紡ぐ者
なんとなく付いてきてしまった。
緑は楽しそうに頬をほころばせるフェンリルを見上げる。
フェンリルが緑の服を見かねて、服を買いに街に出かけているのだが、病院服なので病院から抜け出した患者ではないかと周りの目が痛い。
それに、フェンリルは人間の姿ならば見目麗しいほうだ。
切れ長の目は赤く、黒い髪は無造作に見えてきちんと切り揃えられている。
それに今はコートではなく、淡い赤のシャツに黒のズボンだ。開いたシャツからちらちらと胸元が見える。
言うまでもない。
今のフェンリルは第三者からみれば色男だ。
肘より手前までに折り曲げられた袖から見えるフェンリルの腕は筋肉質なのは一目瞭然。
いつもはコート越ししかわからなかった彼の体型がありありと分かった。
芸能人も、俳優も年上が好きな緑のタイプを熟知している。
それはそれで、どうやって調べたんだと恐ろしいほうが優っていた。
「しかし雨が止まぬのは気に食わんな。」
「そ、そうですね…」
「ところで、緑はいつもどのような衣類を身につけている?」
「えっ!ほ、ほんとに買うんですか!?お金は!?」
「心配するな。余は学校を体験しただけではなく、この国のアルバイトとかいうものもやってみた。
しかし年寄りの話は長い。
二度としたくないな。」
「そ、そうなんですか……ちょっと意外…」
「うむ
王でも己で働いた金で物を買うものだ。
他人からの一方的な報酬は気に食わん。」
それほど金、というものを重視しているようにも見えた。
同時に罪悪感も感じる。
緑はただコートを縫っただけなのに。それもかなり拙く。
「…あの、でももともと見合わないお礼だったのに、さらにお礼をされると…なんというか」
「嫁にかける金の何が悪いのだ。」
またこんなことを言い出す始末。
顔がほてるが、呆れたものだ。
顔を背けてほんの少しだけため息をついた。
「緑!アレはどうだ!」
「えっ!!スカート……ご、ごめんなさい、スカートはちょっと…」
「ではあれはどうだ?」
あれは?これは?とフェンリルが勧めるうちに、着るだけならタダということに気づかせてしまった。
まるでペットに服を着させるそれと同じ感覚だ。
緑はさまざまな服をさまざまな店で着ることになる。
フェミニン、ゴシック、ガーリー…と、地味顔な緑には拷問にも等しい。
「よいぞよいぞ緑!!」
「よくない…全然よくない……」
「余は緑の足が見えるものがいいな!」
「いっそ清々しいほどの要求ありがとうございます。」
しかし、ペットに着せているようなものなのに、ペットに見えるのはやはりフェンリルだ。
見えるはずのない尻尾が全力で振られている。
(けど、せっかく好意で買ってくれるんだし、少しくらい要求には答えてあげてもいいかな…)
「緑~!これはいいぞ~!一着で上と下まで事足りる!!」
「それはワンピースって言うんですよ。夏ならそれでもいいかもしれないけど、今は少し早いですね。
あの、私も服探していいですか?」
「うむ!構わん!」
炎天と呼ばれるこの地方は名のとおり南に位置しており、他の地方に比べて熱い。
さらに海に面しているので海水浴場としても有名だ。
なので少し早かろうとも短パンでも問題ない気候である。
デニム生地の短パンに、可愛らしく散りばめられた花柄のシャツ。
上にカーディガンでも羽織れば雨でも乗り越えられる。
さっさと着替えて、フェンリルの反応を伺う。
「スカートはちょっと困りますけど、でも短パンならいつも着ていますし…どうですか?」
ファッションセンスはおかしい方ではないのだが、身近に誰かいれば尋ねたくなるもの。
試しにフェンリルに聞けば、そっと両手を合わせて
「……聖母…」
「すみません、わからなくて困るんですけど。」
「慈母ともいう…伝説で西の国を作った者の母だ…」
「…で、どうしてそれを?」
「尊い……」
(すごーく困る)
そこまで言われたから、というより、もう緑はくたくただった。
幼き日に着せ替えまくっていたお人形もこんな気持ちだったのかと思うと謝りたくなった。
この服を購入し、試着室で着替えさせてもらった。
フェンリルに買ってもらった、という箔がついているようで、特別に見える。
(と、いうか、別に…そういう関係でもないのに、なんか失礼だよね…)
