第七話『唐津合宿 その一』
岡本知紗の運転するレンタカーは、車も信号も少ない山間の直進道路を走っていた。
彼女の隣に座る千尋の髪は、開け放たれた車窓から入り込んでくる風に晒されていたが、あまりそれを気には留めなかった。
南国の海をバケツですくい、思いっきりぶちまけたかのような濃紺の空が、窓の外には広がっている。
風を切りつつ空だけを眺めていると、車が空を走っているような錯覚を覚えた。
風を体で感じられる夏だからこその錯覚だ、と千尋は思う。
見知らぬ土地の風景に旅情緒を感じるのも良いが、こうして季節を感じるのも悪い気はしなかった。
そもそも、見知らぬ土地とは言っても、山間部が占める割合が大きい広島と、今走っている佐賀の山間の風景には、
然程変わりがないのだから、わざわざ視線を水平に向けて注目する必要はないのだ。
「唐津まであと三十分って所かな。千尋、腹減ってるか?」
「まあ、それなりには」
「そっか。母さんが昼飯用意してくれているはずだから、もうちょっと我慢な」
「お昼まで申し訳ありません」
「ハハッ。私が誘ったんだから気にするなよ」
岡本は前を向いたままで、にかっと歯を見せて笑う。
なんともありがたい話だが、考えてみれば、人の家でご相伴にあずかるのは初めての事かもしれない。
未だ見ぬ昼食への期待に胸が高鳴ったが、どうにも、それは千尋だけではなかったらしい。
「いやー、私達までお邪魔しちゃって、本当に申し訳ない!
昼食はイカだろうかね。イカでいいか、なんちって。ヒャッヒャッヒャッ!」
「イカって唐津の名産品なんですか? 私、食べるの初めてです。
イカ味ドーナツなんかもあったりするんでしょうか……?」
後部座席の二人、オリベとヌバタマが頬を綻ばせて会話に加わってきた。
「ははは。流石にイカ味のドーナツはないかなあ。
……な、千尋。
ヌバタマちゃんって、名前も格好も、考えてる事も変わってて可愛いな」
「そうですかね。はは、は……」
面白そうに笑う岡本に、同じ笑顔でも千尋は苦笑しか返す事が出来ない。
自分が名付けたのですよ、と言うわけにはいかないし、付喪神だから和服なのですよ、とも言えない。
格好に関しては、尾道駅で待ち合わせた時の岡本の驚きようと言ったらなかった。
この真夏に、和服姿で旅行に加わろうというのだから、事情を知らなければ無理もない話だ。
「あ……ラジオ、付けますね」
少しでも話題を逸らせるようにと、カーオーディオのつまみを捻る。
スピーカーからは、砂嵐音の後、夏の甲子園の地区予選の結果を伝える声が聞こえてきた。
「ほほう。沖縄はもう代表が決まったのか。
第一回の頃に比べると甲子園も盛り上がるようになったなあ」
今度はオリベが妙なことを口走る。
余計な事を言わないように、との意を込めてジト目で後部座席を睨みかけたが、
和気藹々とした二人が目に映ってしまったもので、すぐに怒る気も失せてしまった。
(いやはや……二人を連れて来たのは、浅はかだったかもな)
仕方なしに、密かに内心で嘆く。
なんとも、心労が絶えない旅行になりそうである。
――今回の件の発端は、二週間前の岡本の提案だった。
夜咄堂にやってきた岡本が、注文したアイスティー片手に、陶芸サークルの夏合宿を提案してきたのだ。
なんでも、陶芸をやっている岡本の両親は佐賀は唐津住まいだそうで、そこで陶芸を体験する事ができるとの事である。
つまりは、夏合宿と言うよりも、岡本の実家に遊びに行くようなものだ。
おそらくは、岡本からしてみれば、陶芸の話ができる後輩を得た事で、テンションが上がっての提案なのだろう。
だが、男女二人して、片方の実家に遊びに行くのだ。
千尋からしてみれば、妙な勘違いをされる気しかせず、気乗りがする提案ではなかった。
ではどう断ったものか……そう考えた所で、話を聞きつけたオリベとヌバタマが、参加したがったのである。
大学のサークルとは全く関係のない二人だ。
それもまた難しいと断りかけたのだが、ふと千尋は思い留まった。
考えてみれば、確かに他にも参加者がいれば、妙な勘違いはされずに済む。
加えて、僅かな賃金しか与えていない二人の希望なのだから、可能ならば叶えてはあげたい。
そうして千尋の中の天秤に釣り合いが取れた所で、岡本が諸手を上げて賛成した為に、話は決まったのであった。
(とはいえ……二人を長時間連れ出すのは、やっぱり拙かった。
どこかで下手打って、正体がばれなきゃ良いんだけれども……)
皆には分からぬよう、口の中で小さく嘆息をする。
そんな憂慮とは無関係に、博多駅で借りた車は、一路陶芸の町へと向かうのであった。
第七話『唐津合宿』
「あらあらー、本当に大勢で来てくれたのね。いらっしゃいー」
唐津の町の端に位置する岡本窯。
その庭先で出迎えてくれた岡本の母は、娘と同様に小柄で、
しかしながら、娘とは対照的におっとりとした雰囲気を持つ女性だった。
