘違いしている。
その誤解を解こうかとも思ったが、まずは二人の素性からだと思い直し、千尋は口を挟まずに耳を澄ました。
「さて……まず付喪神とは、百年を経た道具に宿る精霊のようなものです。
神と名は付いていますが、その実はそれ程大したものではないのですよ。
むしろ神様によって作られると言いますか……
本物の神様が、道具に魂を与える事で、精霊が宿るのです」
「百年で道具に宿るの? でも、それじゃあ……」
「ええ、言いたい事は分かっています。それでは精霊がたけのこみたいに次々生み出されますよね」
きびきびとした口調で、少女は説明を続ける。
「人間が道具を愛用すると、道具には強い気力が注入されます。
気力と、神様の与える霊が融合する事で、道具には付喪神が宿るのです。その気力が満ちるまでの期間の目安が、およそ百年。
なので、長年愛用される茶道具には、比較的付喪神が宿りやすいのですね」
「それじゃあ、世間一般の古い茶道具にも、付喪神が宿っているわけ?」
「いえ。余程強い気力を宿さなくては付喪神にはなりませんので、一部の茶道具のみですね。
加えて言えば、高名故に飾られたり、財として扱われる名物よりも、
日頃から用いられて、気力を浴びやすい安物の方が、付喪神と化しやすいでしょうか。
さて、ご理解頂けましたか?」
「でも、それだけで君達が付喪神だと信じろと言われてもな……」
千尋は訝しみながら二人を見る。
それの何が面白いのかオリベはニヤニヤと笑い、一方の少女は自分の説明で十分だと思っていた様で、千尋の言葉に困惑している様子だった。
おそらくは、二人の外見も、自身が抱く印象に影響を及ぼしている。
着物という出で立ちは少々珍しいが、二人の顔付き体付きは、人間そのものだ。
これが異形の生命であれば、驚愕しつつも、人ならざる者という言を信じる事ができただろう。
「特技の一つや二つ見せれば納得するだろう。ほれ」
オリベがおもむろに片手を掲げてみせた。
一体何を始めるのかとオリベを見やれば、掲げられた彼の手の前では、陶器の置物が机を飾っていた。
家を模している置物で、頂点は鋭く尖っている。
その尖りを見た瞬間に、これからオリベが取る行動が千尋の脳裏に浮かんだ。
『危ない』と声を掛ける前に、オリベの手は全力で置物に振り下ろされ……そのまま、机ごと貫通してしまった。
置物も机も全く破損していない。
衝突音も一切聞こえなかった。
だというのに、オリベの腕は間違いなく机の下にある。
すなわち……彼の腕は、物理法則を無視して『透けた』事になる。
動揺しつつ、中腰になって机や置物を調べたが、特に細工も見当たらない。
明らかに、人間のできる事ではなかった。
「!!」
「どうだね。信じたか?」
目をひん剥いた千尋とは対照的に、オリベはしたり顔だ。
「この通り、私達は見た目は人間でも、その実は精霊、付喪神よ。
実体を持って物に触れる事も出来るし、むしろ普段はそうしているがね」
「……まさか、本当に……」
「本当も本当さ。付喪神とは良いものだぞ。この力を駆使すれば、色々と面白い悪戯が……」
「オ・リ・ベさん?」
少女が、オリベを強く睨みつけた。
オリベは肩を竦めて茶目っ気たっぷりに舌を出す。
だが、二人のやり取りは、千尋の中には入ってこない。
千尋は、先程の超常現象にまだ目を瞬かせていた。
◇
「これが私。青織部沓形茶碗だ」
店の奥から持ってきた白木地の木箱を開けながら、オリベがそう告げる。
中から取り出された茶碗は、青というよりも緑青色だった。
色合いは相当くすんでいて、素人目にも古い茶碗である事が見て取れる。
「これがオリベさん……」
触って良いものか分からず、千尋は顔だけを近づけて茶碗を凝視する。
妙。
色の次に気になったのは、茶碗の妙な意匠だった。
茶碗の胴には、幾つもの丸と線で描かれた幾何学模様が描かれている。
珍しい模様だったので、オリベの着物に描かれた模様と同じであるとすぐ気が付いた。
これもまた、彼が青織部沓形茶碗の付喪神である事を示すのだろう。
更に特徴的なのは、茶碗の歪みだ。
縁から、胴から、腰から、何から何まで歪んでいて、
茶を飲む時には、どこから口をつけて良いのか皆目見当がつかない。
これ程までに歪んだ茶碗を見るのは初めてだった。
千尋が持つ茶碗のイメージは、装飾は程々に留められて古びた趣きのある、所謂『侘びた』ものだ。
だが、この青織部沓形茶碗はその真逆を行っている。
躍動感に満ちた旋律的な姿態は、千尋のイメージをばっさりと切り捨てるものだった。
オリベの軽い性格にもどこか似ている辺り、付喪神は茶道具に似るのかもしれない、とも思った。
「……妙な茶碗ですね」
直球で感想を述べる。
同時に、相手を傷つける言葉かもしれないと気が付いた千尋は、その失態に微かに眉を顰めた。