ふい、と鏡から目をそらして改めて試着室から出て靴を履く。
その際に店員が
「いいお父さんですね。」
と言った。
吹き出して笑いそうになるのを堪えて、愛想笑いをしつつ会釈する。
「似合っておるぞ!やはり東の衣類は良いものだ。」
「…ぶっ、ぶふっ」
「な、なんだ、どうした?」
やはり顔をみて笑ってしまう。
店員に言われるまでそこまで気にしてはいなかったが、見れば見るほどお父さんのように見えてしまった。
「あはは、ははは」
「なんだ、余の顔を見るなり…」
むすっとしても余計にその『お父さん顔』で笑ってしまう。
必死に笑いを押さえ込んで、笑い再発を堪えつつ謝った。
「ご、ごめんなさい、ちょっと、いろいろ…」
顔を見られて笑われるのも失礼だろう。
ちゃんと、その顔を見て謝るのだが。
「む………まぁよい!緑は初めて余を見て笑った。
それなら良いのだ。」
下手くそな笑顔ではない、気の抜けたような優しい笑みでそんなことを言うから、今度こそ顔が赤くなる。
そういえばこの鬼は自分が好きだったのだと思い知らされる。
「さあ、お義父さんお義母さんを心配させる前に早めに戻るとするか。」
(なんか字が違うような…)
フェンリルとまた傘を共有して街から病院へ戻る。
服のことを感謝して、どうにかしてお礼をしたいというのだが、ならば婚姻届けに血判を押せと言うので丁重にお断りする。
これを数回繰り返し、そうして目の前に少年が現れた。
街を抜けて車が走る、道路以外閑散とした通りに唐突に現れた異物のような存在。
緑とフェンリルの前を阻むように現れた、ただの少年にも見える。
シャツに膝までのズボン。そして帽子を被っているので表情もわからなかった。
「何用だ。小童。」
「ボク、そこの綿陽 緑を保護するはずやってんけど、なんで鬼がおるん?
もしかして、ほんまに裏で手を組んでたとか?綿陽のくせに?」
「……何だと?」
傘を緑に渡し、一人傘からでた。
隠す意味もないと、いつもの黒コートに赤黒いハイネック、黒のズボンに革のブーツに姿を戻した。
「なんかえれぇ強そうな鬼やん!」
「言っておくが、小童でも手加減はせんぞ。
それから、余はこれらの鬼の襲撃に一切関与していない。」
「んなもん、尋問すりゃええだけや!!」
少年の帽子が取られる。
白銀の髪だった。
後ろでポニーテールのようにまとめられているが、その姿はさらに前に現れた眷属神に隠される。
フェンリルほど背丈は大きくないようだが、160センチほどの大きさの猿がいた。
目は死んでいるようで、虚ろ。
とてもじゃないが、眷属神には見えない。
というより、本来の姿のままでいるので異質に感じる他ない。
「貴様は何者だ?」
「ボクは新名!九陸警備隊第一小隊長の新名!
そしてこいつは狒々!よろしゅう!」
背中に手をつけて、狒々と呼ばれる猿は姿を変える。
オレンジ色に輝く紋になり、その紋は新名と名乗る少年へ向かう。
街の人間の中に溶け込んでいた少年は、風貌を新たにさせる。
軽装ながらも肌の上に鎧をつけている。赤毛の、何らかの革を腰に巻いて格闘者の出で立ちだ。
何より目立つのが両手の装甲。
少年の体に不釣り合いな、大きすぎる篭手だった。
「式神化!?
走れ緑!!」
「は、はいっ」
式神、ということは、本契約をしているものだ。
眷属神の力を手に入れ、人ではなくなる。
実際のものはどうなるのかわからないが生身で立ち向かえるものではない。
先の大戦で鬼と同等に戦った力なのだから。
しかし、フェンリルは弱体化しているのではなかったか。
それを咄嗟に思い出して、少しスピードを落としてしまったのが緑の過ちだった。
「逃がさへんよ」
笑顔で迫る少年は先ほどの格好とまるで違う。
フェンリルの横を通り抜け、緑に襲いかかった。
そしてその鋭い小手についている爪で背中を引っ掻く。
尻目に見ていた緑は咄嗟に前に転がる。
そのおかげでなんとか背中に怪我を負うことはなかったのだが、代わりに犠牲になったものがある。
「た、助かっ……」
ハラリ、と背中が涼しい。
背中に触れれば、フェンリルと同時に叫んだ。
『服がーーーー!!!』
「えっ」
新名と名乗る少年はびくりと肩を震わせる。
「なんてことをした小童!!いいや、貴様などもうクソ猿で十分だ!!