「こんにちは。若月です。後ろの二人はオリベとヌバタマと言います」
岡本の半歩後ろで、ゲストを代表して千尋が頭を下げる。
「知紗から話は聞いているわー。はじめまして。知紗の母です」
ひとまずは歓迎してもらえているようで、胸を撫で下ろす。
事前に不安に感じていたのは、やはりオリベとヌバタマの存在だった。
宿泊に関する連絡は全て岡本が担ってくれたのだが、
付喪神達については一体どのような説明をつけたのだろうか。
ささやかな疑問を抱きつつも、今はそれよりも挨拶だと思い直し、千尋は話を続けた。
「それにしても、今回は大勢でお邪魔しちゃって、すみません……」
「良いのよー。普段は私とお父さんだけで静かなんだもの。賑やかで嬉しいわぁ。
それよりも、この子がお世話になっているそうで、ありがとうね」
「いえ、お世話になっているのは俺の方です」
「ありがとうねぇ。気遣ってくれるのは嬉しいわ。
でも、本当はうちの子の方が迷惑を掛けているはずよ。
だって、昔からそうなんだもの」
思わず苦笑してしまう千尋であった。
どうにも、お見通しのようである。
「お母さん、あたしの話はどうでも良いから! それよりお父さんは?」
「まだ工房にいるわ。午前中には終わる予定だったけれど、調子が良いみたい」
「ん。分かった」
その言葉を受けた岡本は、一行に目配せをして歩き出した。
千尋らは、岡本の母に一礼をして後を付いていく。
岡本の家は、五部屋程ありそうな二階建ての木造民家だった。
家そのものは標準的な日本家屋のようだが、庭が随分と大きく作られていて、
陶芸の原材料と思わしき名詞が書かれたポリバケツが、庭に無数に置かれているのが特徴的だった。
敷地内には他にも、登り窯や大型の物置が見受けられる。
岡本が向かったのは、その物置の方だった。
「ここ、物置兼作業部屋な。普段はお父さんがいるんだけれど……」
物置……否、作業部屋の戸の前で立ち止まった岡本は、だんだんと声量を落とした。
それから、物音を立てずに戸を僅かに開いて、そっと中を覗く。
それに続くようにして千尋も中を覗くと、大柄な中年男性が背中を向けて椅子に座っていた。
ここからではよく分からないが、おそらく何かしらの作業に勤しんでいるのだろう。
その証拠に、岡本は戸から顔を離すと、大げさに肩を竦めてみせた。
「駄目だな。集中しているみたいだから、挨拶は後にしよう」
「ふむ。一介の茶人として、是非とも陶芸家には挨拶しておきたかったが、作業中とあらば仕方あるまい」
オリベの言葉に、千尋とヌバタマも同意して頷く。
オリベは更に、思い出したように言葉を続けた。
「……ところで、合宿とは何をする予定だったのかね。やはり、陶芸を?」
「うん、その予定。一泊二日で焼成までってのは無理だけど、せめて轆轤くらいはね。
ただ、今はお父さんが使っているから無理だね」
「それならば、終わるまで待つとしようか」
「そうは言っても、調子が良いと夜まで作業する事が多いからなあ。……そうだ」
岡本は軽く手を叩いた。
「ただ待ってるのもなんだし、昼を食べ終わったら、夕方まで市内観光でもしようか」
「わあ、行ってみたいです!」
ヌバタマが目を輝かせて大きく頷く。
千尋も、着いた早々に陶芸というつもりもなく、異論はない。
「よかよか。唐津は面白か所が多かよー。そうやねえ……」
岡本がわざとらしく方言を使いながら、指を折って数を数えた。
「まずは唐津城。寺沢広高って戦国武将が建てた城だな。
それから絶景の松林がある虹の松原。唐津バーガー食いながら周っても良いなあ。
後は公開されている窯元を巡っても良いし、市内を単にぶらついても良い。
あ、そうそう。文禄・慶長の役で建てられた、名護屋城の跡地もあるぞ。
ざっとこんな所だが……千尋。どこにする?」
「俺が決めて良いんですか?」
「あたしはいつでも来れるしな。どこでも良いぞー」
「ふむ……」
肩に掛けたバッグを担ぎ直し、少し考え込む。
窯元は、帰って来てから見れるのだから、無理に行かなくても良いと思う。
市内を歩いたり、景色を見に行くのも悪くはなかったが、どうせなら何か学べる所が良かった。
そうなると残る選択肢は二つ。唐津城か名護屋城跡地だ。
どちらでも良かったのだが、後に聞かされた分、名前が頭に残っていた名護屋城跡地を選んだ。
「それじゃあ、名護屋城跡で」
「よし。決まり! それじゃ、昼食ったら早速出かけるか」
「岡本さん、今日運転してばかりですけれど、大丈夫なんですか?」
「飯食えばどうって事ないって。ほら、家の中入ろう。
昼はオリベさん大正解! イカ刺らしいぞ」
岡本はそう言って、景気よく三人の肩を叩いて家の中へと入って行った。
残された三人は顔を見合わせ合ったが、やがて、誰からともなく笑いだし、岡本の後を追ってイカ刺へと向かったのであった。