「ヒャッヒャッヒャッ! 妙と言われてしまったよ」
だが、オリベは千尋の言葉を笑い飛ばしてくれた。
やはり、なかなかに飄々とした男なのであった。
「……オリベさん、よく笑いますね」
「そうかね?」
「そうですよ。……ところで、この茶碗が織部というから、貴方もオリベさんなんですか?」
「まあ、そんな所だね。本当は別に銘があるんだがね。
ああ、銘とは、茶道具としての名前といったものだよ」
「銘の方は名乗らないんですか?」
「これでも二百年以上生きているからね。人から人へと渡り続けたが、その過程で、銘が伝わらない事があってね。
それからは、自分の銘等どうでもよくなってしまったよ。
なので、私の事は織部茶碗のオリベと呼んでくれるかね」
「なるほど。じゃあ……そっちの黒いのさんの銘は?」
「だから、黒いの呼ばわりは止めて下さいよ。私に銘はありません」
話を振られた少女は、不快感を露わにした言葉を返した。
片方の頬も、ぷくりと膨らんでいる。
「銘がない茶道具もあるんだ」
「ええ。その結果が『黒いの』です。ああ、もう、宗一郎様ったら……」
「父さんがどうかしたの?」
「十五年程前かな。この子が付喪神として目覚めた時に、宗一郎が『黒いの』呼ばわりしたんだ。
それ以来、呼ばれ方はずっと『黒いの』さ。
茶の湯にも茶道具にも造詣が深い宗一郎だ。彼が銘を付けても良かったのだが、
あいつ『それは製作者の特権だ』と頑なに拒否したものでな」
千尋の問いにはオリベが答えた。
彼は両手を胸の前で打ち鳴らすと、更に言葉を続ける。
「そうだ。この際、千尋が名を付けてみるかね?」
「いや、俺こそ銘を付けられるような知識は……」
「銘ではなく名だよ。あだ名だ。
黒いのでは呼び難いのも事実だしな」
「はあ」
煮え切らない返事と共に少女を見る。
想定外の提案だったのか、少女は黒髪を揺らしながら顔を背けかけたが、
結局は千尋に向き直り、不安げな表情を浮かべつつも小さく頷いてくれた。
「ふむ……」
千尋は腕を組む。
「………」
「黒子」
「却下です」
即答された。
「じゃあ黒美」
「却下です」
即答。
「黒「却下」」
最後まで言う事すら叶わなかった。
「……命名の程度が宗一郎様と変わらないですね」
「そう言われてもな……」
急に命名という無茶振りをされても、妙案を捻り出せるものではない。
これは腰を据えなければならないと、千尋はじっと少女を見つめて思考を巡らせる。
(女の子っぽい名前なら適当に付けられるけれども……
何か由来があるものにしてあげたいな。
とすると、やっぱりこの黒が……ふむ……)
少女全体に向けていた視線を、黒髪に収束させる。
吸い込まれてしまいそうな錯覚を受ける、艶やかな黒髪。
単に黒いのではなく、見る者を引き込むような黒。
そんな色合いを示す言葉を、千尋は一つだけ知っていた。
いつだったか、父が自宅で飾った事がある植物の種子。
「……ヌバタマ」
「はい?」
「名前だよ。ヌバタマって名前。これでどうかな」
「ヌバタマと言うと、ヒオウギの黒い種子でしたっけ?」
「ああ、知ってるんだ」
「ええ。宗一郎様が茶席で用いた事がありますから」
もしかすると、そうして使用済みとなったものが家に来たのかもしれない。
「……しかし、ヌバタマですか。濁音のせいか、なんだか粘りがありそうでパッとしませんね。
植物の名を使っている分マシな気はしますけれども……むう……」
「考え直そうか?」
「……いえ」
少女が横に首を振る。
「まだ不満はありますが、黒いのよりは良いですから。では改めまして……」
少女が、いや、ヌバタマが小さく咳払いする。
「ヌバタマです。これから宜しくお願いしますね。千尋様」
「……様は止めてくれないか?」
「では、千尋さん?」
「そんな所だな。宜しく」
ヌバタマが白く小さな手を差し出した。
その手を握ろうとして……ふと、千尋はそのやり取りに違和感を覚え、逡巡した。
「………」
「……? どうしました、千尋さん?」
ヌバタマが顔を覗き込んでくる。
どこからどう見ても、人間にしか見えない少女だ。
だが、違う。
今、自分が名を付けた少女は、人間ではない。
彼女は茶道具の付喪神なのだ。
今日ここへ来たのは、その茶道具や店を売る為なのだ。
宜しく?
すぐに売却してしまうというのに、自分は、何を宜しくするつもりなのだ?
良い所に売却できるよう、宜しく取り計らうとでも?
すぐに売り飛ばしてしまう茶道具を相手に、一体、何を和気藹々としているのだ?
「……君は」
オリベの一言が、千尋を逡巡から引き戻した。
「君は、この店をどうしたいのだね?」
「!!」
内心を見透かされたのだろうか。
狼狽ぶりを隠せず、千尋の表情は凍り付く。
「俺は……」
「ごめん下さいな」
千尋の言葉が遮られる。
声は、夜咄堂の玄関から聞こえてきた。