聖母のような緑の衣類を…!!!せっかくの衣類を…!!」
「えっ」
「うそ!!なんで爪たてたの!?ひどい!!」
「えっ」
「しかも緑を明らかに狙っておったな…万死…万死に値するぞ…このクソ猿……」
「ひっ」
「せっかくの新しい服が…そんなぁ…」
悲しむ緑と、たった一人の人間の服を気にする鬼。
新名はこの2人がなんなのか改めてよくわからなかった。
もしかしてなくても人違い、とも思ったが確かに鬼の気配がしているし、鬼も緑と読んでいるので間違いはない。
どうも上司である星雲の予想とは大きく離れたことが起こっているようだ。
「殺す…いや、殺すだけでは飽き足らん……余の久しぶりの血肉となるがいい……余の腹の中で神の手と出会うがいいぞ……」
「ちょっ、ちょっと、タイムっ」
「待ったはなしだ!!」
「ぎゃあああああ!!?」
「きゃあああああ!!?」
緑の前にいる新名を狙って拳を打つ。
新名は飛び退き、緑は伏せた。
「ふ、フェンリルさん…!危ないじゃないですか!」
さらに、緑はフェンリルと名前を言った。
新名は冷や汗が流れる。
数百年前、どういうわけか忽然と牢の中からいなくなり、いつの間にか自国として王になった鬼がこいつだということがはっきり分かった。
「に、逃げるが勝ち!!」
弱体化しているとは言え今は激怒している。
そんな鬼が本来の姿に戻ったならば一人で勝てるわけがない。
上司たちのいる病院へ駆け戻る。
「待てクソ猿!!!緑!来い!!」
「は、はい…」
小脇に抱えられて、病院までの地獄のレースが始まったのであった。
「小夜ばあちゃああああ~~ん!!!」
「生きて返さんぞーーー!!!」
か細い緑の悲鳴が聞こえる綿陽家一同。
フェンリルのことだからあの少年が緑になにかちょっかい出したのだろうとわかった。
「一体何をしているの新名。」
「それどころじゃないんよ~~!!あの鬼、フェンリルなんやて~~!!」
星雲 小夜子、小鳥遊 青歌は身構える。
鬼王フェンリルといえば戦火の獣として名が知られており、警備隊の幹部の間では現在でも色濃く語り継がれているのだった。
故に政府役人3人は臨戦態勢をとりつつも応援を呼ぼうとしていた。
だが…
「保護者はキサマらか!!?」
「……は?」
「見ろ!!この少女の背中を!!
そこの教育のなっていないバカのせいで緑の服はズタボロだ!!
聖母も驚く程の聖処女っぷりが、これではもう事後ではないか事後!!!
なんとして落とし前をつける!!」
「あぁああ……降ろして…恥ずかしい…」
「雨で濡れてしまうし、結局服を買い与えた意味がない!!プラマイゼロどころかプラマイマイだ!!!
なんとか言え!!
カラス!!この背中はあのクソ猿のせいだ!!乙女の肌をこんなにさらしていいものか!!?答えは否だ!!」
晃がため息を吐きながらフェンリルに近づき、思い切り頭を殴った。
「落とし前つけんのはあんただよこのバカ王」
「なんだと!!?」
「緑をどっか連れて行くなら一言残せっつってんの!!」
「いだっ!!」
恥ずかしさで涙目になっている緑をテンが優しく抱きとめて屋根のある場所まで退避する。
八咫烏は一応しばいておこうかと捕縛してギチギチに締め上げる。
何故だと叫ぶフェンリルと、自業自得だと返す旭。
カオスな現状に、星雲がコホン、と咳払いをした。
「と、とにかく、説明していただけますね?」
窓をぶち破ってしまった病室。
窓をトタン板で塞ぎ、雨風が入らぬようにするしか今のところ対応のしようがない。
その間、ほぼ全員ずぶ濡れであったために着替えていたので本題に入る前が長かった。
緑は雨で一番濡れたフェンリルにせめてシャワーだけでもと、こっそり場所を教えた。
「東の風呂はなんとよい湯か…浴槽に入るという発想は万国共通だな。
緑が背中を流してくれればさらに良かったのだが。」
「話しかけないでください。あんなはずかしい言葉を叫んでおいて。」
緑は母の背中に隠れている。
あれほどなついていたのに今は警戒されていることに何よりも悲しんだ。
旭と八咫烏が、フェンリルに出会う今までの過程をあれやこれやと説明し、そうして先ほどの新名の報告も合わせた。
「つまり…フェンリル、あなたはもう王ではないと」
「そうだ。
それと、同胞の狂気化は余がけしかけたことではないぞ。」
「それはわかっています。あなたにはそういった類の魔術は不得手ですから。」
「よくわかっているではないか。」
皮肉られたことに気づいていないのかあえて気づかないフリをしたのか、それはさておき星雲たちはこれまでの予想を話した。
「正直、私は緑さんを疑っていました。
王の存在までは予想していなかったけれど、それなりの術師と手を組んでいると…」
「えっ…」
「あなたが凡人故に
眷属神のいない子供は精神疾患を負いやすくなります。
『太陽の家系』を逆手にとって何かと関わっていると思っていたのです。
非礼をお詫びいたします。」
初めて『凡人だから』と、疑われた。
こういうケースは初めてでただただショックを受けた。
「しかし、フェンリルがいるとなれば話は違ってきます。
フェンリル、あなたと我々の目的は少なからず一致している。
目的達成のため協力をするべきでは?
フェンリルだけではない、『八岐大蛇』も。」
フェンリルは見極めるかのように目を細めて星雲を見る。
「そして緑さんはこちらで保護しましょう。
鬼とともにいることほど精神が摩耗することはありませんから。
ご両親も、鬼とともにいるより警備隊と共に、首都で勉学に励んだほうが安心でしょう。」
旭と晃の、警備隊へ入隊することは本人たちが理由を持って決めたことだし、役目を終えれば帰ってこられることも聞いている。
緑も兄と姉の近くに居させられたらそれほど安心できることはない。
だが、しこりが残るのも確か。
「ご不満でしたら、ご両親も共に首都へ赴きませんか。
負担はこちらが負います。
ここよりは安全ですよ。」
「星の化身よ、腹のうちが読めるぞ。
その企みは今のうちにやめておけ。」
「どういうことでしょう?」
「シラを切るな。
旭と晃のことは仕方ないにしても、緑はやらん。
嫁くらい余が守る。」
嫁じゃないです、と言葉を挟んでも今の星雲とフェンリルには無駄のようだ。
だれも今は緑の話を必要としていない。
「どうでしょうか、奥様。
この鬼は緑さんを攫おうとしているのですよ?
あの、汚らわしい鬼が。」
「………。」
何も言えないことを見越して話を振る。
父も何も言えなかった。
「では、緑さんが決めてください。
ここに残るか、お兄さんお姉さんと一緒に首都に来るか。」
今度は緑に振った。
父母、ましてや押しに弱い緑に選択肢を与えるなど答えが一つしかないというものだ。
星雲の目は上から押しつぶすような権力者の目だ。
何より、大人の目だった。
緑は様々なことを、冷や汗を垂らしながら思う。
頭がぐるぐるしてくるが、それでも星雲の言葉が頭を駆け巡る。
「わ、私は……」
「兄妹、仲がいいんでしょう?
受験の年だし、あなたがご家族と離れたくないと言うならそのようにします。
何より一人の国民ですから…」
ごちゃごちゃした頭にさらに追い打ちをかける。
またよけいな情報を与えてごちゃごちゃしたのだった。
まるで狭い水槽にマグロやらサメやらイワシや太刀魚が入っているようだ。
これ以上情報が詰め込まれたら溢れてしまう。
逃げ込むように、星雲の言葉を遮るように蓋をした。
「ここにいます」
「…それは何故?」
さっきより声が低い。
脅す声だ。
「あなたが、フェンリルさんを、汚い鬼って言ったから……」
眉の端がピクっと上がり、無理矢理にでも笑みを作ったように見えた。
「そう…そうですか。
それは残念です。
ですが念の為に聞いておいて良かった。」
星雲が立ち上がると小鳥遊と新名も立ち上がった。
そして淡々と告げられる。
「緑さんはこちらで保護するよう申請が通っています。
これは政府が決めたことですので悪しからず。」
「えっ!!」
「それでは、荷物も大してなさそうですし、首都で買い揃えればいいので明日迎えに参ります。」
行儀だけはよく、綺麗に一礼していった。
結局は連れて行かれる。
それは確定していたのだ。
息を吐き出して、母の座るベッドに膝を抱える。
そう、父が緑に言っていた『守れなかった』という言葉は結局父の力ではどうしようもないような力が裏でうごいているからだった。
そもそもこんな鬼の蔓延るようになった世間で通用するのは眷属神の力だけだ。
自分の身は自分で守るしかない。
一番年下の娘を守りたいがどう守ればいいかわからない。
両親が心を悩ませている時に、悪役顔負けの笑い声が病室を駆ける。
「ハーッハッハッハッハ!!!!」
突然何故笑い出しているのかわからない一家はフェンリルを見るだけだ。
目を丸くさせて、笑い声が収まるのを待つ。
「はー、はぁ~……
よい、実にいいぞ緑よ」
「は、はぁ…?」
「そうだな…ここでは…丑三つ時という時間か。
今夜は化けて出るかもしれんぞ?」
「ちょっと意味がわからないんですけど…どういう意味ですか?」
「ではな!用事ができた!!」
そう言って突然帰っていた。
用事などできる隙もなかったろうに。
しかし、緑を除いた全員はその意味がわかったような気がした。
おデート回でした。
緑は地味顔ですけど中学生の微妙なエロさがちょいちょい出るイイ子(意味深)なのでフェンリル視点の緑も絶対入れたいです。
絶対の絶対に入れたいです。私はおっきいのよりちっぱいが好きなので。